<従者自覚>



偵察はやった。
潜入は命じた。
報告も終えた。
団子も買った。

「……ふう」
くたりと背中を柱に預けて、佐助は春の空を見上げていた。
春といえども、もう桜は盛期を向かえ後は散るばかりである。
積もっていた雪も溶けてしまっていたけれど、それは甲斐の話であって奥州はまだ雪があるだろう。
白い雪を見る片倉小十郎は、きっと仏頂面なのだろう。
あの人は雪を愛でるなんてこともしなさそうだ。

そこでくすりと笑ってから、「あ゛ー!」と佐助は頭を抱えて叫ぶ。
(まただよ俺様!! この間からこんなことばっかりだよ!)
まだ梅が花開きだす時期のこと。
佐助は戦場で一人の男に会った。



片倉小十郎、伊達家の家老。
佐助が見上げるほどの長身で、がっしりとした体躯をしていたが伊達政宗の軍師でもあるらしい。
強面なのはもともとで、外見どおりの堅物でもあるとか。
しかし柔軟な策を練って常に独眼竜が爆走する道をうまく整えているとか。
それに剣の腕も立つとかで。
(なにそれ、どんだけいい男!! あーっ、腹立つむかつくぐるぐるするーっ!!)
縁側にひっくり返って、どったんばったん一人で転がった。

そもそも片倉小十郎が無駄にできる男なのが悪い。
その名前は竜の右腕として諸国にとどろいているのだから、佐助はちゃんと彼のことを知ってしまっているではないか。
あんまりよく知らないのなら、潜入でもなんでもして調べる間にいろいろ冷静になれただろうに。

そう、今の佐助はちっとも冷静じゃなかった。


「あーうー、なんだこれー、何だよもーぅ」
ごろごろしていると、ガンッと頭を柱にぶつける。
「〜〜〜!」
言葉にならない痛みに悶絶していた佐助の上に、影が差す。
はっと顔を上げると、自身を見下ろしてくる主の姿があった。

「どうしたの、旦那」
佐助はそこであわてて起き上がることもせず、寝転んだまま見上げて問う。
幸村は平素とは違ってまじめな顔で、ついでに無言である。
「……ど、したの、旦那」
いつもと明らかに違うその様子に、佐助もさすがに体を起こした。
その佐助の腕を幸村はむんずとつかみ、ざっざと歩いていってしまう。
「ちょっと待って旦那、痛いって」
「……」
「旦那、手ぇ放してもらっても大丈夫だから」
「……すま、ない」
ぼそっと謝罪の言葉を言われた後に、ようやく佐助の腕が放される。
さてどこへ行くのやらとおとなしく後をついていくと、幸村の自室にすっと入っていく。

後に続いて部屋に入れば、背後でふすまが閉じられる。
「どうしたの旦那」
なるべく明るい声で問いかけると、いきなり背中から抱きつかれた。
「しゃすけぇえ!」
「……どうしました」
色っぽい話ではない。背後から抱きつかれて万力のような力でぎゅうぎゅうと押しつぶされながら、背中に泣き顔をこすり付けられているまでだ。
……いくつですかあなたは。
「お、お、俺はもうどうしたら、い、いいのかわからにゅぅううう」
「何が」
「こ、これほど会いとうなるとは、おも、思わなんだ。寝ても、覚めても、あの方のことばかりっ……!」
「…………」

あの方って。
そう幸村が呼ぶのは一人しかいない。
「俺は、俺は御館様を師と仰ぎこの命をささげる所存であるのに、なにゆえ、このような……っ!!」
「えーっと、とりあえず手を離してね旦那」
俺様死んじゃう、と言ってみればようやく少しだけ拘束が緩まった。





ぜーはーと息を整えながら自主的に正座した幸村の話を整理すると。
「つまり旦那は寝ても覚めても独眼竜のことが頭から離れない、と」
「打ち合いたい、戦いたい……それもかなわぬのならまみえるだけでもかまわぬ! うぉおおおおおお会いしとうございます政宗殿ぉおおおお!!」
頭を抱えて畳の上でのた打ち回る幸村を見ていた佐助は、先ほど自分がこんなことやってたなということは気持ちよく棚に上げ、思いっきり冷静になっていた。

寝ても覚めてもその人ばかり。
会いたい。少しでもいいから会いたい。
(これってさぁ……)
考えるほどのことでもない。
自分のことじゃなきゃ速攻で答えが出たじゃないか。
(恋……だよねえ。それも重度のやつ。街でおねぇさんと楽しむ一夜限りのじゃなくて)
しかも相手が、最悪だ。

敵国の、武人の、強面の、背が高くて、強くて、声も低くて、男前で。
「うわぁあああありえない無理ちょっと待て落ち着け俺!」
突っ伏して思わず叫ぶと、どうしたと不思議そうな視線を向けられる。あんたのせいだともいえなくて、佐助は微妙に温い表情を返すしかなかった。
「それで俺は考えたのだが」
「う……うん、なにかな?」
幸村の頭で何をどう考えてもたいした案は出てこないんじゃないか、と佐助は主にたいそう失礼なことを考えつつ胡乱に返事をした。しかし幸村は佐助が味方になってくれると解釈したのか、顔を輝かせて言ってくれた。
「会いたいならば行けばいいと思ったのだ!」
「何で!?」
「奥州へ御館様の名代として赴く! お前も来い!!」
いやだよ!! と佐助は当然叫んだのだが、幸村はそんなときだけ聞き分けが悪い子だった。

どこで子育てを間違えたんだろうと首をひねったけど、思い出せなかった。











本当に文一枚のみで真田幸村は伊達政宗の城へ特攻した。
文字通りの意味である。その手に文を握り締めて馬を駆った。
「……………………常識ってどこで買えるのかな」
それこそ仕込んでおくべきことだったと後悔しながら、佐助は表門からすっ飛ばしてひょひょいと場内に潜入する。
幸村への従者は他にもいたし、忍が現場にいたらいろいろ面倒だろうという気遣いである。

けれどもなんだかいろいろ心配だったので、一応主の後はつけていた。
ひょいと木の上からのぞいてみれば、顔を真っ赤にした幸村が政宗の前に現れたところだった。
「久しぶりだな」
「あ、そ、それが、しは」
ぱくぱくと口を動かす幸村の前で、兜も鎧もない政宗は薄く笑う。
濃い色の着物がよく似合うのだなと佐助は思ったのだけど、すぐに視線がその真後ろにいた人へと吸いつけられた。
「名代ご苦労。すぐに客間へ案内させよう。俺は今から出るが夕餉には戻る」
「あ……は、はい」
しゅんと気落ちしたのが見なくてもわかるほど明らかに声に出ていたのだけど、佐助はそんなことにも気がつかず独眼竜の背後の男を凝視していた。

「Okay, 一緒に来い真田」
「え……い、いいのでござるか!」
「Of corse. ちゃんとついて来いよ、understand?」
さっさと歩き出した政宗に、慌てた幸村がついていく。
だが動いていった主を佐助は追わず、呆けたように先ほどから動かない男を見つめている。

男は歩いていった主を追うわけでもなく、何気なく腰をかがめて足元にある棒を拾う。
そんなものをどうするのかと目を凝らしてみていたら、まっすぐにこちらへ飛んできた。
「うわっ!?」
ドスンと尻餅、のような屈辱はなかったものの、思いっきり木から落ちた佐助はやっべぇと青くなる。
この状況だ、殺されても文句の欠片も言えやしない。

仕方ないので自分を落とした男を見上げる。
記憶にあるのと同じの、怖い顔した男前だった。
「……」
何か言うべきかと思ったが、思えば彼は忍が口をきけるような相手ではなかった。
だが以前声をかけられたのは事実で、どうしようか。
「てめぇ挨拶もできねぇのか」
低い声で言われて、佐助の肩が跳ねる。
「あ……の」
気の利いた言葉の一つも出てこない佐助を見下ろして、小十郎は首をかしげた。
「忘れたわけじゃねぇだろう。久しぶりだな、猿飛佐助」
「っ!!」


なまえを、よばれることが、
こんなに胸が痛くなるなんて、知らなかった。




(嗚呼、やっぱり)



いつでも思って思い出して苦しくて
目が話せなくて挙動に心が高鳴って
名前を呼ばれるだけでこんなに胸が痛いなんて


(無理無理、認めるよ。どうやら俺様、)





このおひとが、すきらしい。



 

 

 

 

 


***

最後はしった自覚がある。
でもこれでいいんだ(待