<初めての見張り番>




僕は平次郎。
初めての任務に緊張しています。


と言ってしまうとあっさり終わってしまうのですが、先日から四番櫓の見張り番に抜擢されました!
この江戸城はお殿様が住まうお城ですから、当然警備も厳しいのです。
簡単に説明しますと……

このお城は敷地の四方に櫓が立ってて、常任している見張り番が数名必ずいます。
門番とはまた別で。
この櫓の番号は四番櫓。大奥とお殿様の寝所に最も近い最も重要な位置です!
そこの見張り番に抜擢されたとのことで、先日父上にお伝えしたら感涙でむせび泣いておられました。
家のためにも、お殿様のためにも、僕は今晩の見張りを完全にやりきって見せます!
ゆくゆくは……ゆくゆくは見張り番だけではなく、内部の仕事もやってみたいものです!


「へい! 今晩はよろしくな!」
「へ、へい?」
いきなり呼びかけられて驚きました。
声をかけてきた先輩とは別の先輩がにやにや笑いながら近づいてきます。
「おっと、そーりー! 俺達ぁ筆頭の昔からの部下だからなぁ、筆っと……お殿様の口癖が移っちまってんだよ」
「そ、そーりー?」
あ、筆頭っていうのはお殿様のことですね。
天下統一を成し遂げられる前は、奥州の筆頭だったので筆頭と呼ぶ方もいるようです。
うっかりらしいんですけど、お殿様は特に気にしていないので好きに呼ぶという先輩もいらっしゃいます。

「悪ぃって意味だ。「へい」は「よぉ」って意味だぜ」
「ここの四番櫓は奥州出身の奴が多いんだけどよ、やっぱ世代交代ってのがあるからさ」
「お前には期待してるぜ、ゆーしー?」
「は、はいっ!!」
よくわかりませんが、先輩方の激励を受けたのはわかりました!
あと僕が期待されてるってのもなんかわかりました!
平次郎、頑張ります!!

「よし、そろそろ俺達の当番だ。暗くなってくるが四方によーく目ぇ凝らしておけよー」
「はい!」
日中の見張りもなかなか大変ですが、日没後の見張りはもっと大変です。
風で木の枝がそよいでいるだけなのか、忍なのか獣なのか、その見極めが難しいのです。
「ふぁああ、なーんも起きないといいんだけどなあ」
先輩が欠伸をしながら外を見ています。
俺は大事なものを見落とすといけないからと、やや内側の方を見させられていました。
「お殿様が夢見た天下泰平の世の中だ。そうそう何かもあるまいさ」
「そりゃそうだ」

あっはっは、と笑いあう先輩には加われず、僕はじーっと目を凝らしていました。
ぐるりと建物を囲っている塀と、そこについている門と、その先の敷地……

僕の見ている先で、何かがうごめきました。
最初は風かと思いましたが、ガチャリという金属音で僕は目を見開きました。
しかも人影は二つ! 服装は黒っぽい着物です。
片方は妙に長い何かを持っています……まさか、槍!?
その人影二つが抜けていく先は…………城の裏手の畑の先!

こ……これは、これは曲者だ!
「先輩っ! 曲者です!」
「な、なんだって? どこに………………げ」
「うわぁ……」
僕の指差した人影を認めた先輩二人は、途端に真青になりました。
確かに、曲者は中から外へと行きました。つまり櫓番の誰かが進入を見逃したことになるのです。
これは大事です!
「曲者ですよね!」
「…………まあ、ある意味曲者だ」
ある意味?
先輩の言っている意味がよくわからなかった僕に、もう一人の先輩が両肩を押さえて言い聞かせてきました。
「いいか、一度しかいわねぇぜ」
「は、はい!」

「片倉様の所へ報告に行け。お部屋は当然わかるな? そこで一言だけ「決闘です」と言うんだ」
「は、はい?」
「片倉様にはそれで通じる。ただ、けして中を見ちゃいけねぇ」
間近に迫っている先輩の顔も目も声も怖くて、僕は目を見開いてこくこく頷くだけです。
「そうだ、中が静かだったら一言言えばいい。もし中から声が聞こえていたら……障子をな、少しだけ開けるんだ。それをパシン! と強く閉めてから一言言えばいい」
「いいか、絶対に中を見ちゃいけねぇぞ」
「は……はい」

絶対に中を見てはいけない。
その言葉がぐわんぐわん頭の中で反響しています。
僕は転びそうになりながら櫓を降りました。

片倉様というのは大老様のことです。
お殿様の昔からの右腕で、竜の右目とも称される文武に秀でたお方だと聞いています。
もちろん僕風情がお顔を見たことはないのですが……
まさかお部屋に直接行くことになるなんて……

緊張で足が動かなくなりそうです。


大老様のお部屋は櫓から遠くはありません。
息を少しだけ整えて、僕はお部屋に近づきます。

ええと、たしか……


「……っぁ……」
え?
ええと、目の前にあるのは大老様のお部屋だから……
「っぁ……んっ、あっ、ぁっ、あ」

なかから、こえが、きこえました。



僕は多分十秒以上そのまま固まっていたと思われます。
必死に首を振って我を取り戻しましたが、元服はしていてもまだそれほど大人とはいえない僕に、その……ええと、中からの「声」は厳しいものです。
ええと、つまりその「声」は、普通の話し声とかではなく……つまり、む、む、む、睦言の声だったんですっ!!

先輩がどうして「中をけして見てはいけない」と念を押したのか今わかりましたよ!
そりゃあ僕だって見たくないです! じゃなくて、どうしようこの状況!!

ええと、確か先輩は……
『障子をな、少しだけあけるんだ。それをパシン! と強く締めてから一言言えばいい』
でした、よね!



え、え、え、障子、開けるんですか……!?
あけちゃうんですか! この状況で!
いや、でも、ええと、この状況で声を出しても気が付いてもらえるかもわからない、し……



ガタガタガタと手が震えだします。ついでに膝も笑っています。
歯もカチカチ言ってます。障子を閉める音より僕の立てる音のほうがうるさそうです……

僕は震える手で、ほんの少し。
そう、指一本入るかどうかぐらいだけ開いて。



思いっきり目を閉じて。
渾身の力で閉めました。



パシャンッ!!




その瞬間、しん、と部屋が静まり返りました。
からっからに乾いた喉で、僕は何とか声を発します。
「け、け、決闘です!!」
ゴトン、と音がします。
早く立ち去らないといけないと何かが訴えかけてくるのですが、僕の足はがっちがちに固まってちっとも言うコトを聞いてくれません。

その後もバシンとかバタンとかバサバサとかジャキンとか音が響いています。
もちろん中の様子なんてわかりませんし、知りたくもありません。
僕は、早くここから、逃げ出したいです。
でも足が動かないのです。

ガクガク震えながら動きのない障子を見上げていたのは、数刻にも思えました。
青白く闇の中に浮き上がっている襖は。

スッパーン

軽快な音を立てて闇を切り裂きます。
そこに立って、いた、のは……

























ぱたり、と平次郎はその場に倒れた。
倒れたというより腰を抜かし、ついでに膝が馬鹿になったのである。
障子を開け放ち憤怒の形相で庭に出た小十郎はそんな憐れな新米見張り兵を一瞥すらせず、着流しのままさっさと歩みを進める。
乱れた髪もそのままなので、前に落ちてきたうざったい髪を片手で撫で付けた。

反対側の手には、愛刀が握られている。
「……」
鬼のごとくと言うか鬼そのものの表情で、小十郎は大股に歩みを進める。
そして先だって不審者二名が出て行った後を真っ直ぐ追いかけたのであった。
























…………僕は、どうやら気を失っていたらしいです。
駆け寄ってきた先輩に肩を叩かれて正気に戻りました。
「おい、大丈夫か平次郎!」
「だい、じょぶじゃ、ないです……」
「悪かったなぁ、今晩の片倉様の機嫌の悪さぁなんばーわんだ」
「先日までバタバタしてたみたいだしなあ」
「あ、あの……」

大老様はどうして単身で。
刀を握って。
ええと声についてはおいといて!

「まあ落ち着け平次郎」
「って、先輩ここに来ていいんですか!? 見張りは」
「あー、見張りは大丈夫だ」
「なんで! お殿様はおやすみじゃ」
立ち上がれない僕をおぶって、先輩は苦笑する。

「平次郎が曲者って言っただろ」
「はい」
「アレ、お殿様」
「……はい?」
「まあ、見張ってればそのうち帰ってくるさ」
本当にあの方は変わらねぇんだからなぁ、と呟いた声は呆れているのか誇らしげなのか、それとも別の何かなのか僕にはわからなかった。
お殿様を曲者を言ってしまったことは大変無礼なことだったのだけど。

…………だけど、あんなところからあんな時間にあんな格好で出て行って、誤解されないほうがおかしいと思うんですけど!!
ああ、打ち首!? まさか侮辱罪で打ち首ですか!?






***

新米兵士乙君の「初めての見張り番」でした。
乙ではあんまりなので平次郎になりました。







空気が、重い。

あちらそちらに切り傷を作った第一代目将軍伊達藤次郎政宗と、その側用人であり嫡男虎菊丸の教育係である真田源次郎幸村は、武器を両手に提げてゆっくりと帰路についていた。
彼らは天下統一をも成し遂げた天下of天下人である。
本来ならば何かに恐怖するはずなどないのに、今の彼らは蒼白で震え……つまり間違いなく恐怖していた。

チャキリ

二人の背後でまたも刀が鳴る。
わざとだ。絶対わざとである。

チキチキ

再び鳴る音が意味することは明白だ。
そんな事せずとも、押しつぶされそうな殺気と怒気が背後から雪崩のように襲いかかってきている。
ついでに殺気は真上からも惜しみなく降り注がれていた。
姿は見えずとも確信できる。彼が闇にまぎれてそこにいる。
下手すると視線以外のナニカが降ってきそうである。彼は現役の忍隊隊長なのだ。

「……政宗殿、某達はまずいことをしたのでござるな……」
最小限にひそめられた耳打ちをうけて、政宗は記憶をたどる。
そもそも政宗が幸村を連れ出して決闘(もといガチ本気の訓練)なんてしようとしたのは、うず高く積もった仕事がどうにか片付いたからだった気がする。
「そういえば昨日決算が終わったよう、な、……」
言いながら自分で青ざめた。つまり昨日までは当然政宗の右目も仕事で忙殺されていたのだ。
「早く言うでござる!!」
同じく真青になった幸村が涙目で政宗を責めるが、なんとも言い返せない。


「政宗様」
冷ややかな声をかけられ、ギギギと振り返る。
だが怖くて声をかけてきた本人を視界には入れられない。
「明日、というかもう今日でございましょうが、俺と猿飛は休暇を取らせていただきます。よろしいですかな?」
絶対零度の視線に声。それが上からも背後からも落ちてくる。
幸村は泣き出す直前だったが、正直政宗も泣きたい。
「お……of corse! もちろんだ! きょ、今日だけとは言わず明日も明後日も取っていいぜ!」
上擦った声で休暇を了承すると、ありがとうございますと冷たい感謝の言葉が返ってくる。
こわい。
ものすごくとってもすっごくこわい。


城までの僅かな距離を歩きながら、政宗と幸村は絶賛大反省をしていた。



 





***
平次郎の首はモチロン無事です。
青年はこうやって強くなっていきます。