――その姿を見た瞬間、佐助はその場から逃げ出したくなった。
そう思ってもおかしくはなかったはず、というか当然だったと思う。
だってこんなの逃げ出したくもなりますよね!?
<てんこかめん>
武田城には名物として武田道場とかいうものがあって、時々旦那だったり一般兵だったりが特訓を行っている。
一般兵の訓練はカラクリがあるからいいんだけど、旦那の場合はそれだけじゃ足りないから、俺様とか大将が相手をする。
……その時に、まぁ、ちょっと仮面を被って天狐仮面とか名乗ったりしてるんだけど。
正直これ以上なく恥ずかしい。
大将の命令じゃなかったらすぐにでも外したい、そもそも付けている意味がない。
でも旦那は気付いてないらしく、俺、つまり猿飛佐助の知り合いだと思っているらしい。
恥ずかしい変装(というより仮装だ)に気付かれていなくてほっとする反面、気付かない旦那の頭がちょっと心配だったりするんですけど。
とにかく、俺様が天狐仮面になるのは、旦那が道場をしようする時だ。
だから、大将から仮面をつけて待機しているようにと命じられた時は、「あ、また旦那道場使うんだ」と思っただけだった。
先週もやったばっかりなのに、よっぽど気に入ってるんだなぁ。
でも、目の前に立っているのは、旦那じゃなかった。
そもそも武田の人間じゃなかった。
「…………」
「…………」
無言のまま対面する。
だって何言っていいかわかんないじゃん!
なんで小十郎さんここにいるの!?
「……こ、こんちわー?」
「何やってんだ、猿飛」
ものすっごい怪訝そうな声で言われた。
そうですよね、普通すぐに気付きますよね。
ていうかなんでいるのほんと。
ここ武田だよ? しかも訓練のための道場だよ?
竜の旦那の目付けがあるからほいほい奥州を離れられないって言ったの小十郎さんじゃなかったっけ?
予想外の出来事に、俺様はぽけっと口を開けたものの、言葉は何も出なかった。
こんな姿を見られて恥ずかしいのと、予想外の事態に処理が追いついていないのと、あと。
「ずいぶんと楽しい遊びをしてるんだなぁ」
口元を吊り上げて笑う小十郎さんは怖かった。
――着流しなんて、伊達城でもほとんどしてなかったくせに!
上半身をかなり惜しげもなく晒した格好と、いつもより三割ほど増している迫力は、たぶん不機嫌さからくるものだ。
……いや、まぁ、ちょっと喧嘩みたいなものをして、一月半ほど顔を見せなかったのは自分だけれど、まさかこんな状況で再会した挙句に不機嫌にあてられるとは思ってなかった。
確かに着流しの小十郎さんは格好いいんだけど!
上半身裸の時とはまた違う魅力があってドキドキするんだけど!!
でも今は怖くて心臓がドキドキ言ってます!!
「……お、れさま、は、天弧仮面デス」
「…………」
「猿飛佐助の知り合いデス」
「……そうか」
ああ、鼻で笑われた。
だってここで仮面取ったら大将怒るんだもん。
しかもどう顔を合わせろっていうのさ!
もちろん喧嘩からくる気まずさもあるけど、それ以前にこんな仮装を見られた時点で俺様としては逃げ出すもしくは他人としてのスタイルを貫いておきたかった。
小十郎さんが抜き身のままだった剣を軽く振るう。
笑みが怖い。極殺モード入ってませんか小十郎さん。
引きつった笑みを浮かべた俺様に小十郎さんも気付いただろうけど、あの人は余計に怖い笑みを浮かべるだけで、容赦はしてくれなかった。
結果としては、もちろん負けました。
しかも瞬殺。
旦那の時でももうちょっと粘れるはずなんだけど、そりゃもうあっさりざっくりやられました。
床に伏して微動だにしない俺様の前にしゃがんで、小十郎さんが声をかけてきた。
「おい」
「……今死亡中デス」
「いいから起きろ」
べり、と床から引き剥がされる。
視界が一気に高くなったと思ったら、小十郎さんに肩に担がれていた。
「お、降ろして!」
「約束通り、こいつはもらってく」
「承知した」
「へ」
いつも上の方で見ている大将と小十郎のやりとりに、俺様は仮面の下で目を瞬かせた。
何時の間に密約を。つーかやり取りの対象って俺様!?
じたばたと暴れたところで、さっき容赦なく打ちのめされた体は節々が痛くて、小十郎さんにがっちり抱えられた状態では逃げられない。
「大人しくしてねーと落とすぞ」
「…………」
……それ、落としてから言う科白じゃないですよね。
再び仲良くなった床の上で悶えた佐助の視界が広くなった。
仮面を取られたと気付いて、慌てて取り戻そうと手を伸ばす。
指が触れたのは仮面のひんやりとした陶器のつるりとした冷たさではなくて、筋とたこでごつごつとした、人肌の温かさだった。
「おい、佐助」
「……なんですか、カタクラサン」
手をにぎにぎされて、なんだか落ち着かなくて俺様は無意味に視線をさ迷わせた。
そうしたら顎をつかまれて顔を固定された。
「ちょ、ちょっとまった!!」
近づいてきた顔にこの先を察して、俺様は慌てて相手の口元を手で覆う事で回避した。
小十郎さんの目元が不機嫌に彩られる。
……ちょっとだけひるんだけれど、こっちにだって言い分はある。
「大将いるんだから!」
「武田ならすでにいないぞ」
「え」
あっけなく手をどかされて、そう言われる。
気配を探ると、なるほど、本当にいない。
てーことは小十郎さんと二人きりですか。泣いても叫んでも助けはこないってこの状況!?
「だ、だいたいなんで小十郎さんがここにいるのさ!」
「てめーが顔を見せねーからだろうが」
「……あ」
「なんだか怒ってたみてーだし、そのうちまたひょっこり現れるかと思ったらとんと音沙汰ねぇし……そうしたら、政宗様に武田に書状を持って行けと追い出された」
「あー……」
普通側近に書状なんて持たせないから、たぶんそれは口実だったんだろうけれど。
「つーわけで安心しろ」
ごろん、と転がされて仰向けにされてのしかかられた。
髪に手が差し入れられて、頭具を取られる。
もう片方が服を脱がそうとするのを必死で押しとどめながら、俺様は叫んだ。
「だから、それが嫌なんだってばー!!!!」
***
落とす。
佐助は普通にいちゃいちゃしたいのに、くっついていくと小十郎がすぐそっちに持っていってしまうのが不満なのでありました。
そういうところの不満がきちんといえるのは佐助だと思います。