<切れて零れて>
 





珍しく多く書き連ねられた書を読む。
それは武田信玄から小十郎へあてられたものであった。
いつもは主君の将軍宛かたまにその側近へなのに。
「読み終えたら返事書いてくださね、小十郎さん」
ことりと小十郎の前に湯飲みを置いて、佐助は笑う。
「今すぐか」
「別にいいとは思うけど、なるべく早めで。なになに、面白いこと書いてあった?」

読むか? とひらり一枚向けられて、佐助はいいの?と首をかしげる。
よくなかったら見せてねぇよと言われ、それもそうだと手に取った。
「……ええとなにな……っておぃいいいい!?」
絶叫した佐助は珍しい。
小十郎の頬はこんな状況でなくば少しは緩むのだが。
「何ににやけてんの小十郎さん!」
「なんでもねぇ」
「嬉しいのこんなこと言われて! ってゆーかあんた奥さんいるし!」
「側室ぐらい持てと政宗様が」
「従わないで!?」

いいじゃねぇかと小十郎は言った。
よかぁないよと佐助はそっぽを向く。
それがつまらなかったので、手を伸ばして顎に手をかけた。
「俺じゃ不満か?」
「そういう問題じゃないんですけどねえ。もう今更遅いかなあ」
手紙をはらりと書き物机の上に落として佐助は苦笑した。


まだ太陽は高いんだけどと言う佐助に今更だなと笑う。
今日も今日とて、主と側近は二人揃って城にはいない。
だからいきなり呼ばれることもない。

ついでに小十郎は今、暇だった。





やめてよとか俺様訓練がとか、手紙引取りに才蔵くるからとか。
いつものように言い訳を繰り返す佐助の着物をひき下ろしながら、口付ける。
ここ数日珍しく小十郎が外に出ていた所為で、触れ合うのは久しぶりだ。
本当なら昨晩の予定だったのだが、佐助が仕事だったから堪えていたのだ。

「いちいちうるせぇよ、どうせ最後はあんあん啼くくせに」
「そーゆーこと言わないでくれます!? ヤってんのは小十郎さんでしょ!」
「嫌なら変わり身の術でも使って逃げればいい」
本気で拒絶しても聞いてやる気はしないが、さすがに忍の術で逃げられたら小十郎にはどうにもできない。
「……次会ったときが怖いよ」
「殴りはしねぇよ」
「気絶はさせられそうですが!?」
「ちぃと傷つけるかもな」
本音を言うと、佐助の顔がこわばった。
「しゃれになんないよ。何だってそう猟奇的なのさ」

ただそうしたいのだと言えば、佐助はやめてくれよというだろう。
何度か繰り返した問答だったので、違う答えを用意した。
「てめぇだけだ」
「は、い?」
「猿飛佐助、てめぇだけだ。俺が嬲るのも捉えるのも、傷をつけるのも」
女は泣かせない。傷つけない。
小十郎とて愛おしむことはできる。大切に壊れ物を扱うように、大事にすることは不可能ではない。
妻や、息子は、そうやって大事にしている。


けれど佐助は違う。
苛める。泣かせる。血を流させることだってある。
痛いと泣いてやめてと泣いて、離してともがく佐助に陶酔感を覚える。

「っう……ずるいよ」
小十郎サン、と視線をそむけて佐助は呼んだ。
何もしていないのにもう涙声だ。
「なぜ泣く」
「……そんなこと、そんな顔で言うから」
伸ばされた指が小十郎の頬をなぞった。
そのまま耳へ絡み付いて、後頭部を抱いて引き寄せる。

「いいよ、俺様傷つけて。血を出して泣かせて喘がせて」
ぜんぶあげる、と優しく佐助は言う。
「ほとんど旦那にあげちゃってるけど、俺の残りは全部あげる。汚い俺も惨めな俺も、あなたに俺の「猿飛」をあげる。俺が、あげたい」
だからさ、と泣きそうな声で佐助は言う。
「俺は傍にいるよ、居させてよ」

居させないとは言っていない。
だから彼が何でそんなことを言うのか小十郎はわからなかったが、彼はたまにそういうことがある。
そういう時、小十郎は何も言わないことにしている。

何か言うときっとまた彼は泣くから。



背中に腕を回して抱きしめると、か細い声で彼は呟いた。



「俺は小十郎さん、好きだよ。ただの小十郎を、愛しているよ」


その言葉に小十郎は何も返せなかった。けれど。






















かさりと風で書が動く。
畳の上に落ちてきたそれを手を伸ばして拾い上げる。
しがみつくように寝ていた佐助がううんと声を上げるのを、そっと赤髪を撫でて落ち着かせながら、書を元の位置に戻す。


早く佐助と落ち着けとそんな内容が書いてあった、といえば若干嘘になる。
正確に言えば「はよう祝言を」と言われても、大老の小十郎と一家臣である真田の側用人の佐助(最近は将軍のも兼ねる)が以下略という関係になればさすがに波が立つだろう。
天下泰平を成し遂げて数年。そんなことを自ら起こそうとは思わない。

「まあ、そのうち考えてやる」
額に汗で張り付いた髪をのけながら、小十郎は笑う。
「……しかし祝言て……白無垢はどっちが着るんだ」
白無垢姿の佐助の姿を想像すると笑えて来た。似合うといえなくもないが壮絶に似合わない気もする。
自分は論外だ。二人とも袴姿の祝言など冗談ではない。


なんだやっぱり無理じゃねぇか。
そう思うと一瞬でも真面目に考えた自分が滑稽で、小十郎はくくくと笑う。
もう一度手を伸ばして佐助の額をあけて、緩やかに呼吸する彼の顔を覗き込んで、思った。


彼はしたいのだろうか。
もしそう言うなら、やっぱり考えてやろう。
その場合白無垢は、佐助が着ることになるのだが。




「……嗚呼、だけどな」
どうしても嫌だというなら。
それでもしたいというなら。
「着てやるぜ、それでテメェが満足するなら」
それで切れぬ絆ができるなら。

零れぬ縁で満ちるなら。




 

 

 



***
小十郎の頭に花が咲いています。