彼が気味が悪いほど優しかった。夢だから当然かもしれないが。

洞窟の中で蹲っているところに奇跡的に現れて、びしょ濡れのまま近づいて。
やられたのかと聞かれた、やられちゃったとよ笑うと毒が入ってるなとも言われた。
そーなんですよまいっちゃうよねえ、俺様の解毒剤でも効かないとかなにごと? とけらけら笑っている佐助の額に手を当てられる。

「冷てえ」
「片倉さんが温めてよ」
戯言で頼んでみると、少し黙ってろと舌打ちする。
夢のはずなのに、そんなところがどうしようもなく彼らしい。


本当なら彼がこんなところに来るはずがない。
今は戦中だ。相手は伊達ではないけれど、奥州よりずっと南でやっている。
だから、同盟を結んでいるだけで関係がない小十郎が政宗の傍を離れてこんなところに来るはずがない。

……真田の旦那、ちゃんと敵の大将取ったかな。
ぼんやり思っていると、こつんと額が温くなる。
「ん?」
「世話かけさすんじゃねぇよ、忍」
頭突きのなりそこないをしてきた小十郎は、額を離すことなく呟く。
「片倉さんが世話やいてくれるのはしあわせです」
にっこりと笑って、佐助は小十郎の首に手を回す。
何だか溜息をつかれて、それから背中を撫でられた、気もする。






夢のような人だから
夢とともに消えたのだ


 


<サイアイ>

 



目を開ける前、に。
確かに手の平に温もりが、あった。

「あれ」
それなのにそこは、ものすごく思いきり先ほどの洞窟だった。
音はしない。いや、雨音だけがやけに煩く響く。
「……なぁんだ」
温もりがあった錯覚はするすると指の間を抜けて去っていく。
それとほぼ同時に痛みがぶり返してきたけれど、痛さの種類が微妙に違う。
これは本格的にまずいんじゃないかなー、とは思ったが手持ちの解毒剤は全て試してみたし、今から外に彷徨い出て薬草を探したら野垂れ死に確定だ。

そうだよねぇ、と苦しい中佐助は苦笑する。
「片倉さんがくるわけ、ないじゃんね」
いたたた、と言いながら身体を少し動かす。
外は暗くて、雨だ。
戦は終わったのだろうか。さすがに丸一日眠りこけていたとは思わないのだが。

さむいなあ。
呟いて目を閉じると、何だか近くに彼がいる気がする。
おかしいな俺様、こういうときは真田の旦那じゃないんだ。
自嘲してから、彼にはこんな役に立たない姿は見せたくないなと思って納得した。


小十郎にとって佐助は限りなく無価値であると思う。
だからこそ心地いいというのは逆説めいているかもしれないし、一等の皮肉だと思ってもいる。
佐助にとっての小十郎はまったく無価値ではないのだけれど、彼はそんなことすら気にしないのだろうと思う。
「とおい、なあ」
ここから何日、ぐらいかかるだろうか。
今の怪我じゃあ、奥州の端に足を踏み入れる前に死ぬけれど。

一番言いたい言葉をこぼす事すらせず、佐助は代わりに彼の名前を呼ぶ。
「こじゅうろう、さん」
今まで彼をそう呼んだことはないのだけど、夢の中でなら使ってもいいだろうともう。
この怪我と毒のカンジだと、もって行かれるのに半日ぐらいはかかりそうだ。
その間に、さっきのような彼を見たまま逝けるといいのに。


「いけないいけない、忍なのに逃避だね」
わざと明るい声で言ったのに、逆効果で涙が落ちる。
やっべえと目を片手で覆って、嗤った。


もうこうなったら、言ってしまおうか。
どうせ彼はいないのだ。もう、会うことも。
そう思ってしまうと、するりと今まであれだけ躊躇ってた言葉が零れた。
「あいたい……すきだよ……こじゅうろうさん」
未練ばかりで、情けない。
ここは自分の失態を主である幸村に詫びて、真田の行く末を少しだけ心配しながら、でも旦那はもう大丈夫と思いつつ静かに眠るように死ぬ。
闇から生まれ闇で生き闇へと静かに帰る。それが忍だ。

それなのに佐助は今、届かない思慕を口にして。
未練ばかりで、ちっとも静かでも潔くもない。
忍らしくない。
「ちくしょう」
ああ、だけど少しだけ心の隅が暖かい。
好きだと彼に言うことは無かったし、言ったって冗談だとされるのがオチだし、よしんば本気であることが伝わっても。
(……うん、それは最悪)
そうなりはしなかった。佐助は小十郎に何も伝えていない。
だから小十郎も何も知らない。知っていても気にしないかもしれないけど。

愛されたいわけじゃなかった。
ただ、

「……っ、ほん、と、カッコ悪……!」
涙腺がゆるすぎる。こんなの全然自分じゃない。
そう思いながらまだ自由なほうの手でごしごし頬を拭った。
擦れて痛い。
「あいたい……よ」
夢でもいいから、俺様のところに来てよ。
そう言って、たしかにそうは言って。
佐助はゆっくりと身体から力を抜く。










次に目を開けたのは、どのぐらい後だかわからない。
だけど今度は小十郎がいた。雨にやっぱり濡れている。
「こじゅうろう、さん」
小さく呼んでみると振り返る。
それから手を伸ばして頬に触れた。
(ああ、夢、だよねえ)
いつも小十郎ならしてこないようなことをしてくるから、佐助は少し悲しくなる。
けれども、どうせ夢なら。もう最後かもしれないから。

「こじゅうろうさん」
腕をつかんで引っ張って、広い胸に額をこすりつける。
彼は何も言わなくて、それがものすごく小十郎らしいと思ってしまって、けれど本物の彼は遠くに居て。
だけど、その温かさは小十郎そのものだったから。
「ぅぁ……あっ」
夢ならいいやと、佐助は泣いた。
小十郎は身を引くことはせず、抱き寄せることもしない。
どうせなら抱きしめてくれればいいのにとか冷めた頭のどこかで考えていたら、柔らかく髪を撫でられた。
それがものすごく嬉しくて、もっと泣いていたらこうしてくれたのかなとか思った。
「こじゅうろう、さん」
ごめんね、と佐助は謝った。
「全部中途半端なままで、はは、俺様の生き方みたいだけどさ」

何か返してくれることを期待して、佐助は彼の臭いを吸い込む。
少し雨の香りがするけど、確かに小十郎の臭いだった。
「……こじゅうろうさんの、隣で死ねるなら、本望だよ」
そういうと、真田はどうしたといわれた。
「旦那の隣で死ぬたく、ないよ。重いじゃん」
「俺はいいのか」
「うん。俺のことなんてすぐ、忘れるでしょ」
でもね、と佐助は動くほうの手を小十郎の背中に回す。

温かい。

「俺は忘れないからね。こじゅうろうさんのこと、覚えてるよ」
初めてだったんだよ、と佐助は教えてやる。
本当の小十郎はこれも知らないままなのか。ちょっともったいないけど、佐助の秘密。
「こんなに、人に恋したの」
佐助の世界は、幸村と信玄と、古馴染みのかすがと部下と。
今はそれに政宗が入るかもしれない。
でも、大事なのはそれぐらい。あとは「その他大勢」でしかなかった。

けれど小十郎はぜんぜん違った。
誰とも似ていなかった。その他ではなかった。けれど主でも、古馴染みでも、政宗のように軽口を叩く仲でもなかった。
外からどう見えていたのか、佐助にはよくわからない。
小十郎と佐助の関係について、否定的なことを言ってきた輩がいないからだ。
だからという訳ではないが、佐助は。
「おれさま、しあわせだったよ」
小十郎の顔が見たくなったけど、やめた。
佐助が想像できないのだから、夢でわかるとも思えない。

「もう、あえない、けど」
少しずつ、言葉が零れていく。
なんと言えばいいかわからなくなっていく中、佐助は必死に口を動かした。
「はなれ、たく、ない、けど」

しがみついていたはずの手にも力が入らない。
後もう少しなんだと、わかった。
あと何言、言えるだろうか。

(いや、いいんだ)
彼に伝えたいことは、一つしかない。
会えないことや離れていくことを口惜しく思うのは佐助であって、小十郎には関係ない。
だから佐助は、旦那をよろしくと、普通に言ってから。
ぐらりと傾く身体を支えようとはせず、そのまま倒れていきながら。

無表情の小十郎に、なるべく、綺麗に、微笑む。


「しあわせ、にね」


嗚呼、やっぱり笑ったほうがいい、かな。






背中が岩肌につく前に。
佐助は闇におちていった。


 

 



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BGM:「最愛」by 福山雅治