<願望>
こども、ほしいなあ。
小十郎の背中に体重をかけていた忍が唐突にそう言って、小十郎は瞠目した。
「俺はいるが」
会っていくか、と投槍に返すと、そういう意味じゃないんですよ、と溜息交じりに返される。
「養子でも取ればいいだろうが」
「あのねえ、俺様忍ですよ。嫁さんなんてもらっても意味ないじゃん」
「そうなのか」
「……伊達の忍は違うの?」
ああ、と低い声で小十郎は返す。
忍の統括をしているのは小十郎ではないが、家老という立場上その実態は知っている。
伊達家の忍はもちろん忍だから、その仕事は佐助のものとよく似ている。
けれど、彼らは家庭を作る。くの一も結婚する者が多い。
もちろん子供を持つ者も。
そう言ってやると、くったりとしていた佐助の雰囲気が変わった。
「なにそれ」
珍しく、彼の声に嫌悪感が滲む。きっと顔をしかめているのだろう。それとも無表情か。
「考え方の相違だろうな」
「忍ってのはね、取替えの効く道具なの」
忍自身がそれをいうと、どうにも痛々しい。
佐助に自覚はないだろうが、今の言葉を聞いたら主がなんと言うかは考えないのだろうか。
「例えばさ、片倉の旦那はもし戦場で死んだら、なにを願います?」
「政宗様の天下統一」
「自分ことをさ、覚えててほしい? 忘れてほしい?」
そんなこと、と小十郎は言った。
考えるまでもない。
「覚えていてほしい」
できれば、忘れないでほしい。
痛みを背負えとは言っていない。苦しんでほしいとも言っていない。
だが、もし政宗がその人生のどこかでとうに死した小十郎を思い出してくれるのなら。
例えば天下を取った瞬間に思い返してくれるのなら。
例えば息を引き取る間際に思い出してくれるのなら。
其れほど名誉なことはない。
家臣として武士として、主を頂くものとして当然のことだ。
「うん、片倉の旦那はそれでいい。でも忍は違うんですよ」
俺はね、とどことなく誇らしげにすら、笑う。
「忘れてほしい。俺のことなんて綺麗に忘れてほしい」
「……」
主のために生き、主のために死ぬ。
それは小十郎と佐助の共通点であるのに。
切り返しに迷った末に、小十郎は口を開く。
「難儀だな」
忍も、とからかってやると、そうですねえと後ろの空気が和らいだ。
「で、何で子供なんだ」
最初のほうに会話を押し戻すと、わかんないの? とすねたような口調が帰ってくる。
わかんねぇなと言い返せば、証かなあと呟いた。
「証?」
「夫婦の証」
「子供がいねぇ夫婦もいる」
「そーじゃなくて」
他につながりが無いんだからさ、子供ぐらいいてもいいじゃない。
支離滅裂なことを言う佐助に、呆れ果てる。
子供ぐらいと言うよりは夫婦のつながりの最終段階が子供なのではないか。
一般的だと思われる意見を述べると、片倉の旦那もそんなこというんだーへーと驚かれた。
……不愉快だ。
「いらねぇつったりほしいつったり。子供をなんだと思ってんだ」
「………………旦那にだけは言われたくないねぇ」
そもそもさーと佐助がかけてくる体重が増える。
いい加減重いので向き直ろうとしたが、なんだか億劫で辞めた。
「んなことほざく前に嫁の一人でももらえ」
「人の話聞いてた? 俺様忍なの」
家族なんてもてないよ、と勝手なことを言いやがる。
「じゃあ子供がいたらどうすんだ」
「……どうしようねえ」
忍を辞めようとはね、ちっとも思わないんだよ。
だからねぇ、と妙に間延びした口調で言った。
「片倉サンに預けようかなあ」
「は?」
「いいじゃん、お父さんだし。面倒見てあげてよ」
「…………は?」
いきなり面妖なことを言った佐助は、くるりと体の位置を変える。
小十郎にかけていた体重があっけなく消えた。
その代わりに肩に腕が回る。すぐに体重もかけられたが。
「くの一だったら、子供も産めたのにねえ」
「……くの一だったら、テメェこの部屋にきてねぇだろうが」
正直に返すと、けらけらと笑われた。
「それはきっと、正解。でもきっと、不正解」
小十郎の肩に後ろから頭をこすり付けて、佐助はくつくつと笑い続ける。
あまりにもそれが長かったので、焦れて手を後ろに回すと腕をグいっと引っ張った。
「忍」
「なぁんですか」
「ほしいのか」
こども、と言われて。
佐助は甘く笑った。
うん
「俺の子か」
「できれば」
「どうすんだ」
「可愛がる」
べったべたに可愛がって、どっろどろに甘やかす。
小十郎の耳元で佐助は楽しそうに言う。
「それでね、片倉さんにそっくりのその子がさ、俺ばっかり見てたらいいなって」
「勝手な親だな」
「そうだねぇ」
思うだけならいいじゃない、と佐助は赤い髪を小十郎の首にこすりつける。
その動作が猫そのもので、いや猫にしてはずいぶんと大きいが。
「せめてね、俺がいなくなったら悲しそうな顔して、「佐助はどこに行った」って探し回ってほしいなぁ」
幾つの話だそれは、と呆れて溜息をついた。
幾つでもいいじゃない、と佐助は言う。
「旦那は探してくれるもの」
「……あれはあれだろ」
相当特殊じゃねぇかと言えば、確かに旦那は天性のものを感じるけどね、と少し寂しげに言った。
「片倉さんは、いけずだもの。子供ぐらい俺にかまってほしい」
「構ってやってるだろうが」
部屋に入れるだけでもずいぶんと僥倖だろ、と言ってやればそりゃそうなんだけどね、とぎゅうと抱きしめられる。
「こじゅうろう、さん」
ごめんね、と佐助は謝る。
何が言いたいのかわからねぇよと返したのに、ごめんねともう一度繰り返した。
それっきり動かない佐助の手甲を引っ張り下ろして、少し遠くに投げ捨てる。
露になった手の平に自分の手の平を重ねる。冷えていた手に同じく冷たい自分の手を重ねてそうだなァと言った。
「息子にな」
「……」
「弟か妹が出来た頃に、てめぇがちったぁ落ち着いてたら」
養子にやってもいいぜ、と言ってみた。
「ほ、んと?」
「完全に落ち着いてたらな」
「うん」
「期待はすんなよ」
念を押すと、手を握り返される。
「……あのね、片倉さん」
俺様、それだけで十分なんだよ。
相変わらず、この忍は判らない。
***
ところで小十郎ってもしかして息子一人しかいませんか。
お前そんなところまで政宗に遠慮しなくても。