政務の息抜きと右目を説得して、政宗が足早に奥へと向かっていた時。
遠くから泣き声が聞こえてきて足を止める。

「……とら、と……幸村、か?」
何があったんだとため息をついて、息抜きついでに足を向けた。








<取り合い>






「ゆき、ととさまは?」
「政宗殿はお仕事でござるよ。どうされた」
駆け寄ってきた幼子の視線にあわせてかがむと、きゅうと抱きつかれる。
よしよしとあやしながら抱き上げると、ねえ幸、と子供は首をかしげる。
「ととさまのところに行ってはだめか?」
「う〜む、今日は普通にご政務だとは思うが、もし客人がいてはご迷惑になるでござる」
「ゆきはいいのか?」
「某は虎菊丸殿と一緒にいるのが仕事でござるよ」

ふーんと呟いて虎菊丸は幸村の後ろにのびた髪の毛を弄ぶ。
くしゅくしゅと先っぽで首筋をくすぐられて、幸村は声を出して笑う。
「くすぐったいでござるよ」
「――ゆき、さすけは「げせんの者」なのか」
幼子がふいに口に出した言葉に、幸村は少し眉をひそめる。
幸村の髪で遊んでいる虎菊丸はそれには気がつかなかったようだが、答えない教育係へ不安を滲ませた。
「ゆき答えて」
「……誰が、そのようなことを」
「知らない。でもかかさまにいっていた」
「愛姫殿、に」
「かかさま、すごく怒っていらした。あんなかかさまは初めてだ」
その様子は幸村にも容易く想像できる。


将軍伊達政宗の正妻である愛姫は、たおやかで愛らしい外見に鈴のような声に穏やかな気質の女子だ。
だが、そこはさすがに政宗の妻。
怒った彼女は、鬼より怖い。


「「あのようなげせんの者を、いつまでおそばに置くのですか」って」
「……虎菊殿」
子供になんと言う言葉を聞かせるのか。愛姫の怒りも最もだ。
その場に己がいたら形がなくなるまで顔を殴ってやったのに、と物騒なことを思いながら幸村は虎菊丸を座敷に下ろす。
「ねえ、ゆき。さすけはこうさかの人だよな。どうしてげせんなのだ」
「佐助、は」
言うべきか少し迷う。


佐助は、高坂佐助は、元は忍だ。今でも忍隊の事実上の頭領をしている。
本当の名前かどうかは知らないが、あの頃の佐助は猿飛佐助と言った。
天下を統一した時、武田信玄は新しい世創りの代表者からその身を引くと宣言した。長き戦国の世に終止符を打ったのを見れただけで満足だと。
上杉謙信もそれに習った。

幸村と同じく、佐助も幕府に残ると決めた。当初佐助は忍隊の一員として日陰で暮らすつもりだったらしい。
だが彼を日陰者とすることを良しとしなかった政宗と信玄が先に手を打ち、佐助を信玄の腹心の部下の養子にした。

だから佐助は今、押しも押されぬ名家の三男なのだ。
でもそれは今であって、ここ数年のことでしかない。


「……佐助は、忍なのでござるよ」
「しのび?」
「はい。某たちを守ってくださる忍でござる。戦では率先して敵陣へ忍び込み、命を顧みず主君に仕える、見事な武士でござる」
「さすけは、もののふなんだな」
「はい。某と同じぐらい、それ以上の武士でございます」
うん、と虎菊丸は笑顔で頷いた。
それから正座の幸村の膝の上に乗る。

「虎菊丸殿?」
「よかった。とらはさすけが大好きだ」
「某も大好きでござる」
「ととさまもかかさまも大好き」
でも、と子供は幸村にくっついて小さく笑う。
その顔が父親になんだか似ていて、嬉しくなる。


「とらはゆきが一番好きだ」
「と、虎菊丸殿!」
慌てた幸村は顔を赤くする。
「そ、それがしがいちばんなど、お、おそれおおいでござる!」
「ううん、とらはゆきが一番」
額を幸村にこすり付けて幼子は笑う。


「ゆきはだれが一番好き?」

「そ、某は……」



















「……Okay, なんとなく判った」
泣きじゃくりながら事態を説明した幸村をぽかぽかと叩いていた虎菊丸を抱き上げて、政宗は苦笑する。
「虎、男の子だろ、泣くな」
「ととさまも、きらい〜!」
顔をぐしゃぐしゃにして泣く虎菊丸は足をばたつかせる。
落ち着かせるために胡坐をかいて抱きしめると、「きらい〜!」と叫んでいたのがだんだん小さくなっていく。

「父様はお前が好きだぜ」
「うう」
「虎は父様が嫌いか?」
「す、すき」
ごめんなさいととさま、と謝りながらまた泣き出した息子をあやし、政宗は笑う。
「お前はどうした幸村」
「……そ、それがし、虎菊丸殿に好かれるのは、その……っく」
「…………いい年して泣くなお前は」
しょがーねーなぁ、と政宗は手を伸ばして幸村の頭をぽんぽんとなでると、「うわあああああまさむねどのおおお」としがみつかれた。

腕の中に泣いてる息子、膝の上に泣きつく大人。
何だか政宗は逃げたくなってきたが、無関係ではないらしいので必死に堪える。
「そ、某は政宗殿が一番好きでござる!」
「……何言ってんだお前は、真昼間から、虎の前で」
案の定か、と政宗は溜息をつく。


虎菊丸が幸村が一番好きだといった。
教育係として常に一緒にいる幸村に懐くのは当たり前だろう。
子供心としては、幸村も虎菊丸が一番だよと言ってくれるのを期待したわけだし、大人としてはその対応が一番だ。
なのに政宗にしがみついて泣いてるこの馬鹿は、正直に虎菊丸が一番ではないとホザいたらしい。

「幼子とはいえ、嘘など申せませぬ!」
「嘘とかじゃなくてよ、なんでお前はそうなのかね……」
その真っ正直さを愛しているのはあるけれど、ここまで融通が聞かないとなると少しばかり頭がいたくなってくるのだが。
「と、ととさまは!」
ととさまはだれがすきなの! といきなり虎菊丸は叫びだす。
「Ah? 俺は……」

適当に言おうとして、政宗は言葉をつまらせた。

真剣に見てくる二対の目。



ヘタな嘘は、つけそうにない。




……どう、する?


























珍しく十日ほどにわたった任務から戻って来た佐助が、小十郎とゆっくりお茶を飲んでいる時だった。
十日間ご無沙汰であったわけだし、と早速いい感じになりながら、佐助が任務先の出来事の話をしていると……


「うわぁぁああああああああああああああああっ、さすけぇええええ!!」
号泣して駆け込んできた幸村が、がばっと佐助に抱きついて押し倒す。
ガンっと後頭部を打ち付けた佐助は、重いよ旦那!と絶叫する。
「どうした真田」
幸村の奇行にはもう慣れてしまった小十郎が淡々と聞く。
佐助の湯のみだけは咄嗟に横にどけていたが。
「かかかかかかたくらどのぉううう!」
「暑苦しい、俺によるな」
げし、と抱きつこうとした幸村に蹴りを入れて小十郎は佐助を助け起こす。
「あたたた、どうしたの旦那」
「ま、まさむねどのと、と、とらきくまるどの、が」

うわおおおおおおぉおおん! と突っ伏して泣き出す幸村に二人は真顔で「はやく出てけよ」と思っていたが表情には出さない。
どうせ下らんことなのだろうが、と前置きして小十郎は幸村にちゃんと座るように言った。
「どうした。政宗様と虎菊丸様がなにかやったのか」
「と、虎菊丸殿は、某が一番好きだとおっしゃって。でも某の一番は政宗殿であるので」

幸村の言葉を聞いて佐助は顔色を変える。
「旦那まさか、それ虎菊丸様に言ったの!?」
「う、うむ」
「……お前は言っていいことと悪いことの区別がつかんのか」
呆れはてて小十郎もそういうしかない。
相手はまだ五つの子供だ。
真面目に返してどうする。

あと五年もすれば「幸村なんかだいっきらいだ!」と言われるに決まっているというのに。
とちょっぴり昔を思い出してたそがれる小十郎@将軍様の教育係。


「それは旦那が悪いよ。政宗様に怒られたでしょ」
「ま、政宗殿が……!」





ととさまは誰が好きなの! と詰め寄られた政宗は。
ちょっとばかり考えてから、笑顔になって虎菊丸を抱きしめた。
「父様は虎が一番だな」
「ほ、ほんと?」
「だからな、虎」
涙に汚れた虎菊丸の頬を拭いながら、政宗は柔らかい笑顔を浮かべて。
「虎も一番は父様にしておけ」
その笑みに幸村と虎菊丸はしばし見とれ。

「うん!」

と、子供は笑顔で頷いて政宗にしがみついたのだ。
なおその瞬間幸村は政宗の膝から落とされた。





「……………………あのね旦那」
やってらんねーといわんばかりに小十郎はとっくに書を眺める作業に入っている。
佐助もやってらんねーと思った。心から思った。
神様仏様このおばかな主人をちょっとばかり暗殺したいです衝動的に。
「そりゃそうでしょ」
「わかっておる……」
「わかってるならいいじゃない」
「そ、某よりも嫡子の虎菊丸が愛おしいことなど某はわかっておる……!」
「わかってねえ!!」
思わず突っ込んで、佐助はごほんと咳払いをした。
「あのね旦那。虎菊丸様は政宗様の子供だよ? 嫡子だよ?」
「う、うむ」
「旦那は子供じゃないでしょ。恋人でしょ」
「う、うむ……」
「立場ぜんぜん違うでしょ。政宗様が向ける愛情も違うでしょ」
何で子供みたいに張り合ってるのさ、と佐助はため息をつく。
言葉に出してみるとばかばかしいぐらい当たり前だ。あと恋人っていうより……なんでもない。

でもようやく幸村が泣きやんだことに安心して、顔を綺麗にしてやろうと手ぬぐいを取り出して手を近づける。
「待った」
声が響いて、小十郎が真っ先に顔を上げた。
「政宗様」
よお、と手を上げた政宗はすたすた部屋の中に入ってくるが、幸村は硬直してて動かない。
「佐助、それは俺の役目だ」
ひょいと佐助の手から手ぬぐいを取り上げると、政宗は幸村の俯いている顔を持ち上げる。

「どうした幸村」
「ま、さむね、どのぉ」
「Don't cry. 子供かお前は」
「こ、こどものほうが愛してくれましたか」
「子供にこういうことはしねぇなあ」
笑って政宗は一度だけ軽く幸村に口付ける。
小十郎と佐助は家臣として明後日の方向へ目を逸らした。
「I love you, 幸村。愛してるぜ」
「そ、それがしも、お慕いしております……!」
「じゃあもう泣くなよ。あととらが謝りたいっつーからこい」
「は、はい」
よろけながら立ち上がった幸村は何だか凄く幸せそうに笑い、それを支えた政宗も嬉しそうに笑う。

お騒がせ主人sが出て行った後で、佐助は呆然と呟いた。


「おさわがせしました……」
「…………いや、こっちもな」


どこで子育てを間違えたんだろう、とオトンとオカンは頭を抱えた。




 


***

初虎菊丸です。五つというか今で言えば四つです
おとんに似て利発ではありますが、まだまだ子供です。

政宗様は天性のタラシです。
幸村も天性のタラシです。
きっと虎も天性の(ry


幸村たぶん24歳とかなんですけどどうですこの大人げのなさ。