<すべては心がけ次第1>
(どうしようどうしようどうしよう……)
ドアの前に立ち尽くしたまま、フレンはぐるぐると考えていた。
手には食事の乗った盆があって、ほこほこと立ち上っていたはずの湯気はいまはかろうじてゆらめいているだけだ。
決して寒い時期ではない。数分で料理が冷めるようなことはないのだけれど、それが冷めてしまうくらいの間、フレンはドアを開けられずにいた。
このまま踵を返してしまいたい。
けれどそうするわけにはいかず、かといっていつまでもここに立ったままでもいられなくて、フレンは息を止めてドアを開けた。
「遅かったな」
フレンの姿を見つけて、眠そうに欠伸をしながらベッドの上で上半身を起こして言ったユーリにフレンは肩を震わせる。
その様子を見てもユーリは何も言わない。
「腹減った」
「あ……うん」
「なんにもしてなくても腹は減るんだよなー。このままだと太りそうだ」
自身の腹を摩りながら言うユーリはいたって普段と変わらない。
ベッドの近くに置かれたテーブルに食事を置くと、体の前で手を合わせて「いただきます」と律儀に述べてからユーリは食べ始める。
少し遅めの朝ご飯は、野菜やベーコンをパンで挟んだだけの簡単なものだ。それと昨日の内に買ってあったスープを温めなおしたもの。
この一週間、料理を作る気にもならなくて、ユーリの食事は出来合いのものばかり。
どうしても自分で作る気にはならなくて。ユーリの料理が食べたいとも思ったけれど、ユーリはこの部屋から出られない。フレンのせいで。
フレンがユーリを半ば騙すようにこの郊外の家へと連れ込んで、監禁紛いの事を始めて一週間が経つ。
大きめの部屋の、ドアからも窓からも一番離れたところに置いたベッドとテーブル。
床に打ち付けたベッドの柱から伸ばした鎖は足首につけられていて、ユーリはこの部屋から出る事はできない。
たまにはお互いのんびりしようと連れてきたこの家で、昼寝をしたユーリを運んで鎖につないだ。
寝ている時に近づいても起きないという幼馴染の特権を利用したもので、ユーリに足枷をはめながら、もう自分の近くで熟睡なんてしてくれなくなるだろうなと当たり前の事を思った。
寝ている間に人を監禁するような奴の傍で、誰が寝てくれるというのだろう。
それでもフレンはユーリを閉じ込めて。
一週間、ただ何もせず。
黙々とブランチを消化していくユーリを、少し離れたところに置いた椅子に座ってぼんやりと眺める。
最初の頃は食べているところを見られているのに落ち着かない様子だったユーリも、一週間食事のたびにそんな事をされればさすがに慣れるのか、淡々と食事を進めていく。
順応が早いなぁ、と思う。
目が覚めて自分の置かれた状況に一瞬虚を突かれたようではあったけれど、ユーリはとりたてて騒ぐ事もなく、フレンを問い詰めるような事もしなかった。
最初に一度だけ理由を聞いて、黙ったままのフレンに溜息をひとつ吐いて。
それ以上は何も言及しなかった。
時々邪魔そうに鎖を引っ張ったりするものの、ユーリはこの部屋での生活において、別段不満を抱いていないかのように振る舞っていた。
普通に寝るし食べるし話しかけるし。
外に出られないのが退屈なのか、フレンが部屋にいる時は口数が多かった。
フレンがいない時は、置いていった本を読んだりしているらしい。
本当に気にしてないのだろうか。
内心では怒ってるんじゃないだろうか。
怒ってるに決まってる。軽蔑してるかもしれない。鎖なんてつけて、理由も言わないままに閉じ込めて。
表面上いつも通りにしているのは、フレンの機嫌を損ねたら外してもらえないと考えているからじゃないだろうか。
一週間ずっと猜疑心に囚われて、食事も睡眠もろくに取れずにいた。
かつん、とスプーンが空になった皿の底に当たる。
空腹が満たされたらしいユーリは、フレンを見て眉を寄せた。
「なぁ、フレン」
「……なに?」
「お前、ちゃんと飯食ってんの? ここにきてから俺と一度も一緒に飯食ってねーんだけど」
「食べてるよ」
「なら一緒に食やいーじゃねぇか」
「そう、だね」
ユーリの食事を準備する時に、ついでのように流し込んでいる。
たぶん一緒に食べたらユーリはフレンがほとんど食べない事を指摘するだろうから。だから一緒には食べない。
黙り込んだままのフレンにユーリは溜息を吐いて、ベッドの上で胡坐をかくと自分の膝に肘をついた。
ちゃりちゃりとユーリが動くと鎖が擦れる小さな金属音がする。
「フレン」
「……なんだい」
「そろそろ、気ぃ済んだか?」
「…………」
かけられた言葉に、フレンは膝の上の拳を固く握り締めた。
――済まない。
――何も済んでない。
フレンにとってこの空間が終わるのが何よりも恐ろしくて、けれどもう限界なのだとフレン自身の精神が音を上げていた。
このままユーリを監禁し続けたとして、フレンの目的は達成されない。
……否、最初から達成などされるわけがない行為だった。
だからなにも答えられなくて黙ったままのフレンに、ユーリは足枷のついた方の足を突き出した。
「…………」
その動作に促されるように、フレンはのろのろと懐から鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。
ユーリがギルドに申請していたという休みは五日間で、いくらユーリが自由奔放だからといって、なんの連絡もなしに休みの延長をするような事はしない。
そろそろカロル達も不審に思っているだろう。
――どちらにせよ、もう限界だった。
カチャリと錠が外れる音が、妙に恐ろしく思えた。
自由になったユーリは、床に降り立つとぐっと背筋を伸ばして、ベッド脇に膝をついたままのフレンを振り返った。
「フレン」
「…………」
「立てよ」
腕を引き上げられて立たされた格好のフレンを、力任せに突き飛ばす。
その先にはベッドがあって、フレンはベッドに背中から受身も取れずに沈み込んだ。
睡眠不足の体は急激な体勢の変化にも簡単に悲鳴を上げて、ぐらぐらと視界が揺れる。
目を瞑って襲ってくる眩暈を堪えていると、がちゃんと音がして、冷たい感触が足首に触れた。
「な」
「今度は俺の番」
さっきまで自分がつけていた足枷をフレンに繋いでユーリは笑った。
その笑みは普段悪戯を思いついた時のユーリが浮かべるものと同じだったけれど、フレンはその笑みの意味を普段通りに取る事はできなかった。
腕で顔を覆って搾り出すように呟く。
「好きにすればいいだろ……っ」
「おう、んじゃ好きにする」
ユーリがベッドから離れる。
軽い足音はドアの向こうに消えて、一人きりで部屋に残されたフレンはベッドに背を向けるように体を横にして丸くなった。
さっきまでユーリが使っていたベッドにはユーリの匂いが残っていて、それが更に追い討ちをかける。
「…………」
ユーリはきっと戻ってこない。
こんな仕打ちをしたフレンをきっと許さない。
……それでもいいか、とシーツに顔を押し付けて、フレンは声もなく泣いた。