<驚け!>
その日ユーリは少しばかり不機嫌だった。
今日は下町に戻れるからと数日前に連絡があったから、ギルドの仕事を詰めてもらって今日の休みをもぎ取ったというのに、肝心の本人が昼前になっても姿を現さない。
午前中には顔を出せるからと言っていたくせに、と部屋でしばらく不貞腐れていたのだが、埒が明かないとユーリはラピードに留守番を頼んで外に出た。
街中で誰かに捕まっているのだろうかとうろうろしてみてもそんな様子はなさそうで、何か急な事件でも起きたのかとも思ったが、市民街の方を覗いてみても慌しい気配は一切感じられない。
もうしばらくあたりをしばらくうろついてみたけれど、あの金色は見つからない。
「……帰るか」
自分の行動があほらしくなってきて、ユーリは大きな溜息をひとつ吐くと、市民街の方から視線を外した。
これでは会いたかったです、と言っているようなものではないか。
来れなくなるのであれば連絡のひとつもよこすだろうし、そうでなければ夕方にでも「遅くなってごめん」と謝りながら顔を見せるに違いないのに、こんな風に、まるで待ちきれなくて迎えにきたみたいな。
歩きつつ今更ながらに自分の行動の恥ずかしさについて思い返して、部屋に戻ってフレンに会ったら絶対何事もなかったかのように振舞ってやると心に決めてユーリは視界の端っこに飛び込んだ金色に思い切り振り返った。
……あほだろ俺。
金色は確かに金色であったけれど、それは女性だった。
下町には裏路地がたくさんあって、そこにある階段は狭くて急だ。
階段の途中に座り込んでいる女性は足をかばうようにしていたから、おそらく階段を踏み外して足を痛めたのだろう。
前かがみになっているせいでフレンによく似た色の髪(ただしこちらはかなり長い)が地面について汚れてしまっていた。
落ち着いた桃色のワンピースに白いレース柄のショールを羽織っている様相は後ろから見てもどこぞのお嬢様といった感じで、こんなところに一人にしておいたらどんな事になるかは想像がつく。
ここで放っておくのは後味が悪すぎると、ユーリはできるだけ怯えさせないようにと笑みを作って話しかけた。
「どうした?」
いきなり声をかけられて驚いたのか、女性の肩が大きく跳ねた。
振り向いた顔は長い髪と日の影で分からなかったが、おそらくこれはかなりの美人だとユーリの直感が告げていた。
先ほどよりも作られていない笑みへと変えて、ユーリは女性に手を差し出した。
「足痛めたんだろ? 大丈夫か?」
「…………」
しばらくの沈黙の後、ゆっくりと女性は首を戸惑いがちにではあるが縦に振った。
「こんなところに、あんた一人か?」
もう一度、縦に。
仕草のひとつひとつに躊躇いの色が見えるのはユーリへの警戒心故だろうが、それでもひとつひとつに律儀に答えてくれるのはありがたい。
同時にやっぱり一人にしておくと危ないだろうとも思う。
「ここいら物騒だからさ……早く帰った方がいいぜ? なんだったら途中まで送ってやるからさ」
親切心からの言葉だったが、考えてみればそもそもユーリ自身が怪しい。
送ってやるなんて言ったところで嫌がるだろうと思ったが、女性はしばらく悩んだようではあったけれど、頷いてユーリの手を取った。
足の手当てをして、市民街の入り口まで連れたって歩いたところでユーリは言った。
「こっからは一人でも大丈夫か?」
こくり、と頷く女性に笑いかけて、ユーリは今度は一人でくるなよと忠告する。
「今度一人なの見かけたら、俺が襲うぜ?」
冗談混じりに言って、「じゃあな」を手をあげて別れを告げた。
女性は軽く礼をすると、おもむろにユーリの肩に手をかけて顔を寄せてきた。
反応する間もなく頬に柔らかなものが触れて、ぎょっとしたユーリのすぐ近くに女性の顔があった。
にこりと花の綻ぶような笑みを見せて、女性はぱっと身を離すと、どこかへと駆けていってしまった。
「……お嬢様にしては過激な礼の仕方だな」
ううむ、と頬を押さえてしばらく唸ったユーリは、最終的に「たまにはいいことするもんだよなー」と表情を緩ませた。
部屋に戻ると室内には相変わらずラピードだけで、やっぱりフレンはまだなのかとユーリはさっきまでのいい気分を少しだけ下降させた。
それでも外に出るのは気分転換になったよなと思考を切り替えて、来客があるまでのんびりするかとベッドに転がったところでタイミングよくドアがノックされた。
「やっときたかよ」
外をうろついてみたり綺麗な女性と一緒に歩いてみたりという先ほどの一連の行動はおくびにも出さない予定でドアを開けたユーリは、目を丸くした。
そこにいたのは、先ほど別れたはずの女性だった。
何かあったのだろうか、というかどうしてここが分かったのか。
ぽかんとしているユーリが何か言葉を発する前に、ラピードが動いた。
「オウッ!」
ユーリの横をすり抜けて、ぐるぐると女性の回りを回りだす。
その様子にユーリがだんだんと事態を理解し始めたけれど、最初のインパクトで動きの鈍った脳が答えを導き出すより先に女性がことりと首を傾げて。
「……意外と気付かないものなんだね?」
フレンの声で、言った。
とりあえず中に入れてはみたものの、外見がどうしてもフレンに見えない。
いや、フレンなのだけれど。
髪の色や瞳や全体的な顔立ちは確かにフレンだが、髪型を変えられて……微妙に化粧もしてないか?
「…………」
「ラピード久しぶりだね、元気してたかい?」
「わふっ」
「これ借り物だから汚せないんだ。着替えたら散歩に行こうね」
「ワワンッ!」
「ラピードはすぐに気付いてくれたのに、ユーリは全然気付いてくれなかったんだよ。酷いよね、ラピード」
「わかるかよ! お前なにしてんだよ!?」
「……エステル様が、朝僕を訪ねてみえてね」
「フレン、今日ユーリのところに行くんですよね? ユーリをびっくりさせましょう!」
「あ、あの……エステル様?」
今日ユーリのところへ行くためにかなり遅い時間まで仕事をしていたせいで、普段なら目覚めている日の出の時刻を過ぎてもフレンはまだ夢の中だった。
エステルの来訪で叩き起こされたフレンは、なにやら大きな荷物を抱えたエステルと、なぜかジュディスがいるのを認めて、何がなんだか分からなかった。
「フレン、今日はこの服を着てほしいんです!」
「……え?」
楽しそうに広げたのは桃色のワンピースだった。
「ちゃんとフレンのサイズに合わせてありますから、大丈夫ですよ!」
「ウィッグも化粧道具も用意したから☆」
「え、ええと……え?」
変なアドレナリンの出ている女性二人に、半徹&起き抜けのフレンが勝てるわけがなかった。
「……というわけでね」
「ジュディスの悪ノリにエステルが乗ったのか……」
確かにあの二人には勝てる気がしないが、とユーリはフレンに同情した。
しかしさすがというべきか、二人の仕事は完璧だった。
「でもフレン、お前けっこう似合ってるよなー」
改めて真正面からまじまじと見ると、ユーリの直感は正しく美人だった。
本人にはきわめて不本意な事実かもしれないが。
「で、僕だって気付いてくれなかったユーリ君」
「……お前、根に持ってんな」
「次に会ったら襲ってくれるんだっけ?」
「…………」
「君、会った女性に皆同じこと言ってるんじゃないだろうね」
「…………」
今日はこのまま押し倒したら怒られるかなぁ、と少々不埒な事を考えていたユーリは、その後懇々と説教された。
***
でもこの後は予告通り襲われればいいんじゃないかなって思ってるの。