<会いに行かない 会いに来て>
それは日常と呼んでさしつかえない程に、レイヴンの中に定着したものだった。
ちっとも検診に行かないレイヴンに切れたリタが城にあるいは自宅に乗り込んできて、説教をし、文句を言いながら魔導器の調整を行う。
それが半月から一ヶ月くらいの間隔で繰り返される。
今日もその通りになって、真剣な面持ちで魔導器に向き合っているリタは、ありがとうねと礼を言うレイブンに「次はちゃんと来なさいよね!」と怒って帰っていく、はずだった。
普段は調整を終えたらすぐに離れるはずのリタが、酷く深刻な表情で魔導器の上に手を当てていた。
「リタっち、おじさんそんなに触られるとはずか」
「黙ってて」
「…………」
いつになく真剣な声で一蹴されて、レイヴンは大人しく黙った。
おそらくこの状況ではレイヴンが望むような反応は返してもらえなさそうだったし、ちょっかいをかけるのを憚られるくらいに今のリタは真剣だったのだ。
まっすぐに、穴があきそうなくらいに魔導器(残念なことにリタの目にレイヴンの肉体そのものはうつってないだろう)を、何かを考えるような、探るような、そんな視線で見つめていた。
ここまで真剣に見られていると、いよいよ問題が出てきたかなとレイヴンも不安になってきた。
もともと未知の部分が多かったわけで、もうもたない、と言われたところで覚悟はしている。
「おっさん」
リタの固い声で呼ばれて、レイヴンはいよいよか、と息を詰めた。
ようやくレイヴンの顔を見たリタはどこか泣きそうで、安心させるようにレイヴンはへらっといつも通りに笑ってみせる。
大丈夫。おっさん覚悟はできてるよ、と。
「あたし、諦めることにしたわ。だからもう来ないから」
「……そっか。今までありがとうね」
「…………」
ぎり、と音がしそうなほどに唇を噛み締めているリタに、せめてそんな悲しそうな顔はしないでほしいと微笑んでみせる。
けれどリタは逆にますます表情を歪ませて、そして鞄をひったくるように持って部屋を出て行った。
「……そっか」
椅子に深くもたれて、全身の力を意図的に抜く。
「リタっちはなんにも悪くないのにねぇ」
泣きそうな顔が心に残って、最後まであんな顔をさせてしまった事が酷く悔やまれた。
というのが約三ヵ月間前の話。
「は? 誰が死ぬって?」
「だからおっさんが。おっさんもうすぐ魔導器止まっちゃうのよ」
「おっさん、エイプリルフールは今日じゃねえよ」
「酷いわ青年!」
レイブンの悩みを打ち明けた途端一蹴したユーリに嘆きながらも、レイヴンもおおよそその反応は予想したものだった。
「もうすぐ死ぬような人間の顔してねぇよ」
「……そうなのよねぇ」
溜息を吐いてレイヴンはここ三ヵ月間に思いを馳せる。
一応いつ死んでもいいように、と引継ぎをしつつ真面目に仕事をしていたのだけれど、一ヶ月を越えたあたりでレイヴン自身もおかしいと思い始めた。
調子が悪くなるどころかすごぶる良い。
快食快便。朝の目覚めも寝つきも大変よろしい。
これが三ヵ月続くとなると、さすがに「アレ?」と思う。
「それどころかおっさんが真面目に仕事してると、「どうしたんですか隊長!」「こんなに真面目な隊長なんて……」「決済が締め切り前に終わってるだなんて、まさか隊長の偽物!」とか……おっさん部下になんて思われてんのかしら」
「正しく自分の上司を理解してんなぁ……」
「で、どう思うよ青年」
「誤診だろ」
「……よーねぇ」
考えにくいが、そろそろリタの言葉が誤りだったという可能性がそろそろ出てきた。
けれど、あの時のリタの表情を思うに、誤りだったりましてや嘘だったとは思えないのだ。
「リタに直接聞きに行きゃいいじゃねーの」
「「誤診じゃない?」って聞いた瞬間がおっさんの命が尽きる瞬間だと思って」
「……そうだな。つか、あれからリタ来てねーの?」
「来てないよ」
一ヶ月に一度は絶対に様子を見にきていたリタが、この三ヵ月の間一度もレイヴンに会いに来ない、どころかギルドにも顔を出さない。
エステルと連絡は取っているようだから、リタに何かがあったわけではないようだけれど。
「んじゃ、エステルからそれとなく聞いてもらえばいいんじゃねーの?」
「あ、そうよね。青年あったまいー」
***
「何言ってるんですか? レイヴンの魔導器はもう調整なんてほとんど必要ないくらい安定したってリタが太鼓判押してましたですよ?」
「……へ?」
エステルにお願いしにいったら、前提から覆された。
面白そうだと頼んでもいないのに付き添いにきたユーリがレイヴンを胡散臭げに見る。
いやいやまさか。
だってリタは言ったのだ、諦めると。
「……あの、レイヴン……もしかしてものすごい勘違いをしてないです?」
「え」
おずおずとエステルに尋ねられ、レイヴンは重ねて間抜けな声をあげた。
「ええと……リタは、なんて言ったのです?」
「『あたし、諦めることにしたわ。だからもう来ないから』。一字一句間違ってないと思うけど」
なんども思い返しているから間違いはない。
断言するレイヴンに、ユーリとエステルはそろって表情を変えた。
ユーリは訝しげなものに。そしてエステルはなぜか怒った表情に。
「……なんか変だろ。あいつが手遅れだからって諦める、なんて素直に言うか?」
「あ、そういえばそうよね」
リタのことだから、むしろ躍起になって方法を探すはずだ。
諦めるなんて殊勝な言葉を口にして、しかも本当に諦めるような性格だったら色々苦労しなかった。
そう頷いたレイヴンは、殺気を感じて咄嗟にその場を飛びのく。
退いた場所に穴が開いていた。
「……じょ、嬢ちゃん?」
「エステルどうした」
「レイヴンそこから動かないでください」
目からハイライトが消えている。その仕様はユーリのものだった気がするんですけど!
手に魔力を溜めながらにじりよるエステルに、レイヴンはだらだらと冷や汗を流す。
衛兵が飛んでこないのはどういう事か。警備の見直しが必要か?
――なんて考えている場合じゃない。
そういえばさっきエステルはレイヴンがとんでもない勘違いをしていると言っていた。
そして今、彼女はものすごく怒っている。
ということは。
「待って! 考える時間をください!!」
「時間ならあったはずです三ヵ月も! その間リタがどんな思いで……っ!!」
「諦めるっておっさんの魔導器のことじゃなかったの!?」
「その認識が間違ってるんです!」
「その感じだと、エステルはリタが何を「諦めた」のか知ってるんだろ」
ちゃっかり二人から距離を取って部屋の端っこへ逃げていたユーリが声をかけると、エステルはこくりと頷く。
ユーリはなるほどと頷いて、続けた。
「そこの脳細胞が死にかけてる中年親父に正しい知識を与えてやってくれ」
「……そうですね」
エステルの魔力が掌から消える。
それにほっとしたのも束の間、エステルの口からレイヴンがしていた「とんでもない勘違い」の答えを聞いた瞬間、レイヴンは自分がどれだけ「とんでもない勘違い」をしていたのか悟った。
エステルは恨めしげにレイヴンを睨みつけて言った。
「リタが諦めたのは、レイブン、あなたへの恋心です」