<バレンタインの嘘>


 
ノックをして返事を待たずにドアを押し開けた。
部屋の持ち主はちゃんといて、口はたぶんノックの返答をするつもりだったのだろう、中途半端に開けられた状態で間抜けに開いたまま。
もし自分が暗殺者とかだったらこの間抜け面はどうするつもりなのだろうと思ったが、そんなところまで自分が気を回してやる必要などないかと思い直してリタはやけに小奇麗な室内に踏み入った。
「……久しぶりね?」
「どっかの誰かがメンテナンスにちっとも来ないからこっちから出向いてあげたわよ」
「おっさんそれなりに忙しいのよ〜」
へらりと笑うレイヴンは騎士団の中のはずなのに、リタが知っているのと似たような……つまるところは騎士団の制服とはかけ離れたよれよれの服装をしている。
いいんだろうか、これで。

へらへらしている顔をいつまでも見ていたくはなくて、リタは机の上に視線をずらした。
机の上には紙の束を始め色々なものが積んであって、いくつかは処理中だったのか真ん中のあたりに乱雑に置かれている。
確かに忙しいというのは事実のようだ。
「メンテナンスにも来れないくらい、まだ忙しいの?」
「いやぁ、どっかの騎士団長様がちっとも休み取らないから、しがない下っ端は取りにくいのよ」
「…………」
「いや、これは本当だからね? ああ、でも最近は休みの日はちゃんと休むようになってきたみたいだけど」
そう言うレイヴンの笑みがにやついたものに変わったので、リタは溜息を吐いて部屋にそなえつけのソファに腰を下ろした。

フレンのワーカホリックな話も、そのフレンが最近ちゃんと休むようになったのも、ついでにその理由はユーリなんだろうという事も、ここに来るまでにジュディスやエステルから聞いて知っていたので、今更聞かされても目新しい事は何もない。

「それで、本当にわざわざメンテナンスしに来てくれたの?」
「そんなわけないでしょ、ついでよついで。……エステルとチョコの交換する約束してたの」
「あー……そういえば今日はバレンタインだったわねぇ」
今思い出したといわんばかりに言うレイヴンを鼻で笑ってリタは机を指さした。
「あんだけチョコもらっといて、今更何が「バレンタインだったわねぇ」よ。シラ切るならせめてチョコ全部隠してからにしなさい」
「リタっち目敏いねぇ」
何が面白いのか、レイヴンはずっと笑みを崩さない。
なんだかそれが癪に障ってしかたがない。

ずっと年下の、それこそ親子ほど年の離れている相手なのだから、仕方がない対応だとは理解はしているのだけど。
癪に障るのは障るのだ。
「ねぇリタっち、あのチョコもらってくんない?」
唐突に言われて、足を前後に動かしていたのが止まった。
今何と言ったかこの男は。
「……は?」
「おっさん甘いのダメなの知ってるでしょ? でもせっかくもらったものを捨てるのもねー」

へらり、といつもと同じ笑みを浮かべたレイヴンの言った意味がわからなくて、数秒おいてようやく理解した。

「あんたっ……あんた、さいっていね!」
「そう? でもほんと、捨てちゃうのもったいないからさ」
レイヴンが甘いもの嫌いなのは知っていたけど、そこまでだとは思わなかった。
むしろ女性からのもらいものだ、喜んで食べるだろうと思っていたのに。
「大好きな女の人からのチョコじゃない……自分で食べなさいよ」
肩にかけていた小さな鞄を膝の上に抱えて無意識にその上から力を込めていた自分に気付き、慌てて肩の力を抜いた。
その姿には気付かなかったらしく、レイヴンは机の上に積まれたプレゼントをちらっと見て、でもねえーと小さく笑う。
「どうせ義理だし?」
「…………」
本命だってあるだろう、それもいくつも。
レイヴンは残念なことにモテるのだ。リタには全く不可解なのだが。

きっとその積まれたプレゼントの中の、とくに丁寧にラッピングされた物たちはいわゆる「本命」に違いない。
告白の言葉と共に渡された物もあったかもしれないけど、レイヴンはそんなことわざわざ口にはしないだろう。
「そ……そりゃあね、おっさんに本命あげる人の気が知れないわ」
いつものように憎まれ口をたたいたリタに、レイヴンはわかってるじゃないと言ってくるくる指先でペンを回した。
「だからね、持ってっていいわよリタっち。ホントは青年にあげたい気もするんだけど、フレンちゃんに怒られちゃいやだしね」
「……ユーリならカロルからすら貰ってたわよ?」
甘いもの好きの彼は本命からでは飽き足らず、顔見知りすべてから何らかの菓子を貰っていた。
見ているこっちが胸やけしそうなのだけど、たぶんユーリは平気なんだろう。
「でもやっぱり悪いじゃない。だからリタっち持ってっていいわよ、それで皆で食べなさいな」

いつもと同じ声で、同じ顔で。
そう言ったレイブンが引かないだろうことを察して、リタは拳を握った。
「おっさん、ホント最低」
色々な感情を交えて吐きだした言葉に、レイヴンはちょっと目を細める。
「…………ごめんね」
「ほんと、そこまで最低だとは思わなかったわ」
「うん、じゃあさリタっち、こっち来て」
袋を広げてがさがさとプレゼントを詰め出したレイヴンの顔なんて見たくもなかったけれど、どうせ押しつけられてしまうのだろうとわかっていたので、立ち上がって間を詰める。
ギリギリ手を伸ばせば届くくらいの位置に突っ立って睨みつけると、はいどーぞと言って案の定袋を押しつけられる。

ずしりと詰まったたくさんの気持ち。
これはレイヴンに届くことすらないのだ。
「それはいいの?」
机の上に残った数個の包みを指さしてやれば、これはいいのよと言って包みを見せてきた。
「こっちは嬢ちゃんから、これはジュディスちゃんとパティちゃんから。んでこっちは少年から」
みんなからのは甘くないって言うし美味しく頂くわよ、と言ったレイヴンはふっと視線をリタへと向ける。
突然鮮やかな色の両眼を向けられてリタは小さく息をのみこんだ。

「な……なによ」
「んー、何にも?」
いつもの調子の声なのに、表情は固定されて動かない。
レイヴンの表情じゃなくて、これじゃあまるで――
「な、なによ! はっきり言いなさいよね気持ち悪い!!」
「……ん、ほんとになんでもないわよ。ごめんね余計な手間取らせちゃって。メンテしようじゃない」
へらと笑ったレイヴンの顔が憎らしくて、リタは重い袋を抱きかかえて背を向けた。
「ばっ……バカっぽい!!」
「リータっち、メンテは?」
「それだけ元気なら大丈夫よっ!!」
「そう?」
じゃあ今度はおっさんが行くよ、と軽い調子のレイヴンとは裏腹に、リタの持っている荷物の重みが一層増す。

これを作った人は、包んだ人は、渡した人は。
どんな気持ちでこのへらへら笑う男に渡したんだろう。
レイヴンは受け取る気が欠片もなくて、あっさりと全部捨てるのに。
こんな山のようなプレゼントの中に、「本当の気持ち」が幾つ混じっているのか気にも留めないで。

「……おっさん」
「なに?」
そんなに怒らないでよと茶化したレイヴンには応えず、リタは肩にかけていたバッグから包みを取り出す。
タンッと軽い音を立てて机に置かれたそれを見て、レイヴンは何も言わない。
「…………」
「…………」
「…………あの、リタっち……これ、は」
かすれた声で呟いたレイヴンから視線をそらして、リタはもごもご呟く。
「そ、それは……そう、フレンからよ!」
「え……フレンちゃん?」
「そ、そうよ! あんたに用があるっていったら渡してくれって言われたのよ! だから……だ、だからちゃんと食べなさいよ!? フレンからなんだから!」

目を丸くしているレイヴンがそっと包装紙に触れる。
それが嬉しくて悔しくて、リタは背中を向けて怒鳴った。
「あ、甘いけど! ちょっとは糖分とらないと脳に栄養もいかないし、脳の栄養は砂糖だけなんだからそれ食べて仕事ちゃんとやりなさいよねっ!」
もう来てなんかやらないんだから! と言い捨ててレイヴンが何か言う前にリタは慌てて部屋を飛び出す。
引きずるように持ってきた荷物の中にはたくさんのチョコ。

……皆でなんて言ってこれを分けようか。
とりあえずエステルに相談しようと決めて、リタは先ほど来た廊下を逆戻りしだす。
城の廊下は長くて、人気がなくて。
エステルの私室につながる廊下のうちの一つは本当に誰もいなかったから。
「……ふ、えっ」
堪えられなかった涙がこぼれるに任せて、リタはその場にうずくまった。


これでよかった。
この荷物の中のたくさんのチョコと混ぜられるより、ずっとよかった。
「ばか、っぽい……」
実験の手を止めて、何日も練習した。
喜んでくれるかな、とか。美味しいって言ってくれるかな、とか。
少し形が崩れても彼なら食べてくれるだろうけど、せめて味は美味しくしよう、とか。
甘いものが嫌いならお酒をたくさん使って、苦くして、でもやっぱりチョコは譲れなくて。
「ほん……と、あた、し、ばかっ……」

喜んでくれるんじゃないかとちょっとでも期待していたさっきまでの自分が、悔しくて悲しかった。





***
泣かせた。
これで最強(凶)パーティにフルボッコ確定な気がする。






追いかけようと腰を浮かせかけたが、それではだめだと理性が叫んでなんとか息を吐くにとどめた。
中腰になったのを再び椅子に下ろして、すぐに包装紙を破く。

飾り気のない箱の中に並んでいたのは、チョコレートだった。
色合いからしてビターチョコレートなのだろう。
「…………」
指先で軽くつついてから、そのうちの一つをつまんで口に入れる。
口に広がる苦みと酒の味と――甘味。
「下手な嘘、ついちゃって」
呟いて舌の上に残る味を飲み干す。
少しいびつな球形のそれは、とてもとても美味しくて。
きっと甘いのが苦手なレイヴンのために色々考えて調べて作られたものなのだ。
「フレンちゃんなら、もっと綺麗な形してるよ……」

馬鹿な子だね、と呟いて。
レイヴンは頬杖をついて、口元を歪める。
「なんでこんなおっさんなんだよ」
部屋にレイヴンしかいないのだから答えが返ってくるわけもない。
ただそこに置かれた箱の中のチョコレートから香りが漂ってくるだけだ。
「未来も才能もある天才少女が……なんでこんな死に損ないなんか」

馬鹿な子なんだ本当に。
でもだからこそ愛しくて。
だからこそ、別の幸せを見つけてほしいのに。

「…………ありがとう。リタっち。美味しいよ、いちばん」
彼女に届きもしない感謝を並べるのが、彼の精一杯の優しさだった。





***
おっさんはリタっちを好きだけどそこは先が見えちゃう大人だもの。
でもリタはそんなのぶっ飛ばす若さがあると思う。