<最後の一歩2>



長い城の廊下を歩いていると、フレンちゃーんと声をかけられる。
城内にはそぐわない明るい声に振り返れば、案の定彼が立っていた。
「おはようございますレイヴンさん」
「この間は大丈夫だった?」
フレンは思わず身をこわばらせる。

この間というのは先日の酒場での出来事だ。
レイヴンとユーリに挟まれて、あの日フレンはものすごく飲んだ。
最初は自分の意思で飲んでいたのだけど、後半から記憶がおぼろにしかない。
その上、あの後夢と現を取り違えるような失態まで犯している。
「えっと……その」
「青年に怒られちゃった。ホントごめんねフレンちゃん。次おっさん奢るからまた飲もうね〜」
ひらひら手を振りながら去って行ったレイヴンを止めることはできず、中途半端に上げられた手をおろしてフレンは溜息を吐いた。


あの日。
酔ったフレンは夢を見た――夢だったと思う。
直前まで介抱してくれていたユーリがあまりに近かったから、思わず腕にしがみついて言ったのだ。
『ねえ、ユーリは男同士の仕方、しってる……?』
思い返すも恥ずかしいセリフだ、夢の中じゃなきゃ許されない。
きっとユーリもそんな事を言われても驚くだけだろう、案の定夢の中のユーリもそうだった。
『いや、知らないことはないけど……なんだいきなり』
それでも優しくしてくれたユーリに甘えたくなって、きっと夢だからいいのだと当時の自分は思ったのだろう。
『じゃあ、教えてよ』
理性が少しでもあったら絶対出さない猫なで声でそう言って、フレンはユーリを見上げた。
その時のユーリの表情が思い出せそうで思い出せない。
とにかく返事が返ってこなかったので、じれったく思ってフレンはさらに――


『僕を――』

「うーわーぁー……」
低く抑えた声で呻いて、フレンは顔を覆う。
何を口走っていたんだ自分は。

せめてもの救いはこれが夢だってことで、ユーリは実際には酔って暴れたフレンの記憶しかないらしいということだ。
ベッドから落ちないように押さえつけるのが大変だったと言ったユーリは確かに疲れた様子だったので、必死に謝って、そして安堵した。
あの後ユーリの態度は何らいつもと変わりがないように見えたし、きっとあの一言は伝わっていないのだ。
あれは夢の中の出来事でしかないのだ。
それがせめてもの幸いで、そして少し、残念でもあった。

もしも、酒の勢いでもなんでも。
ユーリにそれが伝わっていたのなら、ユーリは考えてくれるのではないかと。
一瞬でも、フレンが「そういう思い」を持っていることを考えてくれるのではないかと、そう思った。
まああくまで自分の気持ちを隠そうと全力で無意識が動いた結果、「抱いてよ」とだけを伝える言葉になっていたのだけど。

だがそろそろ限界なのも確かだった。



魔導器を失った上、帝都はボロボロになったが、その復興は驚きべき早さでなされている。
皇帝はギリギリまで財源を復興援助に割き、副帝率いる評議会、四大ギルドを中心にギルド勢、そして騎士団が共にそれこそがむしゃらに働いてきたからだ。
もちろんみんな仲よく手を取り合ってなどという状況ではまったくない。
だが失ったものは大きすぎたし、そのためには動ける人間が全員動く必要があった。
そして徐々に復興しだした今――再びかつての軋轢が表に出ようとしていた。

つまらない権力のせめぎあい。
実を伴わない力に何の意味があるのかフレンにはいまだに理解できないけれど、それを求める人が多いの知っている。
そしてその手はフレンにも伸びてきていた。
多くの特権と権限を取り上げられたとはいえ、現騎士団長という肩書はあまりに大きい。
まだ年若くしかも貴族階級出身ではないフレンがその座にいるのだ、組み易しと思われても仕方がなかった。

日々繰り返される誘い、それはフレンにとっては迷惑でしかない。
どんなに綺麗な女性であろうとも、品があっても博学でも。
フレンが愛しいと思う人は世界に一人しかいなくて、他の人なんてちっともほしくない。
金も名誉も身分もいらない、というフレンの言葉を彼らは理解もしてくれない。
そして多忙や情勢を理由に断り続けるのにも、いささか限界がきているところだった。

「レイヴンさんは、どうしてたんだろう」
飲む席で聞いておけばよかった、と呟いてフレンは自室へと続く廊下を歩く。
時間はそれほど遅くはないけど、人影はまばらだった。
警備を固めてくれている部下に挨拶をして、フレンは扉に手をかける。
「異常ありません」
「いつもありがとう」
「はっ! 光栄であります!」

本当は騎士団長には騎士団長用の私室があったのだけど、フレンはあえてここにいるままだった。
見栄えとか権利とかは抜きにして、護衛の面からしても陛下に近い私室を賜った方がはるかに良いし、フレン自身の防犯面についてもそちらの方がいい。
ここからではヨーデルの部屋は少し遠いし、何かあった時はそのわずかな時間が致命的になるかもしれない。
だから日中はフレンは騎士団長の部屋にいるけど、夜は必ず私室に戻る。
護衛をしている騎士団にわずかに無理をさせているのはわかっていても、フレンはこれだけは曲げられなかった。
――だって。

扉を開けて、中に入る。
「よぉフレン」
「ユーリ、君はまた……」

騎士団長の部屋は窓の外に木がないからだ。


「表から入ってこればいいのに」
「ヤだね」
フレンのベッドの上で笑ったユーリにいつものように仕方がないなあと溜息を吐いて、フレンは鎧を脱いで脇に置く。
パチリパチリと外す音が響いているが、ユーリが何もしゃべらないので嫌に静かだ。
「……ユーリ?」
しゃべっていないと戦闘に集中できないとすら言うほどユーリは口がよく回る。
その彼が沈黙していると、どうにも落ち着かない。

何か言いづらい話でもあるのだろうか、と思って最後の鎧を脱いでちらりと視線を向けると、ユーリはそこにそのまま座って、じっとフレンを見ていた。
くるくる変わる表情は今は――珍しく、真顔だ。
「どう――したんだい?」
内心の動揺を隠せていられたか自信はないものの、どうにか尋ねると、名前を呼ばれる。
それはふざけている様子でもからかっている様子でもなく、あの時のことを強く思い出させるような、「本気」の声――
「フレン、こっち来い」

覚えている。
覚えているよユーリ、「あの時」のことを僕はよく覚えている。
この声はあの時と同じ、君が騎士団を去った時の――

「……やだ、っていったら?」
せめてもの抵抗にそう呟くと、いいから来いと命令される。
それに抗うこともできなくて、フレンは短く息を吸って、覚悟を決めてユーリに一歩近づいた。



(ああ、いつも――)
そうやっていつも、最後の一歩を踏み出すのは君の方なのだ。
(僕は、ただ、ずっと……あの頃と同じに)





君の隣で君と一緒に世界を半分にしていた時のようでいたかった、それだけなのに。