<世界で最も憎む相手 >
動かず、声も出さず。
怒鳴るかと、泣くかと、取り乱すかと思っていたけれど。
「……式は、明日の十時からよ」
静かに告げた彼女と一緒に背を向けることができなくて。
「悪いけど俺は出ないよ」
そう答えた男の背中を見ているだけだった。
もちろん見ているだけで何かをするわけでもないのだけど。
何かができるわけでもないのだけど。
「どうして……っ」
「空の棺に何を言えって?」
ばかばかしい、と振りむいたその顔はうっすらと笑ってすらいて。
「お別れはお別れよ」
「そんなものに出てる時間があったら、俺は行く」
腰に提げられた剣を掴んで、男は言った。
「あいつを殺した相手を殺すために、俺は行くよ」
今確かに、殺す、と。
それはなんだろうか、何を指して言っているのだろうか。
「そんなことしてなんの」
「俺にとって、あいつは光で、未来で、希望で」
愛しているんだと、男は唇の形だけでそう続けた。
その時の甘やかな視線は、空の棺ではないどこかへ向けられたものだった。
あの焔のような彼はもうどこにもいなくても彼の心を掴んで離さないのだ、と。
「だから、よろしくお願いします」
向けられた一対の蒼い目に、こちらは頷くだけだった。
それは強制であって、命令であって、懇願ではなかったから。
「あなたがそんなことをしても、喜ばないわ」
「俺がしたいからするんだ」
「国を守り、領地を守るのではなかったの……?」
「あいつがいないなら、同じことだ」
「でも――それじゃあ誰も幸せには」
「ならなくていいんだ」
ならなくていいんだ、と繰り返した彼の顔が穏やかで、綺麗すぎた。
「どうしてルークがいないのに、他の人が幸せになるんだ?」
「ガイ、あなた何を言って」
「ルークさえ幸せであればいい。俺のルークさえ、笑ってくれていればよかったんだ」
微笑んだガイの前でティアが絶句する。
それから力なく首を横に振り、すがるような視線をこちらへと向ける。
「ジェイド……」
「……殺す、とは何を殺すのですか、ガイラルディア」
決まっているじゃないか、と軽い調子で呟いて彼は鞘を空中に放り投げると、素早く抜刀する。
その切っ先が自分に向けられることを察して目を閉じたが、いつまで経っても痛みはない。
「ガイ!!」
ティアの悲鳴に目を開けると、そこには赤を噴き出して倒れる男がいた。
「なんで……ガイ! ガイっ!!」
血だまりに倒れた男はそれ以上何かを言うこともなく、すがりついたティアが何かをできたわけでもなかった。
もちろんジェイドも何もできなかったし、誰かがいても同じだろう。
男の剣は正確に自分の心臓を貫いていたし、たとえ命をつなげても目を覚ます気なんてないのだろう。
「無駄でしょうティア」
「どうして、どうして、ガイ……っ」
「彼は望んで死んだのです。それほど逝きたかったのでしょうね、「ルーク」の元へ」
ルーク=フォン=ファンブレは成人の儀を済ませ、ナタリア姫と正式に結婚する。
その前に、音素の粒子となって消えていったもう一人のルークの追悼式が、明日行われるはずだった。
「どうしてよ、ガイ! ルークは、あなたのために死んだのに!」
血だまりを拳で打ってうなだれたティアへかける言葉などどこにもない。
ジェイドにはガイの心など分からないし、彼も分かってほしくもないだろう。
We all liked you, thou you needed only one.
(自分勝手な男だとあの世で怒られでもすればいい)