<カースロット>
「アニス、悪いんだが頼みがあるんだ」
そろそろテオルの森も抜けようと言うときだった。
唐突に声をかけられ、アニスは顔をしかめて振り返る。
「なんであたしなのー?」
「ジェイドがいればあっちの担当なんだけど、な」
そう言ってガイは腰から剣をはずす。
そろそろ出口とはいえここはまだ敵が出るポイントだ。
何をするの、と言いかけたアニスに黙るように視線で伝えて、ガイは剣を押し付けた。
「悪いが持っててくれないか」
「……は? どうして?」
「あと譜術をいつでも放てるようにしておいてくれ、単体相手で、なるべく強い奴」
「強い敵でも来るの?」
時々ガイは先を知っているかのような行動をとるので、アニスもさほど驚かずにからかい半分で尋ねると、彼は真顔で頷いた。
「ああ、最悪の敵だ」
「弱点属性とかわかったらいいんだけど」
「……悪いけど知らねぇな。譜術がどれだけ通るかも怪しいもんだ」
「ふえ? ちなみに敵は何なの?」
集中力半分くらいで聞いたアニスは後悔した。
「敵は……俺だよ」
「……冗談でしょ? 今から裏切る予定でもあるわけ?」
「シンクにカースロットをつけられた。これから発動する」
「なんでまたいまさら」
「不可避ってやつだな、これが預言に詠まれてたんならくそったれだ」
イオンにも消してもらおうとしたんだが、と呟いてガイは唇を噛む。
彼いわく。発動したことのないカースロットは呪が深すぎて解呪できない、とのことだ。
「ガイが本気になったらあたしたち皆殺しにできるじゃない」
アニスの言葉に嘘はない。
ガイの戦闘力の高さは群を抜いていた。
「ああ、だからせめて丸腰になっておこうと思ってな……」
「ちょ、ちょっと〜。ナタリアやティアでは素手でも一撃だってー。ルークやあたしだって……」
おそらく二三発で終いだろう。
アニスはガイ相手にそれ以上持ちこたえる自信がない。
「カースロットは多少は対象を操れる。シンクが俺に攻撃させるとすれば――たぶん、ルークだろう」
「ガイがルークを攻撃するわけぇ?」
「……もうしない、と思う。でも俺には前例があるからな……」
苦い顔で笑ったガイは「まあ頼むよ」と死刑宣告に似た言葉を投げつけて、離れてしまっている一行を足早に追う。
そしてそれは、もちろん彼の危惧通りにおきた。
「前ばかり気にしてはいかんな小僧」
ラルゴの言葉にルークは眉を上げる。
「ルーク、よけてーっ!」
アニスの叫び声と同時に、動いた影がルークに襲い掛かった。
「うわっ!?」
剣を持っていた手は強い力に押さえ込まれ、反対側の手もからめとられる。
それ以上の声を上げる前に、ルークの足は払われ、地面に押し倒された。
「ガイ!? 正気ですのガイ!?」
走っていこうとしたナタリアをアニスが止め、すぐにでも発動できる状態に持っていった譜術を展開させる。
「ルーク、大丈夫!?」
駆け寄ろうとしたティアの呼びかけに、ルークのくぐもった声が聞こえた。
「だ、大丈夫。あんまし痛くねぇし……ど、どうしたんだよガイ……」
ふ、と全員の緊張がわずかに緩んだその時だった。
ガイはルークの片手を押さえつけていた手を離すと、するりと彼の頬をなで上げて。
馬乗りになっていた自分の体をかがめて――重ねた。
「………………イオン様、小声でカースロットの説明をお願いします」
半目で呟いたアニスに、イオンは戸惑った表情で視線をそらす。
「ええと……記憶を揺り起こし理性を麻痺させる……」
「つまりアレはルークに対しての理性が麻痺した状態なわけね」
ばかばかしい。シンクも馬鹿をしたもんだわこりゃ。
そう呟いてアニスは保っていた譜術を適当な方向へ向かって放つ。
どうやらそれは隠れていた六神将にあたったようで、すぐにガイは力を失った人形のように倒れこんだ。
「ガ、ガイ! ガイ、大丈夫か!?」
真っ先に心配した声を上げたのは彼に押し倒されていたルークだ。
「ティア、ガイが……ガイが」
「気絶……しているだけのようね」
どうしよう、と狼狽したルークにイオンが言葉少なに説明する。
そして一行はグランコクマに連行されることになった。
「……と、いうわけでして……その、説明はいささかごまかしましたが」
カースロットをといてもらったガイはイオンの説明を聞いてその場に突っ伏した。
「す、すみません! その、ガイが欲求不満などと……」
「いや、考えうる最善の対処だったとは思う。悪かったな」
イオンの説明によれば、ガイがルークを襲った(ダメな意味で)の説明はこうしたという。
『ガイも男性ですからそういう欲求があったのでしょう、カースロットは理性を麻痺させますからその面が出ることもありえます。しかしそこで女性には行かないという彼の最後の理性が働き、結果として相手がルークになったのだと思います』
完璧な説明だ。
すばらしい。
……嘘だという事を除けば。
「ええっと……カースロットというのはですね」
「いや、知ってるから」
「あ、そうでした。えっと……それでは……あの、ガイは……」
いいにくそうにしているイオンに、ガイはにこりと笑顔を向けた。
「誰も言わないでくれよ」
「あ、は、はい。もちろんです! あ……でも、アニスには……その」
「ああ……まあアニスはいいわ」
ゆすられる可能性はあるが、言いふらしはしないだろう。
それに彼女も薄々分かってはいると思う。なので放置しておくのが一番だ。
そう思いながらルークにどんな顔をして会おうと思っていると、くすりと横でイオンが笑った。
「なんだ?」
「いえ。ガイは、ルークのことが本当に好き、なんですね」
「へ?」
「カースロットというのは負の記憶を強く揺さぶります。ルークに対して出てきたのが愛情、というのはそれ以上の負の記憶を持っていない、ということですから」
いいですね、と笑った導師に申し訳ないような気がして、ガイは自嘲の笑みを浮かべた。
「それは違うな」
「そうですか?」
「ああ。ばれたから言っとくけど、あれは俺の中の徹底的な負の記憶で、感情だ」
ルークを押し倒して、口付けて、犯して閉じ込めて自分だけのものにしたい。
渦巻くその感情のままに行動した事もあった。
だがそれだけでは幸せになんかなれなかった。なれるはずもなかった。
「美化してくれんなよ」
「……そう……ですか」
なんだかかなしいです、と呟いた導師に悪いな、と言ってガイは扉の向こうから聞こえてくる足音に小さく溜息を吐いた。
さて、どんな顔であの子を迎えようか。
重い思考に悩まされながら、半ば無意識に指が唇に触れる。
(――甘かった)
浮かんできた感想に苦笑いをして、ガイはなるべく平素の顔に見えるような仮面をかぶった。