<大人になったら>
微妙な表情をしたルークの前でガイは不思議そうに首を傾げた。
「だってお前、好きだろ?」
そう言われてしまえばもうルークは何も言えない。
それは昔の話だと思うのだけど、昔と言ってもガイにとってはそれほど前じゃないのだろう。
ガイが毎日日記を書いているのをルークは知っていて、その内容の九割以上は自分のことであることも知っている。
身長や体重、朝起きた時の機嫌、食べたものに勉強したこと訓練内容、その他様々な些事と――それに対するルークの反応。
初めて知ったときは大好きなガイがそれだけ自分のことを見てくれるのがとにかく嬉しくて、言ったことを覚えてくれているのが嬉しかった。
少し成長してからはガイのその行為が普通ではないことには気付いたけど、それでもやっぱり嬉しかった。
そして今は……内心ガイはたまにおかしいんじゃないかと思っている。今更だけど。
「いや、なのか?」
ちらりと見せたガイの曇った表情に、ルークはひどく動揺して、あわてて首を横に振る。
「久しぶりだなって、それだけだって」
「そっか」
渡されたマグカップに入っているのはガイが作ってくれたココアだ。
近頃冷え込むから温かい飲み物をと気を利かせて持ってきてくれた。
「熱い……」
「ゆっくり冷ませよ」
猫舌のルークには少し熱いので、冷ましながらすする。
けして台所からは近くない距離を、冷まさないように急いで持ってきてくれたのだろう。
そう思うとたいして飲んでないのに、お腹とか胸のあたりが暖かくなった。
「苦かったか?」
「ううん、美味い」
「よかった」
笑ったガイは自分のマグカップの中身を啜る。
そこに入っているのは真っ黒い液体で、とても苦い。
ルークが飲むのは甘いココアで。
ガイが飲むのは苦いコーヒー。
「…………でも、俺だって」
「ん? どうしたルーク」
「なんでもねえっ」
十六になった。
来年には十七になる。
成人の儀まであと四年。
いつになったら「大人」になって、いつになったらこの親友と「対等」になれるのだろうか。
「ガイ、俺さ」
「どうした?」
「……俺、大人になれるのかな……」
呟いたルークの前でガイの手がわずかに震えた。
それに気付けたのは水面を凝視していたからだ。
「なんでそんなこと言うんだっ」
帰ってきた言葉は少し厳しく聞こえる。怒っているわけではないようだけども。
「お前はちゃんと成人の儀を迎える、二十歳になる、絶対に」
そういう意味じゃないのだけど、とガイに奇妙な間違いを指摘しようと顔をあげて、やめた。
なんだか泣きそうな顔をしていた気がしたからだ。
閉ざされた箱庭のような屋敷で、ずっと見つめて来た彼の感情を拾うことだけは、間違えない自信がある。
「ガイ」
飲みかけのココアを机に置いて、ガイの手からもマグカップを奪った。
するりと外れた指を握りこむと、やっぱりわずかに震えている。
「ガイ」
立ちあがって自分より背の高い彼の首に腕を回す。
ぎゅうっと背中にまわされた手に力がこもったけど、ルークは痛いとは言わずにガイを引き寄せた。
「お前は……っ。絶対、二十歳になって、この屋敷を、出て行くんだっ……」
くぐもった声が漏らされて、それはいつも穏やかな彼らしからぬものだったけれど。
それも彼の一面であると気付くようになっていたルークは、短い金髪に指を突っ込んでかき回した。
「おう、楽しみだ」
「世界を、世界でちゃんと……生きて、笑って……っ」
「そん時はガイも一緒に来てくれるか?」
「あたりまえだ!! 俺はもう二度とお前を――っ」
いよいよ強くこめられたガイの力は背骨が折れそうなほど強くて、ルークは眉をしかめたけれど無言でガイの頭をなでた。
「絶対、そばにいる。俺の可愛いルーク、お前のそばにいる」
「ん。ありがとな、ガイ」
“俺の可愛いルーク”
記憶のある時から、ガイはそうルークに呼びかける。
まるで口癖のようなそれを聞いて六年間を重ねてきた。
その言葉の意味をルークはガイに尋ねたことはない。
もっと無邪気だった時は聞けたのかもしれないけど、今のルークにはもう聞けない。
四年後。
ルークは二十に、ガイは二十四になる。
四年後も彼はルークをそう呼んで、外の世界への旅についてきてくれるだろうか。
そう聞いたら当たり前だというのだろうけど、「絶対」なんてそんなに沢山ないことをルークはわかっているつもりだ。
この記憶ですら「絶対」ではないのだから、ガイの約束だって、もしかしたら。
「必ず、守る。絶対に、今度こそ、お前を守るから」
肩口に顔をすりつけていつもなら絶対聞かないような声でガイが何度も何度もそう誓うのを、ルークは静かに聞きながら。
早く大人になれればいいのに、と思った。
そうすればガイは同じブラックコーヒーを淹れてくれるだろうか。
何かを堪えるような顔をしたりせずに話してくれるだろうか。
ちゃんとルークの前で泣いてくれるだろうか。
それとも、こんなふうに抱きしめてくれなくなるのなら――
I want to grow up. I wanna so because of you.
(いつまで俺は“俺の可愛いルーク”でいられるんだろうか)
***
ガイのみ巻き戻しシリーズ、ルーク視点。
16歳(中身6歳)のルークはガイの教育もあって箱庭が世界ではないことを知っています。
だから自分の記憶のこともあって、ガイがずっとそばにいてくれない可能性におびえている一面もあります。
いつまでガイにとって自分が“俺の可愛いルーク”なのかわからなくて、いつかガイにもっと大切な人ができることにおびえている。
でもそれは「親友」や「幼馴染」相手なら祝福するべきことだろうから、どうしておびえてしまうのかわからない。