ヘルと島の村長にこってり絞られて砦に戻ると、いきなりパネットとル・パシャに捕まった。
帰りは手鏡を使うだろうと樹の前で待っていたというから余程の火急らしい。
パネットはまだ新しい発明品を見てほしいとか色々言ってくるから、今回も待ち遠しかったのかとも思う。
だが、ル・パシャが出待ちをするのは珍しい。
妹分であるミンスを待っていたようでもなさそうだし。
「実は、キッシュにお願いがあって……」
先日スティラがパシられて購入していた髪留めで結った
ふわふわとしたブロンドの髪の下で、青い瞳が細められる。
細身で強く握ったら折れてしまいそうなほど細い腕だけれど、キッシュ達は知っている。ルギド=ペソ特有の薄らとした体毛が生えているあの腕が、キッシュ達と互角以上の荷物を持ち上げられるという事を。
「セロ山脈の北の方に、ルギド=オルグの集落があるのは知ってるわよね」
「ああ」
「そこに、人間が入り込んでいるらしいのよ」
「……はぁ?」
思わず呆れの声が出た。
どこの馬鹿だ。
一緒に話を聞いているスティラも同じような顔をしているし、ミンスも腰に手を当てて呆れた表情を崩さない。
「ずっと前に、不可侵って約定を決めたんじゃないの。そこに立ち入ったなら人間の方の落ち度だろ」
冷たい言葉にも聞こえるが、スティラの言う事はどこの集落でも知られていることだ。
ルギド=オルグとルギド=ペソは、狼の姿をした種族で、元を辿れば同じ一族になる。
違うのは人間に対しての有効度だ。
人間に対して友好的な者はルギド=ペソと呼ばれ、人型で暮らしている。
この砦から南下したところに集落を形成しているけれど、他の集落でも姿を見かけるくらいには人に馴染んでいる種族だ。
ミンスの親父さんもルギド=ペソで、ミンスはそのハーフにあたる。
一方、排他的な者はルギド=オルグと呼ばれ、彼らはセロ山脈の北部の山岳林を棲家にしている。
常に獣型でいるらしいが、滅多に目撃された事がないのでそれ自体が伝聞だ。
彼らが分かれたのは今から百年以上前。
今はもう形骸化しているエルベ王国が建国するより前の話で、その頃は境界なんてものは当然なく、村がルギド=オルグに襲われて全滅するなんてこともザラだったとか。
元々力が強い種族だし、鋭い爪と牙を持つ獣が人間並みの知能を持って集団で動くのだ。
それは時に、軍すら蹂躙したという。
結局
ルギド=ペソが仲介して、騒動を治めるための決め事が、ルギド=オルグはセロ山脈の北部に棲み、人間は彼らの領域を侵してはならないというものだった。
領域を侵さない限りルギド=オルグは人の領域を害さない。
侵した場合は命を奪われても文句は言わないという不文律が両種族の間で決められたのだとか。
村の外を歩く年頃になると必ず教えられることだから、どの村の人間も、セロ山脈の北部は決して立ち入らない。
港町とエルベ王国をつなぐ行路としてあの場所が最短距離だと分かっていても、当時の王国すら手を出しはしなかった。
実際にルギド=オルグを見たことがなくたって、同じポテンシャルを持った存在が身近にいるのだ。
獣を尾をあえて踏みに行くのは愚か者という風潮で、乱暴なようではあるけれど、何もしなければ人間に不干渉なのだから、立ち入らないのが正解だ。
「ただ、今回はどうも入り込んだ人の方が正当性があると主張しているみたいで……。ミンスのお父さんから困ってるって話がきてるの」
「え、違うよルギド=オルグが村の家畜を襲ったんだよ」
ル・パシャの話に
割って入ったのはパネットだ。
「母さんから手紙が来たんだもん。キッシュさんになんとかしてもらえないかなって」
そのまま話を聞くと、ピタの周辺で家畜が襲われる事件が最近頻発していて、目撃情報から大型の獣――ルギド=オルグが犯人ではないかと言われているらしい。
なんとかしようにも、港町のギルドで傭兵を雇うには金額が高い。
キッシュ達のところにパネットとカヌレドがいるのを思い出して、依頼できないか便りを出したという事のようだ。
「家畜を襲わないように撃退してほしいんだって」
「なんでルギド=オルグが犯人だって話になったんだ?」
「ルギド=ペソの獣形態と良く似てたらしいんだ。でも、ルギド=ペソがわざわざ獣形態になって家畜を襲うなんておかしいでしょ?」
「そりゃあね。ルギド=オルグに罪をなすりつけるほど私達の仲が悪いわけじゃないもの」
そもそも元が同じ種族でも交流がないに等しいから、関係を悪化させることが難しい。
「どーすんだ?」
「ルギド=オルグが家畜を襲って、その報復で人が山脈に入り込んだのか。人が山脈に入った警告でルギド=オルグが家畜を襲ったのか……」
この場合、先に手を出した方の分が悪い。
だけど、二人の話からだけではどちらが正しいのかも分からない。
これ以上ここにいても情報は集まらないだろうから、一度行ってみるしかない。
作ったままの旅支度をそのまま使う事になろうとは……。
「今回は、私も同行させてください。ルギド=オルグと話をするなら、ルギド=ペソがいた方が席を設けられる可能性が上がりますから」
「体調は平気なのか?」
ル・パシャはルギド=ペソの中でもとりわけ体が弱い。
狼の姿に変化するにもかなり危険が伴うといわれているくらいだ。
穏やかな気質だし、ぜひとも同行してほしくはあるが、無理はしてほしくない。
そう言えば、ル・パシャはにこりと微笑んだ。
「強行でなければ大丈夫ですよ。荒事はお任せするかもしれませんが……」
「あたしがいるから大丈夫よ」
「それもそうだな」
胸を張るミンスが、
ル・パシャが行くと言うなら行かないはずもない。
「俺も行っていいよな?」
「頼りにしてるぞ危険感知センサー」
それでもって、敵対しかねない種族の縄張りに入るなら、命の危険を察知できる存在は必須だ。
あとは腕っ節と折衝を考えると、イシルとヒーアスあたりがいいだろうか。
「キッシュさん、戻られたんです?」
その時
ノックと共に入ってきたのはロアンだった。
旅支度を解かないままのキッシュ達を見て苦笑を浮かべるあたり、ル・パシャとパネットからすでに話は聞いていたのかもしれない。
「イシルさんよりサヴァさんの方がいいかもしれませんね。異種族を連れて行った
方が、多少なり警戒が緩むかもしれません。それに山岳林なら、エルフの機動が役立つでしょう」
ヒーアスでなくイシルと交代なのは、ヒーアスは耳がいいからルギド=オルグの出す音に反応できるかもしれないということだ。それと持っている雷の紋章がいざという時に火種や逃亡の助けになるだろうと。
「ならそうする。サヴァとヒーアスに声かけてくれるか?」
「僕が行ってくるよ!」
お願いしたのは僕もだもん、とパネットが部屋を飛び出していく。
それを見送って、ロアンが「実はですね」と手紙を一通取り出してキッシュへと渡した。
丁寧な筆跡は
レティからのもので、ザハが最初に読んですぐにロアン(というかリーヤ)のところへ持ってきたらしい。
代読してもらわずとも読めるようになった筆跡を追うと、いつもと同じようなこちらの近況を窺うものだったが、続くのはやや物騒な内容だった。
「北の方で、南を警戒する動きがあるそうなんです。こちらには何も言ってきていませんが、フォリアさんの方には援助の申し出や警告が入っているようですね」
今はまだ保留しているという事だが、こういう事があったと一応知らせてくれたのだろう。
近々相談に伺うと最後は締めくくられていた。
「北部に行くようですけれど、動きには注意してくださいね」
「俺達なんか警戒してどうするんだ……?」
「一定以上の人数が集まってる時点で、見る人によっては十分に脅威なんですよ。相談に来られた際にどうするか、キッシュさんも考えておいてくださいね」
首を傾げての言葉に返したロアンは、複雑そうな表情をしていた。
***
キッシュとしてはそういう意思がないので警告される心当たりすらないのです。
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