蝋燭の芯が燃える音が、静かな部屋の中ではやけに大きく聞こえる。
随分と短くなったそれに、そんなにも長い間思索に耽っていたのかと、レティは細く長い息を吐いて地図から目を離した。
使い慣れた机の上に広げた地図には、山脈や川の他に集落の名前が書き込まれている。
赤茶に塗られた北部はいまだ十数年前の古い頃のままだが、中部から南部にかけてはその後の戦乱によって変わっていった後の地形が詳細に記載されていた。
最近キッシュが地図を描ける人を仲間にして、その人が描いたものらしい。
ハルヴァの知り合いだったようだけれど、何枚か作ったから一枚どうぞ、と送られてきたものの貴重さを彼らは理解しているのかどうか。
ありがたく使わせてもらっている地図上には、レティの手で町に住む人数や貯蔵等の更に細かな情報を書き込んである。
上に置いた石は、そこに集まる「戦力」とみなされる概数だ。
「……あまり、芳しくはないわね」
石の散らばりを見ていると、何度目かの溜息が自ずと零れる。
石の数が集中しているのは当然北部だ。
エルベ王国の首都であったル・レクチェの周辺には内戦前からの戦力が多く残っているし、当時の統率がまだ生きている。
中で更に細分化されて小競り合いをしているかもしれないが、そこまではレティ達の情報網では分からない。
次に多いのは北部との対立を名言している、中央北部のレジスタンス。
彼らは内戦直後からずっとエルベ王国の流れを汲む北部を敵視して、各地で小競り合いを続けている。
ゼスタ王国の名残を汲む者や、
内戦時にエルベ王国から不当な扱いを受けた者、虐げられた者の関係者が多数を占めているというが、元兵士等も多いようで、数と質ともに軍に近いものがあるらしい。
そこに引き続いて集まっているのが、この南部自警団と、ケラジ要塞――キッシュ達の砦だ。
合計したら、レジスタンスに及ばないまでも第三勢力としては十分に成立してしまう。
一介の農民上がりが多いフォリア達と、元軍人を中心に組織されているレジスタンスを単純に数だけで比較するわけではないが、数の上ではそう見える。
これまで薄々感じてはいた。
ただの自警団でくくるには、限界があると。
その認識を改めて突きつけてきた手紙は、地図と一緒に広げられていた。
手紙の蝋印には、エルベ王国時代から力の強かった貴族の刻印がされている。
丁寧な挨拶で始まったそれは、ル・レクチェにある王国時代からの勢力の中で、南部を警戒している者がいるから気をつけなさい。望むなら助力をしよう、と。警告と助力を示唆するものだった。
完全な善意だとは思わない。
もしかしたら本当に、善意からの言葉なのかもしれないけれど。疑わないフォリアのかわりに疑うのがレティの仕事だ。
だけど珍しく、この申し出に対して、フォリアもすぐに乗ろうとはしなかった。
……その理由がまた問題なのだけれど。
王国の助力を借りれば、傘下に入る事になる。
その場合、フォリアのところとキッシュのいる砦は、明確に互いの位置づけを行わなければならない。
フォリアが嫌がっているのはそこなのだ。
フォリアはキッシュとはあくまで対等だと思っているみたいだけれど、黎明期にザハやハルヴァを派遣しているのもあって、南部の面々はキッシュ達を自分達の下部組織だと考えている節がある。
逆に、キッシュの砦に後から入った者達は、別の組織だと考えているだろう。
今はあまり表面化していないものの、もしも自警団が王国の傘下に入る事にしたら、きっと何かしらの動きが起こる。
人数では圧倒的に自警団の方が多い。
レティの婚約者であるシュークが軍人家系の出というのもあって、武術の指南や指揮系統も整っている方だろう。
物資だって南部の豊かな恵みを享受できているし、主要な村にいくつか拠点を置く余裕もある。
対してキッシュの砦はこれといった組織が確立されていない。
人数が増えたのもあって色々と取り決めを作ったけど面倒くさいと零していたキッシュは、基本的に組織に頓着がないのだろう。
ただ、個人単位で見ると、彼のところには特異な才能が集まっている。外から見て脅威だと思えるくらいに。
この地図一枚にしたって、今のこの大陸ではどれだけ希少なものか。
聞けばエルフの結界を修復したというけれど、その技術をどれほどの人が持っているだろう。
砦は活気付いていて、それだけでひとつの街のようで。一介の砦が抱えるには過ぎた能力がどれくらいあるのか。
そろそろひとつの区切りをつける時期なのかもしれない。
キッシュ達にこの事を知らせて、今度相談に行くと言ったから、その時に意見を聞きたいと思う。
「……誰が悪いというわけではないのだけれどね」
更に零れそうになる溜息を飲みこむために、すっかり冷めたお茶を一口飲む。
何一つ咎などない。
フォリアもキッシュも、自分達の思うように動いているだけ。
だけどそれを、大人達は脅威と見る。
そろそろ寝よう、とレティは結っていた髪を解く。
あまり根を詰めても今日はいい打開策は出せそうにない。
実直さだけでどこまでも進めるわけじゃない。
それがフォリアのいいところなのだけど、組織の頭としては少々頼りない。
今後、北部との付き合い方を考えるに当たっても、色々と考えていかなければ。
「おじい様ならどうしたかしら……」
レティに知恵を授けてくれた祖父は数年前に他界した。
彼女の知識は祖父の教えと、彼の残した膨大な書物によるものだ。
レティになんの特殊な能力はない。
だが、幼い頃に祖父の下を訪れる多くの人を見て、祖父と言葉を交わす様を見て。その背中を追って。
人を見る目や話術、先見性を学んだ。
祖父が死んだ時にこんな体にはなったが、それは彼女の才を更に伸ばしてくれた。
だけど祖父にはまだまだ及ばない。
師である祖父がいてくれたら、彼はなんと言っただろうか。
今はまだいい。だけれど、今後北部の勢力が変わったら。
あるいはキッシュ達がもっと名を上げたら。
解決しなければならない問題に対して、解はあまりに出すのが難しい。
「……レティ」
「どうしたの、シューク。こんな夜更けに」
「嫌な知らせだ」
ノックの後に扉が開く。
婚約者の表情は、朧な蝋燭の明かりの下でも分かるほど悪い。
「サンシの村が、王国軍と思わしき一団に襲撃された」
***
キッシュ達が時間旅行して山脈を登っている間のお話。
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