その情報を持ち込んだのは、流れの吟遊詩人だった。
北からやってきたのだという彼女は思いの他この砦を気に入ったらしく、土地の中央を陣取る巨木の根元に腰を下ろして気ままに手琴の線を弾く。
これまでの砦では耳慣れない音色に、ちょくちょく巨木の周りにギャラリーができるのだが、もともとそういう職だからか彼女はあまり気にしていないようだ。
キッシュもリーヤの交易指南だのロアンのよくわからない講義だのから抜け出した時などに聞きに行っている。
いつか聴料を取られないか少し心配だ。
今日も音色を導のように彼女のところまで足を向ければ、木漏れ日の下にいた。
上着と同じ白の帽子に収めきれずに零れた薄金の髪房が陽光に透けてきらきらと輝いている様は、一枚の絵画のようだとどこかの誰かが零していたのを聞いた覚えがある。
「よ、ジェノワ」
「こんにちは。キッシュさん」
曲が終わり、琴を膝に置いたのを見て声をかければ、空を溶かしたような青を柔らかく細めて笑みと共に返してくれる。
なんていうかとってもこの砦にいてもらうのがもったいない感じがするのだが、彼女自身がここを気に入ったと言ってくれるのは素直に喜ぶところだろう。
「これから少し、時間あるか?」
「なんでしょう」
「この間教えてくれた話を詳しく聞きたいんだけど」
「いいですよ」
あっさりと頷く彼女に、ギャラリーだらけのここで込み入った話をするのもと、別の場所を促す。
向かうのは、お手頃価格で甘味が味わえる喫茶店だ。
食事の時間には少々半端な今時分にはちょうどいいだろう。
店は今日もそこそこの席が埋まっていた。
給仕係に出されたメニューをジェノワに見えるよう差し出せば、少し悩んでから彼女はコーヒーのみを注文した。
「もしかして甘いもの得意じゃなかったか」
「このお店、コーヒーもおいしいんですよ」
どうぞ遠慮なく、と言われて、キッシュは紅茶とロールケーキを頼ませてもらう。
それらがひととおり運ばれてきて、砂糖もミルクも淹れずに口を湿らせたジェノワが「さて」と話を切り出す。
「この間というのは遠征前のことですよね」
ちょうどキッシュが数日の遠征に出かける間際にジェノワが立ち話で零していたのをキッシュが拾って、帰ったら聞かせてほしいと言っていたものだ。
「その、ゲバンの砦に連れていかれたっていう子の特徴。もう一度教えてもらえるか」
キッシュの問いにジェノワは頷く。
「髪の毛は、ベースを銀髪でしょうか。長い銀髪に赤がうねるように入っていて、そこから更に金色が幾筋か。瞳は金でした。色々な土地を回ってますが、彼女が着ている服装は見たことがなかったですね」
並べられた特徴は、キッシュがヘルから聞いているものと一致する。
「アルテナ、だな」
なるほどヘルから聞いていたけれど、改めて聞くと結構記憶に残るいでたちだ。
おかげでこうして足跡が分かったのだが。
断定レベルで判断できるだろうヘルは、今、大陸の北端にある遺跡に調査に行っていて当分戻ってこない。
戻ってこいと人をやって、帰り道は例の鏡を使ったとしても、1ヵ月以上かかるだろう。
「お知り合いですか」
「正確には知り合いの探し人だな」
「そうですか……。あの砦の頭はあまりいい噂を聞かないので、もし知り合いの方だというなら早めに何とかした方がいいと思いますが」
「だよなぁ……」
アルテナがゲバンに捕まったという話がそもそも半月以上前だ。
そこから更に1ヵ月待てる猶予があるのかどうか。
だとすれば、ヘルに先行してこちらが動くしかないわけだが、大問題がひとつある。
「とはいえ、砦といってもあそこは自由に出入りができるような場所ではないですからね。忍び込むのは至難の業ですよ」
「……結構やばいとこ?」
「かなりやばいとこです。具体的に言うとですね、」
こくりと頷かれてジェノワが並べていく具体例に、キッシュの上半身がだんだんと机に懐いていく。
サヴァ達を助けた時と同じ手段が取れないかと思ったが、やったら色々と失われそうだ。
「私としても我が身かわいさで逃げた口ですから、多少なりとは手をかしてもいいですが」
「本当か!?」
願ってもない申し出にキッシュはがばっと体を起こす。
その反応に小さく笑みを浮かべたジェノワが、目を細めた。
「といっても、私は足も遅いですし。演奏で多少注意をひきつけておくのが限界です」
「それでも助かる。連れとして一緒に連れていったりしてもらえないか?」
「それは楽団のふりをするということですよね。実際に楽器を演奏してもらう必要がありますが、候補はいますか?」
「……探してみる」
私の耳に適うなら問題はありませんよ、とさらり辛辣なハードルを作られたが、それでもいくらか希望は出てきた。
「ああ、それと。時間稼ぎをさせるなら丁度いい人を知っています」
「え?」
「この砦に、ちょっとした知人がいたんです。その人を使うといいですよ。ただし」
誘う時に私の名前は出さないでください。逃げてしまうので。
そんな注意と共に言われた名前は、最近ちょっとした話題になっている賭博師だった。
***
砦での賭博については特に禁止はしていない。
どこでもやられるとさすがに困るので、一画を仕切って賭博場を作っている。
そこの中では身包み剥がされようとも何をとられようとも自己責任。自分の気が済むようにやってくれ。
砦の中の治安についてはいろいろ骨を折っているキッシュ達だが、その一画だけはほぼ無法地帯としている。金絡みは面倒だし。
ただし、精算も取り立てもその区画でのみ。一歩でも出たら中のいざこざは持ち込まない。
だからもちろん借金もNG。
平和な砦運営のためにその二点だけ徹底させて、あとは好きにさせている。
別にその人物は負けなしと恐れられているわけではない。負けなしと恐れられている人物は他にいる。
そこそこ負けて、そこそこ勝つ。
その人物が目立つのは、賭博師にしてはあまりに小奇麗な顔立ちをしているからだった。
さらさらと流れるような水色の髪は、清潔感のあるショートに切られており、耳横の部分だけ胸下くらいまで伸ばして水晶のような飾りで留めている。
袖口や首元にシースルーと銀色の刺繍が入っている黒い服は主に男性客の目を引いて、髪の色を濃くした瞳で見つめられれば多少分の悪い賭けでも乗ってしまうらしい。
かといって、色仕掛けをするでもなし、どこまでもストレートに戦う姿勢は好ましい。
「っていう話があるんだけど男なんだよなぁ……」
「なんだよそんな文句ありそうな顔するな。こっちだって好きでこの顔じゃないんだからよ。まぁこの顔に生んでくれた親には感謝してるけどな?」
人払いされた部屋の中、どっかと椅子に凭れかかり、机に足を組んで投げ出しているのは賭場で「たおやかな人物」と評される賭博師、シュゼット本人だ。
これまた見事な猫かぶりだと思うのだが、相手の懐に探りを入れるには丁寧な物腰の方がやりやすいのだとシュゼットはけろりとしている。
その猫かぶりを何割か止めてしまえばこの間みたいにつきまとわれなくても済んだと思うのだが。
その件でキッシュもシュゼットの本質を知り、こうして話を持ちかけられるような関係になれたので、一概に悪かったとは言えないのかもしれない。
「んで? 別に呼び出しされるようなことはしてないと思うけど。最近は抑えてるし」
「まぁそうなんだけど」
「用がないなら戻るぜ?」
彼の「イカサマ」についても一度呼び出しをしたけれど、手ひどいのをやめてくれたのでよしとする。
……自分に色目を使ってくる相手からことごとくむしるのだからやめてやれよと思う。
彼の能力を思うと尚更だ。
『三秒後の視界が見える』だなんて、ポーカーやちんちろりんをやる側にしてみれば完全にお手上げだ。
「そーだぜキッシュ。まだ俺との勝負が途中なんだし、ちゃっちゃと済ませてくれよ」
「気が変わった好きなだけ話につきあうぜキッシュ」
「…………」
けたけたと笑っているリーヤは、能力を使うシュゼットにも一切負けない唯一の人物だ。
キッシュもなりふり構わず能力を使用すれば、シュゼットとそこそこ互角の戦いができたのだが(観戦していたスティラから「やめてこわい」というお墨付きをいただいた)、リーヤは何をどうしているのかシュゼットの上を行く。
というか、そもそもの勝負に能力を介在する隙を与えないゲームメイクと運びをしているというべきか。
キッシュが心を読もうとしてみたら、ここしばらくの交易の相場の数字が羅列されててシャットアウトに必死になっている間に負けていた。えぐい。
ずっとそんな調子だから、リーヤに勝てる相手などおらず、この賭博において負けなしの冠を掲げている。
ここまでくると負けられると癪だとばかりに周りも囃し立てるし、挑戦者は後を絶たないらしく、ほどほどにしているらしいのでこれといったクレームもきていない。
ついでにタチの悪い連中は逆に締め上げてくれるので治安意地にも貢献してくれている。
……一度現場に立ち会ったけれど、あれは相手のトラウマになると思う。
「いやさ、ちょっと手伝ってほしいことがあって」
「俺に?」
あからさまにいぶかしむ様子のシュゼットに簡単に話しをすれば、ふぅん、と首を傾げた。
つと足を机からおろし、イカサマをしていない証拠にと賭博中は肘までめくられている腕が顔に近づく。
中指と薬指を顎下に添えて微笑とともに傾ける仕草はうっかり見入るものがある。
「それって、思い切り絞りとっていいんですよねぇ?」
ヨソ行きの声で言うのは確認であって伺いではないと思う。
キッシュは声をかける相手が本当に彼でよかったのか少々疑問に思いながら首を縦に振った。
結局のところ。
「俺達の財布も治安も傷まないから問題ない」
「それはそれは」
全開でむしれるなんていつぶりだろう、と酷く愉快そうなシュゼットの顔色は、ジェノワと合流した瞬間に真っ白になるのだけれど。
***
ジェノワとシュゼットについては昔ちょっと手を組んでいた時代があったというかそんな感じです。
とりあえずジェノワに土下座するシュゼットが見られるとかなんとか。
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