ビッキーが砦に来た。
瞬間移動娘と書いてトラブルメーカーと呼ばれる彼女がこの砦に常駐するに至るまでの騒動を思うと
今でも頭が痛くなるが、結果として移動にかかる時間が大幅どころじゃなく短縮された。
瞬きひとつの間で目の前に港町の光景が広がった時の感動は忘れないだろう。
行きは一瞬といえど帰りは自力になってしまうが、ここで効いてくるのがフィデロからもらった手鏡
だった。
木彫り枠の銅鏡は、空が見える場所からならその種を植えた場所とつながるようになるという。
種を砦の裏手にある陽だまりに植えたので、手鏡を持っていれば帰りもまた一瞬だ。
ただ、盗難の可能性を考慮して、手鏡の存在や使用については一部だけにしか教えていない。
独占しているようで気がひけなくもないが、こればっかりはエルフからの友好の証という意味でも慎
重に保管・運用しなければならない。
食堂と喫茶店にカンパして、値段引き下げに貢献したので許してほしいと思う。
『過信はするなよ。手鏡は常にキッシュが携帯しておけ。ビッキーはたまにしでかすから』
リーヤからの口酸っぱい忠告の下、キッシュがビッキーの能力を使用する時は古参メンバーの誰かに
言い置いてから出かける事になった。
一度経験しているから、忠告はおおげさではないと身をもって知っているのだ。
リオやリーヤが交易に使いたいという時は同行するようになったから、交易についての知識もまた増
えた気がしなくもない。
往復の期間が短くなったおかげで、砦の財政もより潤い始めた。
そして、最大の利点は、フォリア達が気軽に砦へと来られるようになった事だった。
リオから「今週の分ね」と渡された交易の利益を数えていたら、コンコンと扉がノックされる。
入室を促せば、ハルヴァが顔を覗かせた。
「キッシュ、ちょっとビッキーに頼んで行きたいところあるんだけど」
「ビッキーがいいって言ったらいいぜ?」
「あ、うん。それでさ。キッシュの手鏡も貸してほしいんだよね。帰り道用に」
「急ぎか? 俺も行っていいならいいけど」
手鏡は絶対渡すなよ前みたいな事が次あったら場合によっちゃ目も当てられないんだからなというの
は、北の遺跡から戻ってきてビッキーの存在を知ったヒーアスの言葉だった。
時と場合によっては、遺跡の奥とか離れ小島とかに飛ばされる事もあるそうな。何それ怖い。
「シャシャに行きたいんだよね」
「何かあったっけか」
「正確には連れて行きたいっていうか」
金庫に収益をしまって、ハルヴァと共に部屋を出て歩きながら聞けば、なんとも曖昧な表現が返って
くる。
いつもは割とはっきり物事を言うハルヴァにしては珍しい。
ビッキーがいつもいる大鏡の前まで行けば、いつもの簡易鎧で身を固めたザハとミンスがいた。
「二人も一緒に行くのか?」
「あたし、まだ港町見たことないからついていく!」
「そこで会ってな。構わないか?」
ザハがハルヴァに尋ね、ハルヴァも特に気にした風もなく了承を返す。
「キッシュさん、今日はどこにいくのかなー?」
ロッドを構えたビッキーがのんびりとかけてくる声に、ハルヴァが答えたのはなぜかキナンだった。
***
「海だー! すごい生臭いー!」
「でっかーい! 端が見えなーい!」
埠頭の端に並んで立ってきゃあきゃあとはしゃぐ女性二人の背中を少し離れたところで眺めながら、
キッシュは腕組みをして隣に立つハルヴァに視線を向ける。
「レティを連れてきたかったのか」
「前から来たがってたんだよね。この間フォリアと海を見たって話をして、羨ましがってたから、ビ
ッキーなら叶えられるかなって」
「なるほどな」
内陸部に住む人間は、海を見ずに一生を終える事もままある。
それでも海が見たければ大陸の端を目指せば数ヶ月の旅で叶うが、レティのように足が悪い場合はそ
れも難しいだろう。
「ハルヴァ、前に言ってたクラゲが浮いているのよ。ほらほら!」
「落ちないでね師匠……」
「すごーいなんかぶよぶよしてるー!」
「ミンス、触ると毒があるのよ気をつけて」
出会って数分で意気投合しているミンスとレティに、呼ばれたハルヴァが近づいていく。
普段フォリア達と話している時と全然違う様子は現状かなりはしゃいでいるのがよく分かる。
レティからクラゲについて力説されつつミンスを止めるハルヴァは大変そうだが近づくとミンスに落
とされる気しかしないので、相変わらず少し離れた場所で三人に増えた集団を眺めるに留める。
眼鏡の奥の目が、いつもより少し険が取れているように思えた。
「ふむ」
「忙しいのに悪いな」
「結局ミンスが一番はしゃいでるから気にすんな」
ほんとはフォリアとの四人で来たかったんじゃないかと軽くザハを見上げれば、そうでもないさと埠頭へと視線を向けたまま答える。
最近急がしいらしく、今日もフォリアには会えなかった。
「前から海を見たいと言ってたらしくてな。ハルヴァもずっと気にしてたんだ」
とはいえ俺達じゃレティをここまで連れてくるのも難しかったからなぁ、と言うザハの視線はどこま
でも優しい。
「今回のも公私混同で悪いとは思ったらしいんだが」
「何言ってんだ。いつも私事でしか使ってねーぞ俺は」
「それもそうか」
ザハはからからと声をあげて笑う。
「キッシュもきなさいよー!」
「落とされるからぜってーやだ!」
「このクラゲ、瓶詰めしてスティラへの土産にするのよ」
「よしきた」
そういうことなら話は別だと駆け寄れば、瓶を持たされているハルヴァと、クラゲを捕獲しようとするミンスを笑いながら見ているレティという構図が待っていた。
「キッシュ、布の反対側持ってて!」
「頼むから僕の手にはかけないでね!」
「三人とも頑張って! フォリアへの分もお願いね」
完全に悪ノリしているけどこれ誰が止めるんだろう、と思ったが、面白かったので靴を脱いでキッシ
ュもまた海へと入った。
***
フォリア&スティラ「「ザハは笑ってないで止めてほしかった」」
|