「では皆さんによろしく。私達ももう少ししたら戻りますが……頑張ってくださいね」
見送りのエリカの言葉が大変不穏だった。
ただ水鏡に飛び込めばいいだけと思っていたのだが違うのだろうか。
聞き返せば、頑張るのはそこではないと首を横に振られる。
「だって、あなた達前触れもなく飛ばされたんでしょう?」
「向こうから手紙は出したけど……」「……まぁ、リーヤがいればなんとかフォローしてくれているでしょう。慣れてますからね。ただ、もう少し危機感というか、自分の重要さについては自覚した方がいいですよ」
「…………」
逆に呆れられたのはなぜだろう。
「な、なぁエリカ。今更なんだけどさ、トビアスって紋章の研究者なんだよな。普段はちゃんと見たことなかったけど、エルフからも信用置かれてるってすごいんじゃねーの?」
何かを察したらしいスティラが口を挟む。
トビアスの話題だからかエリカもころりと表情を変えて話題に乗った。
「そうですよ。北大陸でも有数の研究者です」
「エリカはその助手ってことだよな」
「名目上はそうしていますね」
名目上とか言い回しが怪しい。
たしかに彼らが一緒にいる時、エリカがしているのはお茶の用意とかトビアスが読んだ本を片付けたりしているのを見たことはあるが、その書物をエリカ自身が読んでいるのは目にした事がない。
以前ノエルとコットにその話をしたら、「二人は恋人だよ!」と言われた。
そうか……としか返せなかった。深入りしてはいけない世界な気がする。
「ほら、エリカって前々からうちの砦に出入りしてたじゃん。けど、トビアス見たことはなかったよなーって。買い付けにしては不向きな場所だし、その頃から地下のこと感づいてたのかなって」
スティラはどうやら前々から疑問に思っていたらしい。
言われてみればそのとおりで。さて考えがどうにも読めない彼はどう返すだろうか、と興味半分で返事を待っていると、常のように笑顔を浮かべたままエリカはさらっと返した。
「リーヤさんの動向を確認するためですよ。あの人がどの方面に探しに行ったか確認しておかないと、偶然出会うかもしれませんでしたから」
「……それってリーヤとトビアスが会わないように進路を調整してたってことか?」
「あそこで見つかってしまうのは少々計算違いでしたが……まぁ、あのあたりで潮時でしたからね」
暗に肯定する返答に、頭を回す。
リーヤがこの大陸に来ていたのは人探し。その対象はトビアスだった。
エリカはその目的を察していた上で、トビアスとリーヤが鉢合わないように動いていたことになる。
それって。
「エリカはトビアスが帰るの嫌なのか?」
「二人きりの時間が取れなくなるじゃないですか」
先程からまったく変わらない笑みのままなエリカの言葉が、何割本当なのか分からない。
キッシュが注意している状態で面と向かって話していても、内面がさっぱり読めない……こんなことは滅多にないのだが。
「トビアスもこちらの文化には興味を持ってましたからね。見つかれば早々に連れ戻されるので、なら気が済むまではと思っていたまでです」
「……
エリカって、何考えてるかわかんねぇって言われないか」
「よく言われます」
にこ。と笑うエリカの表情は、どこまでも読めない。
準備ができたよ、とフィデロから声がかかる。
水鏡へと向かう列の最後尾に立ったキッシュの肩を、エリカが小さく指で叩いた。
「あなたの周りには私のようなタイプがあまりいなかったのかもしれませんが、ひとつ教えて差し上げましょう」
口元に手を当てて、秘密事のようにエリカが目を細めた。
「感情や思考は、訓練や意志の強さ次第では隠すことができる人種もいるんですよ
」
便利でしょうが頼りすぎるといつか足元を掬われますのでご注意を。
どういう、と問い返す前に、早くと前から声がかかった。
***
降り立ったのは砦の裏手だった。
そこそこの日当たりはあるが、建物と塀のちょっとした隙間になっているため何かに使うには狭いスペース。なかなかいいところを見つけているものだと思う。
さて、久しぶりの砦だったが、出迎えは散々だった。
ヒーアスはシャルロが「おかえりなさい!」と笑顔で出迎えて抱きついてきたというのに、キッシュとスティラを待っていたのはカロナの泣き顔とクグロの拳骨とミンスからの飛び蹴りだった。
最後がどう考えても理不尽すぎる。
「ほんっっっっとうに心配したんだからね!」
「悪かったって! 反省している!」
「一度倒れてから反省しなさいっ!」
「ま、まてミンス話せばわかる!!」
怒り心頭のミンスに説得も弁明も無意味である。
直撃したら頭蓋骨が砕けるレベルの蹴りはかろうじて避けたが、追撃の嵐に、最初の一撃でノックアウトされて床と仲良くしているスティラが羨ましくなってきた。
「連絡くらいよこしなさいよっ!!」
「したわ! 大陸の反対側から出した手紙なんかそうすぐに届くか!」
「なんで反対側?」
「お前……スティラを蹴り殺す前に話くらい聞いてくれ……」
ミンスの怒りが小さくなったのを見計らい、事を説明したのだが、キッシュ達が消 えたところにそんな少女などいなかったらしく、またぷんすか怒り出した。
「またそんな言い訳してー!」
「いや、本当なんだって」
キッシュ達の命の危険を感じ取ってくれたのか、珍しくヘルが説明し、ヒーアスも援護に入ってくれたおかげで(アシュレはいなくなっていた。あのやろう)なんとか納得してくれたようだった。
「……とんでもねぇ目にあった」
二度目はないからね!と捨て台詞もどきを吐いて行ってしまったミンスを見送り、溜息を吐く。
「ビッキーに悪気はないんだ。彼女の力はすごい助かるし……今度会っても怒らないでやってくれ」
苦笑交じりにヒーアスがフォローを入れる。
確かにあれだけ離れた距離へ一瞬で行けるのは、任意で使えるなら非常に便利だ。
しかしその本人ももう砦にいないらしいのだけれど。
「つか……れた……」
喋ったからなのか旅のせいなのか、かくりかくりと首を落としかけているヘルをヒーアスが支える。
「部屋に突っ込んでくる。シャルロ、行くぞ」
「うん。キッシュさんまたね! あのねお父さん、お父さんがいない間にねー……」
半月行方知れずだった父親を責めたりなどせず、心配だったよおかえりなさい!と笑顔で迎えて、大人達の弁明中もおとなしくそばで話を聞いていたシャルロはなんていい子なんだろう。
親子が立ち去るのを見送ってから、足下の死体を蹴った。
そろそろ起きれると思う。
「スティラ、これ以上寝てると女装させるぞ」
「なんでそうなるかなぁ!? あ、いたたたた」
ガバっと起き上がりかけたものの、すぐに腹を押さえて転がる。
さすがにつらそうだったので、手を差し伸べて起こしてやったが、傷はなかなか深そうだ。
「俺、いつかミンスに殺される気がする……」
「否定しにくい」
ふらふら立ち上がったスティラを支えて、今日はとりあえず休むことにした。
***
エリカは別に平和ボケしているわけじゃないんですという副題(?)
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