「やぁや、よくきてくれたねぇ」
先触れもない来訪に関わらず、心よくキッシュ達を迎えてくれたのはエルフの里において先々代の長にあたる女性だった。
長い白髪をほつれなく後ろで簪を使って纏め上げ、背筋を伸ばして座る凛とした佇まいはこちらの姿勢も思わず正される程だ。
今は長老としてご意見番を務めているという彼女は、外見はイグラと同じくらいに見える。
『エルフの実年齢は外見の倍以上と思え』というチェイスからの話が正しければ、三桁に軽く乗っているとは到底思えない。
板張りの床に布が敷かれただけの部屋で待っていたキッシュ達の前に現れたフィデロは、長い裾を捌いて片膝を立てた形で腰を下ろす。
彼女は落ち着いた赤色の瞳をキッシュ達へと向けると、少しばかりの申し訳なさを滲ませて言った。
「今代の長は今手が離せなくてね。こんな婆が相手ですまんね」
「こちらこそ、連絡もなしにすみません」
「いつでも顔を出してほしいと言っていたのはこちらだからね。気にするこたぁない。遠路なのによく来てくれたよ」
頭を下げるキッシュに、フィデロは歯を見せて闊達に笑うと、お茶を持ってきた女性に小声で何事か指示を出す。
どこかで見た女性だと思えば、お茶をキッシュのところへ置く際に「あの時はありがとうございました」
と礼を言われ、そこで助けたエルフの一人だと気づいた。
「怪我はもういいのか」
「はい! 今は絶賛ポジティブキャンペーン中です」
「ポジ……何の?」
「キッシュさん達に決まってるじゃないですか」
やけに嬉しそうに言うと、女性は全員にお茶を出して軽い足取りで退出する。
フィデロがやけににやついた顔で見てくるので、無言で茶を啜っておいた。
「まぁ、戻ってきた子達はあのとおりさ。随分と元気になったし、人間への不信感も多少はあれど、むしろ好感を持つようになってる。結界のこともあるしね。あんた達には感謝しきれないってもんさ」
「いや、俺達が勝手にやっただけだし……結界についてはノータッチだし……」
元気な姿を見られるのはいい事だが、感謝をされるのはどこか筋違いな気がして視線を彷徨わせると、なぜか溜息を吐かれた。
前と横と後ろから。
なんでお前らまで溜息を吐くんだ。
「欲のない子だねぇ。そんなもん、まとめてもらっちまえばいいのに」
だが面白い子だ、とフィデロは随分と上機嫌だ。
それからしばらく茶を飲みながら砦に残っているエルフ(というかサヴァ)の話をし、底に残った茶が冷えた頃にフィデロが立ち上がった。
「さて、そろそろ準備ができたかね」
「準備?」
「急ぐ路なんだろう。丁度いい機会だしね。ついておいで」
キッシュ達は顔を見合わせると、腰を上げてフィデロの後をついていった。
エルフの里は、集落というよりも集合体だ。
いくつもの幹と枝が絡まりあって巨木を成し、そこから広く伸びた枝の傘が周辺一帯を覆っている。
その枝に。あるいは洞に。幹に。エルフ達は住居を組み上げて暮らしていた。
こんなにも特徴のある大木がどうして見つからないのかと不思議に思うが、それを隠す事ことが結界の役目なのだという。
人間は珍しいのか、フィデロの後ろを歩くキッシュ達には多くの視線が飛んでくる。
けれど、多少の警戒を含むにしろ、概ね好意的な感情にキッシュの方が首を傾げた。
「すっげー見られてる……」
「人間を初めて見る子もいるからね。不躾ですまんね」
「そっかー。俺達からしてみるのと同じか」
「……概ね好意的な印象を向けられているのは気のせいでしょーか」
「あんたらはこの里じゃちょっとした有名人だからね」
「有名?」
フィデロの口から出た単語にキッシュは目を丸くした。
その数秒後に一番後ろで非常に楽しそうにしているヒーアスを睨みつける。
「ヒーアス?」
「俺達は特に何もしてねーよ。聞かれたからキッシュに従っただけって答えただけで。あとはサヴァとか助けた子達が色々喋ってたけど、エルフの言葉だったから理解できなかったし」
そこでエルフ語が分かったとして、キッシュ達がいかに格好よかったかを力説した彼女達を止められたかは別である。
吊橋効果もあるだろうが、あの時捕まっていたのを助けたキッシュ達は、本人達にとってはヒーローなのだ。
難しい顔で黙り込むキッシュを面白そうに見て、フィデロは枝の間を飛ぶように渡っていく。
助走しなければ飛び越えられないような場所もなんの気負いもなしに跳んでいく彼女は本当に齢三桁なんだろうか。
うっかり足元を見てしまい、顔を引き攣らせて慌てて首を横に振って気を取り直す。
見れば小さなエルフの子供達も、自分の身の丈より広い隙間をなんの躊躇もなく飛んでいた。
サヴァに引率された時もそうだったが、エルフの森の中での身体能力は、他の土地に比べて随分と上がるようだ。
「森はエルフの場だからね」
キッシュの疑問を読み取ったようにフィデロが反対側の足場で笑った。
「ところどころに置いてある梯子や橋は?」
「怪我をした者や、足腰が弱った年長者もいるからね。それに、大きな荷を持ったままではさすがに飛べないところもある」
スティラの問いに答えて、「あんたらがこれからも来てくれるようなら、もう少し増やさないとだね」と付け足す。
それは、これからも引き続き来てもいいという事だろうか。
そう考えると少し嬉しかった。
長い長い梯子を降りて地面へと着地する。
ふかりとした腐葉土を踏みしめて、やはり地面は安心すると安堵の息を吐いた。
「さ。こっちだ」
疲れを見せずにさくさくとフィデロは森の中を歩いていく。
どの木も同じように見えるが彼女にはちゃんと行き先が分かるらしい。
はぐれたら遭難確定だと小声で呟き合いながらついていくと、やがて他の木とは明らかに違う大樹を見つけた。
瑞々しい緑色の中、その木だけが黄金色の葉を持ち、幹の色も白く澄んでいる。
瞬くように光を帯びている葉は、しかし明らかに弱っていた。
本来は枝いっぱいに抱いているはずの葉の半分以上が地面に落ちて光なく沈んでいる。
剥きだしの枝は細く今にも折れそうだ。
「これがこの里を守るための結界を作る神木さ」
「……ずいぶん弱ってるみたいだけど」
「そうさね。過去これほどに弱った神木は見た事がないよ。あんたらがこの里を見つけられたのが証拠さね」
「…………」
本来ならばエルフの里を見つける事は不可能なのだ。
以前にサヴァと来ていてそこそこのあたりがつけられたことに加え、アシュレの勘と、結界の綻びを見つけたヘルのおかげではあるが、キッシュ達はたどり着き、里を見つけられたのが結界が弱まっている証拠だった。
実際、そうやってエルフ達は拐かされたわけで、今後結界が弱まり続けるようなら第二第三の事件が起きかねない。
下手したら、エルフの里を奪おうと、北にある勢力が押し寄せてくるかもしれないのだ。
神木の根元では、数人が作業をしていた。
黒尽くめの男性もといエリカに何かを言われた帽子の男が立ち上がって振り返ると手を上げる。
その顔には非常に見覚えがあった。
「なんだお前ら、きたのか」
「トビアス!」
「こっちに来てたのか」
「なんだよ。俺の研究の見学にきたんじゃないのか」
とうとうお前も観念したのか、となんでか楽しそうなトビアスここまでの経緯を説明したら、一転して哀れみの視線を向けられた。
「ビッキーに会ったのか……そりゃ災難だったな」
「トビアスも知ってるのか」
「それなりに」
俺は最後の方しか参加してなかったからなぁ、と呟いてトビアスは神木を振り仰ぐ。
「今は何やってるんだ?」
「とりあえずは急ごしらえの結界作って、神木の負担を減らそうとしてるとこだな。もともと四本だったのが、一本が枯れて残りの三本に負担がきてるんだ。このままだと総崩れになっちまうからな」
代替わりになる神木が成長するのを待ちながら、残りの三本の回復を図る計画らしい。
「木が育つって何年越しの計画だ……」
「順調なら数年で育つらしいですよ」
「「神木すげぇ!!」」
気の長い話ではあるが、それでも数百年計画より余程早い。
「で。できそうなのか?」
「エルフの協力ももらってるからな。どうやら先の一本が枯れたのも、この三本の調子が悪いのも、根本的には養分不足らしいし」
養分不足か、とキッシュは唸る。
「けどそれって、元の養分がなくなってんならどうしようもなくねぇ?」
「いや。そっちは問題ない。大元はこの山脈にある紋章石の鉱脈だからな」
セロ山脈の鉱脈は、他の地域に比べて随分と残っている。
なぜならエルフやルギド=オルグといった種族が山脈を占有していることで、山脈に人間が立ち入れないからだ。
遠くから掘り進めるにも巨大な岩盤の地層があるので手は出しにくい。
エルフにそのあたりを探ってもらったが、鉱脈事態には特に変化はないらしい。
「てなると、何かが木にエネルギーがいくのを邪魔してる感じなんだよ」
「その原因は?」
「そこが調査中。エルフの長が張り切って色々動いてくれてっけど、先の件があるからあんまり動いてほしくはねーんだよなぁ……」
困り顔を見るに、一度止めて拒否されたのだろう。
「その話を聞くとエルフの長は里の外にいるみたいに聞こえるんだけど……」
「山脈からは出ないでくれって懇願した」
「…………」
「あれは昔から言い出したら聞かない奴だったからねぇ……」
すげぇアクティブな長だった。
フィデロも苦笑とも苦り顔ともいえない顔をしている。
「俺達が動いた方がよさそうか?」
「んー……まぁ、その方がよさそうになったら声かける。その時は頼んだ」
「はいよ」
「本当に何かと世話をかけるね」
フィデロの言葉に対して、トビアスはとんでもない、と首を振る。
「エルフの技術に触れる機会なんてそうそうない。貴重な経験させてもらってるんだから、こっちが感謝したいくらいだ」
「それはこちらのセリフだねぇ。人間がここまで紋章に造詣が深いとは思わなんだ」
「俺が別の大陸の知識を持ってるからそう感じるだけだって」
北大陸には俺より知識の深い奴なんていくらでもいるぜ、とトビアスは笑って、奥にいたエルフに呼ばれて作業に戻ってしまった。
キッシュ達には早く砦に戻れよと言い置いて。
「ああ、そうだったね。さぁおいで」
ここにきた当初の目的を思い出したらしいフィデロに改めて招き入れられる。
神木は、エルフの居住地となっている大木程ではないが、何本もの幹と枝が寄り合わさって一つの木を編み上げているようで、その中央は透明な柱が通っているかのように空洞になっていた。
人が数人入れるほどの洞となった内部は、幹同士の隙間から光が漏れ入ってくるのか、幹そのものがうっすらと光を通しているのか、灯りがなくとも昼間は薄明るかった。
水の匂いがするのは、足元に張られた根を半分ほど浸しているからだろう。
「さ。これだよ」
示されたのは、洞の中にある水鏡だった。
蔦と石で出来ているらしい器には、並々と水が蓄えられていて、そこから溢れた水は足元に張り巡らされた根の間を埋め、その下へと滲みこんでいる。
台座には大きな緑色の紋章石がはめ込まれ、周辺に小さなくぼみが四つあった。
そのうちの二つは空洞になっているが、残りには種子のようなものが埋まっている。
「これは神木の種と命の水さね。これがあって神木は神木の力を育む。……それともうひとつ、この里でない場所に種を植えた場合に、この水を追って種子がこの地との間をつなぐという伝承がある」
「……もしかして」
「ああ。その種は今、あんたらの砦に植わってるのさ」
いつのまに、との呟きに、フィデロは笑って肩を竦めた。
「トビアスが頻繁にここと砦を行き来するだろう。さすがに申し訳ないのもあるし、トビアスも何かあったら急いで砦に戻りたいと言うからね」
だから分けてやったのさ、というフィデロにキッシュは開いた口が塞がらない。
エルフにとってもかなり貴重そうなものに見えるがいいのか。
つーか聞いてねぇぞトビアスそんなものいつ植えた。ほいほいエルフのところに行ってるように思えた割に砦にいるなとおもったらそういうカラクリがあったのか。
キッシュ達の反応にフィデロは随分と満足したようだ。
「もちろん本来は里の外に出すなどありえないものだが、結界の修復は急務だからね。その時間を短縮するための協力は惜しまない」
というわけで、ここを使えば砦にすぐに戻れるよ……ということらしい。
「あと、これも渡しておこうかね。里からほとんどでないエルフが持っていても、あまり使い道がないからねぇ」
そう言って渡されたのは、古い手鏡だった。
水鏡の台座と同じ蔦の文様が刻まれた木彫りの枠の中央に、丁寧に磨かれた銅鏡が入っている。
装飾の中央には大きく平たい紋章石がはめ込まれて、澄んだ色を見せていた。
「鎖の先に種がついてるだろう。これを取って砦のどこかに植えておけば、空が見える場所からならその種を植えた場所とつながるようになっている」
今回みたいな時のために使いな、と言われてキッシュはまじまじとフィデロを見る。
「……いいのか。そんな貴重そうなもの」
「言ったろう。エルフにとっては使い所のないものさ」
「それにしたって……」
いくらなんでもよくしてもらいすぎている。
渋るキッシュの表情に、フィデロは仕方ないねぇと苦笑混じりに溜息を吐いた。
「一度は生きて会うことはできないだろうと、亡骸すら里に埋めてやれないだろうと諦めた子達が、ああして笑顔で戻ってきてくれた。それに喜んだのは、あの子達の親兄弟だけじゃないんだよ」
「…………」
「同時に、自分達の不甲斐なさも思い知らされてね」
里に閉じこもり、内向いた暮らしを続けている間に、仲間を助けに行くと、それだけのことの考えすら持たなかった。
里の外を奔走している今代の長も、この件が起きるまで、結界の外に出ることすら厭うていたのだ。
それを変えてくれた者に、皆少なからず感謝している。
「エルフの皆が感じている恩義は、あんたらが思っているよりずっと大きい。あんたらにとったら重いだけかもしれんが。使って不便になるもんでもない。使っておくれ」
「…………ありがとう、ございます」
数倍長く生きている相手に真っ向から視線を合わせられて、どうか受け取ってほしいと言われてしまえば、キッシュはもう頷くしかなかった。
***
めっちゃ外堀埋まってることにそろそろキッシュは気づいていいよ……。
エルフの若い子の間では「やった握手しちゃったー!」「いいなうらやましー」みたいなノリです。
大丈
夫かエルフ。大丈夫かキッシュ。
トビアスがエルフの里にちょいちょいいくのでなんとかして……とこしらえた固定帰還装置。
あとは瞬きの手鏡をゲット。
大陸広いんだ……ビッキーはよ。はよ。
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