戻ったキッシュ達の事情はおおむね誰かが広めてくれていたらしく、久しぶりに自分の寝床で休んだキッシュに翌朝向けられたのはねぎらいの言葉が大多数だった。
みんなありがとう。
「で、なんでお前らがここにいるんだ」
朝食にきたキッシュとスティラを挟んで、ミンスとリオが座っていた。
別に一緒に朝食を摂る分には不自然はないが、いかんせん距離がいつもより近い気がする。
「またいなくなったら困るからよ!」
「僕も経験してみたいもん」
「……ぐぅ」
「寝るなヘル!」
リオの隣でスープに顔を突っ込みそうになっている彼の頭を叩いてから、キッシュは溜息を吐いた。
ほぼ正反対なような理由を述べた二人はともかくとして。
「よくヘルをつれてこれたな」
「行きたいってヘルが言ったんだよ。ねー?」
リオに話しかけられると、ヘルはかくんと頭を落とす。
眠いのか頷いたのかはっきりしてほしい。
半分閉じた目がキッシュへと向けられ、ぽそりと呟かれたのは主張だった。
「遺跡……行きたい」
「……あー」
そういえばそうだった。
ヘルの気持ちは分からないでもない、のだが。
「かなり危険そうだったからなあ……」
入ろうとしたあの時、スティラの警鐘があったという事は、命に関わるレベルで危ない遺跡である。
あの時の自分達の装備がそれほど立派ではなかったとはいえ、現時点で肉弾戦トップクラスなアシュレがいても死にそうだとスティラの能力が判断したという事は、生半可な装備や面子ではだめだろう。
センもそれは分かっているようで、それでも再度繰り返す。
「遺跡、行く」
「希望ではなく意思表示かよ」
厄介だなぁ、とキッシュは朝から何度目かになる溜息を零した。
止めたところで一人でも行きそうだ。
道中で行き倒れるか遺跡で倒れるかはともかく、無事に帰ってくる気はあまりしない。
「他の遺跡でもっと難易度低いとことかないかな……」
そちらにとりあえず誘導するという魂胆だ。
あれが候補というならいつまでも先延ばしにはできないが、一度出会ってしまった相手をみすみす死にに行かせるのもどうにも目覚めが悪い。
どの道あんな遠方はすぐには行けないのだから、他のところで探索を兼ねて鍛えてから望むのがせめてもの策だ。
「それならカヌレドに聞いてこればよかったな。詳しそう」
朝食を摂りつつ冴えた事を言いやがったスティラをキッシュは蹴り飛ばした。言うのが遅い。
「とりあえず、そこは考えておくから。一人で行くなよヘル」
「……ん」
返答があったのに安心しつつ食事を進める。
隣で喉に食べ物が詰まったらしいスティラがリオから水のグラスを受け取っていた。
「で、今日はどうするの? 暇なら掘り出し物でも探しに行ってほしいんだけど」
スティラにグラスを渡し、寝落ちたヘルの頭の落下地点から皿を素早く移動させたリオが尋ねる。
「半月離れてたし、中を見回っておこうかなと思ってたんだが」
半月程度で大きな変化が起こっているとも思えないが、ほぼ毎日見ていた砦の内部は把握しておかないとなんだか落ち着かない。
自覚が出てきたみたいだねぇ、と笑うリオに疑問を込めた視線を送ると肩を竦められた。
「ま、この半月でいくらか変化はあったけどね」
「そうなのか」
「イシルが言ってた知人の人達も全員来たみたいだし」
「ああ、無事だったのか」
ゲバンの砦が落とされたいざこざで行方知れずになっていたという者達を探していたらしいが、どうやら全員再会できたらしい。
一度顔合わせをと頼まれていると聞いて、本当に律儀だなと苦笑する。
「あと、外の店で空き店舗になってたところにもいくらか人が入ってるし……。あ、僕推薦のお店を砦の中の空いてたところに入れたから、ぐるっと見回ったら行かない?」
「いいぜ」
「ならしっかり歩き回らないとね」
にんまりと笑ったリオに飲食系かと問えば、そうそう、とやけに上機嫌に返された。
***
空気に混ざる香ばしくも甘い匂いは小麦と砂糖が焼けるものだ。
場所がどこかなんて聞かなくても分かる。同じ階に入るだけで、あとは香りが導いてくれる。
これは同じ階にいる奴らには毒だろうなと思ったが、この階は天井がほとんど落ちていたから倉庫として使用する以外は広間くらいにしかしていないんだった。
その一角に、『喫茶』と書かれた木の看板がかかっている。
ドアを開けば香ばしい香りが一層強く鼻と胃を刺激した。
「いらっしゃいー」
ひょこんと顔を覗かせたのは、白い服に茶色の腰エプロンをつけた濃紫のボブカットの髪の女性だ。
少しだけ長い耳横の部分をピンで留めているのは衛生のためだろうか。
女性はリオを見つけると、「オーナーいらっしゃい」と笑顔を二割増にする。
「オーナー?」
「ここの出資者なんだよねー、僕」
お前いつの間にそんなことしてたんだ、と胡乱な視線を向けると、前から目をつけてたんだと笑う。
「そちらはどなたさんで?」
「ああ。ここ半月程行方知れずになってたここの砦の創始者一行」
「リオさんから話は聞いてます。ここでお店開かせてもらってますマイと言います。どうぞよしなに」
接客業らしい明るい笑みと共にお辞儀をされて、こちらも頭を下げる。
どうぞ、と通されたのは、外壁がなくなっていたのでそのままテラスみたいにしておいた一角で、雨よけの布の下にテーブルセットが置かれたそこは半分くらいが埋まっていた。
キッシュ達が入ればいくらか視線が向けられるが、すぐに各々のテーブルへと戻っていく。
「晴れの日にはいいオープンテラスだよねここ」
「俺がいなくなる前は、外への手すりとかなかった気がするんだけど……」
「使用するからには安全対策はしっかりしないと。あ、今日のオススメ三つで。飲み物はどうする?」
「……任せる」
飲み物の選択権は回してもらえたが、メニューすら見させてもらう暇もなかったので、口にできる言葉などひとつしかない。
キッシュが言えば、マイはにっこりと頷いた。
「なら紅茶にしておきましょうか。今日のオススメはパンケーキなんで、ストレートにしておきますね」
しばらくお待ちくださいなーとマイが中へと引っ込む。
「で、だ」
「なーに?」
「いや、お前、なんで俺達をここに連れてきたのかと」
「彼女のお菓子が美味しかったから、ぜひキッシュにもご馳走しようかと」
「その裏は」
「ないってば」
僕だっていつもいつでも何か企んでるわけじゃないんだから、とリオは頬杖をついて苦笑する。
「美味しかったんだよ。彼女のお菓子。それこそ、シャシャの港町の小さな店ひとつじゃもったいないくらい」
まぁ、食べれば分かるよとリオは言う。
「先に紅茶どうぞ。オススメの方はすぐに持ってきますんで」
三人分の紅茶を運んできたのもマイだった。
店の主人が給仕もしていたら大変じゃないかと思ったが、オーナーとそのお連れだから特別、だそうだ。
「人手不足なのもほんとですけどねー」
かわいらしいウエイトレスとかほしいですわ、と笑いながら机の上に白磁の器と、小さな皿を置いていく。
小皿の上には数枚のクッキーが茶請けなのか乗せられていた。
小ぶりな丸いシンプルな形状をしたそれは、ノエルのところでも売られているのとよく似ているが、胚芽が混ざっているのと違って綺麗な小麦色をしている。
もう一枚は、黒くて白い欠片が練りこまれている。
「マイの焼き菓子はほんとおいしいよね。このクッキー僕すごい好き」
「ほめてもオマケは出せませんよ」
見たらリオの皿からすでにクッキーが消えていた。早い。
「……砂糖とか油脂とかさ、お菓子ってすごい元がかかるの。だから高くなるし、あくまでも嗜好品だからそれなりの豊かさがないと商売として成立しにくいんだよねー」
唐突に始まった商売談義にキッシュは戸惑い気味に頷く。
リーヤから交易について習っているから分かるが、嗜好品の中でも砂糖は高い。
油だって、量と質を求めるとかなりの値段だ。
その塊である菓子を商売としようとしたら当然値段は張る。だけど、嗜好品だから生きるにはそう必要ない。
必然的に、富裕層の多い港町くらいにしか、そういう店はできない。
「実家だとそれなりに食べてたんだけど、こっちきてから恋しくなっちゃってさ」
「それで誘致したと」
「美味しいお菓子がいつでも食べられる環境って最高だと思わない?」
「……リオ」
「うん?」
「よくやった」
真顔で返したキッシュの目の前の小皿からも、クッキーはすっかり消えていた。
「砂糖と油をケチらないお菓子ってこんなにおいしいんだな……いや腕もあるんだろうけど……いやカロナ母さんが作ってくれるのも十分おいしいんだけどね……」
スティラは誰に向かっていいわけしているのか。
「けど、ここに店出したところで値段はそんなに変わらないんじゃないか?」
本日のオススメという、ふわふわのパンケーキに生の果実と白くふわりとした甘さのクリームの乗った皿を前にキッシュは尋ねる。
正直、ここに集まっている連中が、そうそう甘い物に財布の紐を緩められるとは思わない。
「やだなぁ。なんのために僕がスポンサーしてると思ってるのさ」
「…………」
「交易、ちょこーっとだけ頑張っちゃってもいいよね?」
「……市場をあんまり荒らすなよ」
ああ、これは懐柔もとい買収されたんだろうなぁ、と口に広がる美味さに目を瞑った。
しみじみと甘味を噛み締めていると、きゃぁ、と入口の方から小さく黄色い声が聞こえる。
だいたいそれで誰が来たか分かるから便利なような妬ましいような。
「キッシュ様」
ここにいらしたんですね、と姿を見せたのはイシルだった。
「イシルも食いにきたのか?」
「いえ、ここにキッシュ様達がいると伺ったので、知り合いを紹介しようと……それと、女性は甘いものが好きとよく聞くので」
言葉をそこで切って、イシルは控えめに、しかし素早くテラスに視線を走らせて、そっと溜息を吐いた。
「…………」
無言で一切イシルの方を見もせずにパンケーキを口に詰め込んでいるスティラをちらと見て、キッシュは乾いた笑いを浮かべた。
相変わらず、イシルの「金髪の彼女」探しは続いているようだ。
「……あらまぁ」
漏れる笑い声に視線が集中した。
イシルの連れというのは紫色のフード付ローブで頭からすっぽりと覆われた人物で、聞こえた声で女性と確信が持てる。
フードの下も、薄紫のヴェールが下がっているせいで顔立ちは見えない。
被っているフードの縁についているのは紋章石だろうか。
フローもこんな風に肌を隠しているが、どこかの風習だったり流行だったりするんだろうか。
「ああ。失礼しました。イシルがあまりに面白いもので」
「俺ですか……? ええと、キッシュ様、紹介します。こちらは」
「オペラと申します」
自ら名乗り、わずかに見えた唇が弧を描く。
オペラが座ろうとするのを、イシルは椅子を引いて手を取りながら促す。
完璧なエスコートぶりにからかおうとする前に、オペラが座って口を開いた。
「私、目が見えないんですの」
「それでそのヴェール?」
「ええ。とはいえ、感覚と能力のおかげである程度は分かりますから、大丈夫だとイシルさんにもお伝えしているのですが」
「すいません、つい」
「お心遣いありがとうございます」
「能力?」
「ええ。幼い頃に事故で目を傷めたと同時に発現したのですが、頭の中に直接色や形が浮かぶんです。なのでほとんど生活に支障はないですし、むしろよく見えるくらいで」
そう言ってくすりと笑いを零す。
もしかして、彼女はイシルの「探し人」も見えているのだろうか。
「……それにしても、イシルさんの言っていたとおりですね」
「ん?」
「これからご厄介になりますが、よろしくお願いいたします。微力ながらできることはお手伝いさせていただきます」
なぜだかうやうやしく述べるオペラに疑問を抱いたが、ところで、とオペラが再度口を開いたことで霧散した。
「とっても美味しそうな香りがしますの。あと二人分、追加でお願いできますでしょうか」
***
甘いものが食べたかったんです。
砦に少し贅沢な施設ができました。
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