「キッシュキッシュキッシュー!!」
「……三回も呼ばなくても聞こえてる。どうしたコット」
仕事を一区切りつけて本拠地内をぶらついていると、ぱたぱたと慌てた様子のコットが駆けてきた。
走ったためか興奮のためか頬を紅潮させたコットは、息を弾ませながら叫ぶ。

「あのね、サンちゃんがお湯出した!」
「……は?」










***










「……マジで湯気立ってる……」
コットの言葉を信じなかったわけではないが、いかんせん地面からお湯が出てくる光景というのは、実際に見てみるまでは半信半疑だった。
しかし今キッシュの目の前には、半分ほど崩れた廃屋と、そこを半ば浸すようにしながら白い煙をあげる湯の池がある。
どういう経緯か広く掘られた地面に湯が溜まっているのだ。

噂を聞きつけたのか、池の周りには耳の早い連中がちらほらと見える。
少し濁った色のそれを見下ろしている、状況を作り出したおそらく元凶であろう人物を見つけてキッシュはそばへと近寄った。
「おい、サン」
「あ、キッシュさん」
「何がどうしてこうなった」
「あのね、アタシが掘ってって言って、けどすっごく深そうだったから、カヌレドさんにお願いしたら、どっかーんってなってぶしゃーって出てきたの」
「……よしわかった。カヌレドはどこだ」
「えとね、疲れたから寝るって」
「……他に一緒にいたのは?」
んと、と小首を傾げてサンは指折り数人の名前を挙げた。
「ナツさんとー、ヒーアスさんとー、エリカさんとー」
「結構いたんだな……」
とりあえず一番きちんと説明してくれそうなヒーアスがそう遠くない場所にいたので、そちらを捕まえる事にした。

「ヒーアス」
「ようキッシュ。様子見にきたのか? 面白いもんが出たな」
「何があったんだ?」
「サンがここに何か埋まってるって言い出して、掘ってみたはいいけどなかなか出てこないからカヌレドに頼んで穴を開けてもらったんだ」
「どうやって」
「ああ、あの爺さん北大陸では結構な腕前の魔術師だったらしいぜ?」
昔のつもりでやったらうっかりやりすぎたらしい、と笑うヒーアスにキッシュは頭が痛くなってきた。
なんつー雑なやり方だ。
それでこれだけの穴が開いていたのか。
……埋まっているものが固形物だったら、跡形もなくなっていたんじゃなかろうか。

近くにいると湯気で蒸されている感じがして暑く、少し淵から離れてキッシュは首を傾げる。
「これって一体何なんだ?」
「温泉だろ? 知らないのか」
「温泉?」
「温泉というのはですねー」
「「!?」」
いきなり現れたエリカにヒーアスとキッシュはびくりと肩を震わせた。
「人の背後にいきなり立つな!」
「いやぁすみません。で、温泉というのはですね。地中から湯が湧き出す現象や湯となっている状態のことで、一定以上の水温か、特殊な成分やガスを有するものを言うんですよ」
「つまり、天然に湧き出る湯ってことか」
「まぁ、そんなところです」
「カヌレドがぶっ放した魔法で地下水が温められただけじゃないよな?」
「……たぶん違うと思いますよ?」
「北大陸には結構あるんだけど、こっちにはないのか」
「俺は初めて見たなー」
たぶんここに集まっている連中も、ほとんどがそうなのだろう。
その証拠に近寄ってはいるものの手で触れようとしたりする者はいない。

と、その中に幼馴染を見つけてキッシュはすたすたとそちらへと歩いていく。
ミンスと何やら喋っている後ろにそっと近づき、なんの気負いもなしにその背を押した。



「っあっぢぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」



頭から盛大に突っ込んだスティラが、普段よりもかなりの速さで湯の中から必死に這い出てキッシュを睨みあげてくる。
「なんで落とすの!?」
「誰かが最初の一歩を踏み出さないといけないからな」
「落とした理由になってねぇよ!?」
「理由? そこにお前がいる。それだけだ」
「そこに山があるから登るみたいなノリで言うんじゃねぇ!」
濡れ鼠になったせいで垂れた髪を掻きあげてスティラが叫んだ。





ともあれ、これで安全性は確認された。
そもそも「風呂」自体がかなりのレアもので、基本的に川で水浴びをするか湯で体を拭くのが一般的だったボロ砦にとっては文字通り降って湧いた僥倖だった。

だがひとつ、問題がある。

「丸見えなんだよなー……」
はぁ、と湯に浸かりながらキッシュはどうしたものかねと頭上を見上げる。
崩れかけた天井の隙間から、ほぼ満天の星空が見えた。

サンが感知してカヌレドが盛大に紋章をぶちかました場所のすぐ近くに、あまりにボロボロすぎたので補修を断念した別棟があった。
石造りだったそれはカヌレドの紋章の余波で一層ボロくなったけれど、元々解体予定だったそれが多少屋根の穴を大きくしたところでさしたる問題ではない。
そして、源泉そのものに入るには少々熱く、屋外で全裸は嫌だという一同からの嘆願から、源泉から廃墟の中へと湯を誘導してなんちゃって風呂場が完成した。
素晴らしき廃屋ビフォーアフターだ。
しかしこれ、空は見えるし半分以上壁も行っちゃってるから外も見えるし、屋外とほとんど変わらないがいいんだろうか。
今は夜なのと、どうやら濁り湯らしい乳白色の湯で色々隠されているけれど。

ちなみに何を言うでもなく、ここにいるのはむさい男連中だけだった。
特に取り決めをしていないのだが時間帯で男女の使用わけがされている。
「せっかく混浴にしたのになー」
「いや……確かに男のロマンとして混浴は喜ばしいと思うんだけどね……」
「セルフ護衛はちょっと命が危険だ」
スティラとアレストがふるふると首を横に振ってキッシュに言った。

仕切りも何もない温泉は自動的に混浴だ。
そして、この半露天風呂場ができた時に、キッシュは「セルフ護衛可」とした。

そこで普通の男連中は、女性の護衛=きっと誰か男性に見張りを頼むんだろうと考えた。
そして、同じ男であるならばきっと理解してくれるだろうと期待したのは自然な流れであるはずだ。
その結果が待ち構えていたミンスに空の星にされた男は数知れず。
それ以来女性の風呂の覗こうとする者は誰一人いなくなったのは、いくら男のロマンでも命までは張りたくないという彼らの本音だろう。

「俺別にそんなことなかったけど」
「お前入ったんか羨ましい!!」
「なんで!?」
「え……知らん。つーかカロナ母さんとミンスとフィンだし」
「あー……」
「まぁ、身内なら……」
「その時サンとジェラもいた」
「お前おいしいな!」
ああもう聞いてるだけでむかつくわ、とナツはキッシュの顔面に湯をかけると向こうへと行ってしまった。

入れ替わるようにリーヤが疲れた顔で寄ってくる。
温泉って癒される場所じゃなかったっけ、と考えてしまうくらいに疲れた顔だ。
「なんかお疲れ?」
「なぁキッシュ……混浴やめねぇ?」
げんなりとした表情で言ったリーヤに、予想外の相手から言われた事にキッシュはきょとんとした。
別にリーヤは混浴の恩恵こそ受け、害悪があるわけじゃなさそうだが。

「どうした。別にいいじゃんお前相手いないし」
「だからだ!! なんかすげー誘われた!! なんか怖い!!」
「……誰に」
「いろんな人!」
なんか怖いよ、と震えるリーヤは何かに怯えていた。
一体何があったのかあまり触れたくなかったので、キッシュは薄ら笑いを浮かべて視線を逸らした。
まぁ、年齢の割に顔いいし腕立つし性格も悪くないから、温泉で親密になろうという女性がいてもおかしくはない。

「……まぁ、喜ぶべきことじゃね?」
「もう俺、妻子がいることにしちゃいたい……」
ぽん、とアレストがリーヤの肩に手を置いて苦笑すると、リーヤは虚ろな笑みを浮かべて呟いた。
「妻ねぇ……銀髪きつめ美人のか?」
ぼそりとヒーアスが呟いた。
「あ?」
「なんだ相手いるんじゃん?」
キッシュとスティラはヒーアスの言葉に、てっきりリーヤに恋人がいるのだと思った。
ヒーアスは嘘を吐いているようではなかったし、アレストもああなるほどと納得している。
ただリーヤだけが、更に顔色を悪くしていた。
「殺される! あいつの耳に入った瞬間に俺殺される!!」
「じゃあ薄茶髪緑眼美人とか?」
「……お前らは俺を殺したいのか?」
殺気の篭った目でヒーアスとアレストを睨みつけて引き攣った声をあげるリーヤに、キッシュとスティラは首を傾げるばかりだ。

「銀髪きつめ美人ですか、なるほど」
「っ!!」
どこからともなく現れたエリカに肩に手を置かれ、リーヤの顔色は風呂に入っているのに真っ青だ。
「エリカ! 止めろ! 止めてくれ!!」
「いい報告ができそうです」
「すみませんお願いしますやめてください俺殺される」
「どうしましょうねぇ……とりあえずトビアスに聞いてみましょう」
「やーめーてー!!」
じゃばじゃばと行ってしまった二人を見送って、騒がしかったなぁとキッシュは息を吐いた。
「すっげー気になる銀髪美人ー」
ぶくぶくと泡を作って呟くスティラに、ヒーアスとアレストが楽しげに含み笑いを浮かべている。
まぁ気になるがこれは触れない方がいい話題な気がして、キッシュはどうするかねぇと一人ごちた。


砦の平和のために、近いうちにロクムのじっちゃんに頼んで柵でも作ってもらおうか。





***
女子風呂より男子風呂の方が楽しそうと思うのは自分が女子だからだろうか。
ていうか危険度は男子風呂のが高いんじゃって思った。

混浴にしたかった。したかったんだ。