ほう、ほう。人里の気配のない森の中を、梟の鳴き声が通り抜ける。
外野に灯りなどあるはずもなく、先程まで薄暗いとはいえ灯りが配置されていた砦内にいたキッシュ達がランタンの類を持っているはずもない。

鬱蒼と茂る木々の隙間からわずかに差し込む星明かりだけがあたりをぼんやりと浮かび上がらせる。
互いの表情も危うい中で、彼らは顔を見合わせた。
梟の鳴き声は、数を増やしたり減らしたりしながらまだ聞こえる。
紛れるように風が吹くと、かさりかさりと葉の擦れる音がやけに大きく聞こえた。


「……俺達さっきまで室内にいたよな」
「ここどこだ」
おもしれぇ、とアシュレだけが今の状況を楽しんでいるのか能天気な声をあげるが、この状況ではそれはかえって頼もしくもある。
現状を理解していないとは言わせない。

声と気配で周囲を探るが、先程ビッキーと呼ばれた少女の姿だけがない。
このあたりにいる人間は五人だけだ。
砦の地下にある珠といい、エルフのことといい、アシュレの登場といい、何かしらに巻き込まれるのは少し慣れてきたが、突然どことも知れぬ場所に移動させられたのは初めてだ。
「いてぇっ!? 何すんんだおい!」
「夢じゃない。と」
スティラをはたいて、ついでに自分の腕も軽くつねってこれが現だと確かめる。
だとすれば夢オチはないわけだ。

こんな事をできる人がいるのにも驚きだが、これがあの少女の仕業だとするなら何の目的があっての事かと警戒を引き上げよう――としたところで、ヒーアスが膝をついてうなだれていたのに気づいた。
そういえば名前を呼んでいたし、面識があるようだったんだからヒーアスに聞くのが一番手っ取り早い。

「またか……」
「……また?」
なんだその不穏な言葉は。
「……ああ、うん。説明するわ。まずこの状況なんだが、しでかしたのはさっきいた女の子だ」
「それは想像つく。全員で仲良く夢の中じゃなさそうっていうのもな」
そうだな、と相槌を打つ気配がする。
「たぶん西大陸のどこかだとは思う。俺達の時もいつも国内ではあったし」
「前科が?」
「どうも自分の意思に関係なくやっちゃう時があるみたいでな……普段はすごい助かるんだけどな……ビッキー本人も悪気はないみたいなんで……」
怒らないでやってくれ、と弱った笑みを浮かべているらしい雰囲気を感じ取る。
本人に悪気がないのならばこちらも怒るに怒れない。
特に怪我をしたわけでもないのだし。

本人はきっと別の場所へ飛んだんだろうと慣れた様子で言うので、砦へは自力で帰るしかなさそうだ。
とはいえここがどこか分からない。
リロや砦周辺ならば夜でもだいたい分かるので、少し離れた場所ではありそうだ。

そして、クグロの教えやこれまで何度かした旅の経験から、夜間の移動は危ないと学んでいる。
野営の準備は持っていないが、幸い防寒具なしでも眠れる気候だ。風も穏やかだし一晩くらいならなんとかなるだろう。
「朝になったら急いで戻るか」
「明日になってさすがにアシュレとキッシュがいないってなるとなー。二人とも目立つからいないとすぐわかるし。噂になりそうだし」
「俺達二人だけピックアップすんじゃねぇよ」
だがその懸念ももっともだったので、急いで戻るに越した事はない。

「まぁ、ビッキーがもしあっちに残っててくれれば、リーヤとかアレストあたりが察してくれると思う」
「あの二人も知ってるのか」
「もともと、北大陸で俺達が出会った時の仲間だからな」
「ふーん……あれ?」
なんとなしに聞いていたら、スティラがふと首を傾げて指折り何かを数え始めた。
「……それって十二年くらい前の話だよね? てことはすごいちっさかったのに、そんな危ないとこにいたわけ?」
「いや。十二年前もあれくらいだったぞ」
「え、ちょ、外見と年齢がおかしくね?」
いやでもすごい若作り……暗がりだったしよく見えなかったもんな顔……と謎の疑問を抱えてしまった。

「そんなことより、早くから動くならもう寝ようぜ。ほら、ヘルなんてもう……」
ずっと一言も発していなかったヘルを引き合いに出そうとしたヒーアスが、フード姿を見つけられずにあたりを見回す。


黒いからこの闇では見落としたのかと思ったが――違った。
ヘルはふらふらと遺跡へと近づいて、入口を探すように壁面を伝っているところだった。

「おい、ヘル。何やってんだ」
「……ここはまだ、調べてない」
「まさか入るつもりか?」
焦って駆け寄ると、こくりと首を縦に振りやがったので、腕を掴んで遺跡から引きずり離す。
「夜に明かりも持たずに入るとこじゃねぇだろ! 遺跡なめんな!」
「だが」
「キッシュの言うとおりっていうか……そういうレベルでもないんだけどさ」
遺跡を見上げながらスティラがやや強張った声を発した。

「入ったらあかんって俺の直感がそれはもう全力で訴えてくるわけデスが」
「オレもちょっと今入るのは遠慮してーんだけど」
「……まじか」
普段眠そうな姿からは想像できない強さで抵抗されるがここではいそうですかと行かせるわけにはいかない。
スティラの危機察知の能力とアシュレの本能が両方とも警鐘を鳴らすなら本物だ。
ヘルの腕を更に強く引く。

「お前一人で行っても死ぬぞ」
「…………」
「探すなら明日以降だ」
ほっといてくれればいいのにという視線を受けている気がするが、暗闇で見えないことにしてずるずると引っ張っていく。

「ここで野宿だと寝てる間にヘルが行きそうなんだが」
「縛るか?」
「やめろ」
「どの道交代で不寝番するんだから、ヘルにも注意払っておけば問題ないだろ」
いつのまにか適当な焚火をこさえていたヒーアスに言われて全員が沈黙した。
「ヘルもな。幼馴染がここにいたとして、急いで自分が死んでたどりつけなかったら意味ないだろ。それともこいつら巻き込んで一緒に死にに行くか?」
「……一人で行くのに」
「たぶんお前が入ったらこいつらも勝手についてくぞ」
なあ、と水を向けられてキッシュは頷く。
「そりゃ、見殺しになんてしたら目覚めわりーし」
「たかだか数日……」
「あ? 文句あんのか?」
何か言いたげだったのを遮るように睨めつけると、ヘルの腕から力が抜けた。

「それじゃ、日の出と同時に行動開始な」
「誰から不寝番やる?」
「あみだで決めるぞ。ヘル以外で」

数分で番の順を決めれば、あとはさっさと寝るだけだった。





***





「……うそだろ?」
スティラの悲痛な声がその場に落ちる。

遡る事数時間前。日の出と同時に周辺を軽く見てみたが、現在地のアタリをつけられなかったので、人を探す事にした。
幸い森を抜けてすぐに集落を発見できたので、幸先はよかった。

「来る時はジェラ連れてきたいな」
「遺跡の最深部行くにはこの上なくありがたいもんな」
「ここ、まさか別の大陸だったりしねーよな?」
「大丈夫だろさすがに大陸またいで飛ばされたこととかなかったし」
「…………」
ヘルもリスクを理解したのか無理に遺跡に行く事もなく、道中遺跡に入る時の算段や、軽口を叩く余裕もあった。
集落に入り、最初に会った人にここがどこかを聞くまでは。

「道に迷っちゃってたんですけどここって何の村なんですか」という問いに対して、牛の放牧の準備をしていた老年の男性が「ピタの近くだよ」と教えてくれた。
そしてスティラの一言に戻る。

「ピタってどこだ?」
「ええー……」
キッシュが呟くと、その質問お前がすんの、とスティラがすごい視線を向けてきた。
「地図とかちまちましたもん覚えてると思うのか」
「いばんな!」
くそう、と地面にガリガリと火打石でスティラは大陸の簡略図を描き始める。
なんで他の連中には言わないんだと思ったが、数十年ぶりに戻ってきた奴と半島出身者と離島出身者と北大陸出身者だった。

楕円に近い形で大陸の外形を書いて、左上部に半島っぽいでっぱりをつけ、大きな山脈ふたつを示す線を大陸の上と下に刻んだ。
ものすごく簡易だが大陸の図と言われればそう思えない事もない。

「俺達がいたのはここな」
バツ印を描いたのは、大陸の左端の真ん中当たり。
「で。ピタはここ」
すっと火打石を向けたのは、大陸の右上部分だった。

全員で覗き込んで、しばし沈黙する。
「……なんか、すげぇ端に見えるんだけど」
「端だからな」
「山脈を超えるように見えてるんだが」
「超えるからな!」
俺の気持ちがわかったか、というスティラの顔に、正しく現実を受け止めたヒーアスとキッシュは頷いた。
頷いて、同時に頭を抱えた。
あ。これ深刻だった。

大陸を縦断する巨大なセロ山脈の起点とも終点ともいうべき大陸の端。
そこにあるのがピタだった。
「ここから砦に戻るまでどれくらいかかるんだ?」
「前、シャシャに行く時に山脈迂回して通ったのと同じくらいの距離」
「約一ヶ月か……」
「で、シャシャに到着する」
「トータル倍!?」
頷かれてまじかよ、とますます頭が痛くなった。
俺はお前がそれを他の連中と同じ時点で気づいてる事に頭が痛いと言われたがそれは聞き流す。

「シャシャまで行けば今度はティロー使えるけど……」
「一月半ってとこだろなぁ」
連絡を取るにも、ピタに伝書鳥がいてくれたとしても数日はかかる。
「さすがに騒ぎになる……よな」
「だな」
砦の機能は正常に回るだろうが、カロナには心配をかけそうだ。

どうにかなんねぇの、と頭を抱えていると、そういえばとヒーアスが口を開く。
「エルフのところは通れないのか」
「……あぁ」
セロ山脈は、大陸の交通を見事に分断してくれているものでもあるが、オルグやエルフが住まう地でもある。
サヴァ達を助け、トビアスたちが現在結界を修復している関係で、エルフ側から一度ゆっくりと会談を……申し込まれていたのだった。
一度訪れた時はまだそんな事ができるような状態ではなかったのを考えるとすごい進展だ。
別に自分がトップではないからと断っていたのだが、顔を見せにきましたと行って通してもらうのはアリかもしれない。

「じゃあ、いったんピタに寄って装備そろえるか」
エルフのところへ行くにしても、砦内にいたから旅の装備なんてほとんど持っていない。
各々の武器を携帯していただけで僥倖だと、目的地をエルフの里に定めて行動を開始した。





***
ビッキーなのでお約束。
このお約束だけは回避できなかったよ……。



「ところでどうやって行くんだ?」
「キッシュお前戻ったら大陸の地図叩き込め」