朝早く出発したおかげで、ピタにはその日の内に到着する事ができた。
大陸に阻まれ西側からの来訪はなく、南方にある港町の発展により北方は廃れていくばかり。
とりたてて目ぼしい名産品もなければ鉱山もすでに枯れた地。
風の噂では聞いていたが、その寂れ具合を目の辺りにすると物悲しいものがあった。

当然というか宿屋はなく、適当な家の納屋を借りて一晩を過ごして村で唯一だという雑貨店にて旅に必要なものを取り揃えようとしたが。
「所持金が心もとない……」
「エルフのとこまではなんとかモンスターで食いつなぐしかねぇな」
「火打ち石はやっぱ常備しとくに限るよな」
「焼けば大抵なんとかなるからな」
「お前達のそのサバイバル精神ってどこで培われてんだ……」
ヒーアスの声など耳に入らないという顔で、キッシュとスティラはエルフの里までの道程で必要なものを買い揃える。

山脈に添っていくのが一番楽なのだが、この一帯の山脈はエルフではなくルギド=オルグの縄張りだ。
ミンスの父親であるルギド=ペソと大元の種族は同じなのだが、人間の姿を取って共に暮らすルギド=ペソと違い、ルギド=オルグは 人間を毛嫌いしており、縄張りに近寄る事も許さない。
彼らを刺激しないためにも、山脈には迂闊に近寄りたくない。

携帯食料に傷薬、光源にするランタンに油にその他。出費が痛い。
砦に行けば全部あるのにともったいなくも思うが、ないままだと旅はさすがに無理だ。
「ニモモまでは道なりに行くとして、そっから山に向かって直進コースだな」
「雨が降らないことを祈るしかねーな」
あいにくと防寒具まで手が回るほど所持金はない。こればっかりは運任せだ。

久しぶりの客に、店主はいそいそとあれこれ出してきてくれる。
所持金との葛藤はスティラに任せて、会計が終わるまでの間、キッシュは店内を物色する事にした。
アシュレは店のものを壊しそうなので店外で待機。
ヘルはうとうとと壁を背にしていて舟をこいでいる。

不寝番の時に見ていて分かったのだが、ヘルは夜あまり眠れていないらしい。
割と頻繁に身じろぎをしていたし、番の最中も何度か目を覚ましていた。
単純に枕が替わると眠れないタイプかもしれないが……だとしても、離島から移ってきたら、寝不足にもなるのかもしれない。


「うわ、めっずらし……王者じゃん」
キッシュと同じく店内を物色していたヒーアスが、棚の上を見て声をあげる。
覗き込めば、謎の球体が棚の上の箱に鎮座していた。

砦の地下にある珠と似ている。
透明な球体の中に、不思議な模様が浮かんでいるそれは、あれみたいに浮きもしないし喋ったり光ったりもしないが。

ヒーアスにこれは何かと問えば、一瞬不思議そうな顔をした後、ああそうか、と思い出したようだった。
「こっちにはないんだもんな。紋章球だぜ、これ」
「おや。紋章球を知ってるのかね」
それなら使い道もあるかもしれんねと、棚から油の瓶を出しに寄ってきていた店主が言う。

「それはうちのじいさんが持ってたものなんだけどな。じいさんはいらんと言うし私達もどうしようもないんでね。店のまぁ、お守りみたいなもんにしてるんだ」
「てことは、店主のじいさんは北大陸出身者なのか」
「なんでも浜に打ち上げられてたのを、若い頃のばあさんが見つけて拾ったらしい」
それはどんな大きな拾い物だ。世間ではえてしてそれを漂流者と言う。

ヒーアスがやけに欲しそうな目をしているので、いくらかと聞いてみれば、結構なお値段だった。
「ほんとは欲しい人にならあげてもいいと思うんだけど、一応じいさんの思い出の品だしね」
「ま、たしかにな」
「本人はもう忘れてるかもしれないけどね」
「今もご存命で?」
「ピンピンしてるな。数年姿は見てないのだけども」
あそこにいるんだ、と示されたのは窓の外で、しかし民家ではなく村の北西にそびえる裏山だった。
「……空?」
「んなわけねーだろ」
「……山に?」
キッシュの呟きに、店主は困ったように肩を竦めて苦笑いを浮かべた。

なんでも、昔からカヌレド老人は「カラクリ」が好きだったらしい。
西大陸へ流れついたのも自作のカラクリによる実験の失敗が原因だというが、そんな失敗を経てもカラクリへの情熱は冷めるどころかより増す一方だったのだとか。

それでも伴侶を得て子供ができてからはちょっとした手巻きネジの玩具を作ったりする程度に留めていたらしいが、子供が独り立ちして自由きままな老後を送れるようになった途端、裏山に小屋を作ってそこに引きこもるようにして大掛かりなカラクリ製作を始めてしまったらしい。
その頃、早いといえる妻の逝去による寂しさもあっただろうと、好きなことをさせてやろうと家族も村人達も温かく見守っていたのだが、熱意なのか本人に資質があったのか、彼の作り上げた数々のカラクリという名のトラップは山を埋め尽くし、ここ数年は山に入るのも命がけ 。誰もカヌレドと直に顔を合わせていないという。
ただ山の手入れもされているし、安全地帯に持っていく差し入れはなくなっていたり、依頼するカラクリの修理もされるので、たぶん生きているんだろうという事にはなっている。

「夜になるとモンスターも活発化するし、歳が歳だから出てきてほしいんだけどねぇ……」
いっそじいさんを連れてきてくれたらその紋章球あげちゃうんだけどどうだい、と冗談めかした男性の言葉に笑い返そうとしたのだが、それにくいついたのはヒーアスとスティラだった。
「まじか」
「もし連れてきたら、こっちもちょっとオマケしてくれる?」
「おいお前ら」
そんなことしてる時間ないんだぞ、と言いかけたキッシュの肩に腕を回してヒーアスとスティラに壁際へと連れていかれる。

「お前な。王者の紋章球の貴重さを知らないから言えるんだ。戻ってリオに見せてみろ。遠征一回分は稼げるぞ」
「まじか」
まさかの換算額に目を瞠る。
あの球が遠征一回分とイコールになるのか。大陸が違うとこうも価値が違うのか。
「北大陸でも王者の紋章はレアだからな。こっちだと紋章師がいないから宿せなくてただの球にしかならないから、価値も低いんだろ」

「ヒーアスの理由は分かった。で、スティラは」
「このあたりの天気は変わりやすいんだってさっき聞いた。んでもって、今の所持金だと薬品類が心もとなさすぎる。防寒具とか夢のまた夢」
「…………」
現実的かつ切実だった。

「オッケー任せろ。じいさん連れて山降りてきてやるよ」
「おや、本当かい」
「そんかわりさ。もしできたら、あの球と、毛布くれねぇ?」
即座に付け足したキッシュに店主は豪快に笑い出した。





***





「どんな仕掛けなんだろうなー」
「だんだんイライラしてくるくらいあるよ」
裏山の裾を歩くキッシュ達の疑問に、先頭を行く少年が笑いなが答える。
トラップだらけになってからの裏山に一番詳しいという少年は、カヌレドの曾孫でパネットと言った。
彼が生まれた時はカヌレドも駆けつけたらしいが、赤子がそんな事を覚えているはずもなく、パネットは曽祖父の顔を知らないのだという。
会ってみたいとトラップに挑み続けて数年、中腹くらいまでは行けるようになったらしい。

「外しても次に来るとまた仕掛けなおされてるんだけどね」
「そりゃまたご苦労なことで……」
曽祖父と曾孫のハートフルな触れ合いにしては物騒な気がする。

パネットが先頭に立って仕掛けられているカラクリを解除していってくれるから順調に進めるが、草の陰に隠されている縄は引っかかれば木の上まで吊り上げられる仕様だし、巧みにカモフラージュされた落とし穴の下には謎のべたつく液体が溜められている。
致命傷を受けるようなものは今のところを見当たらないが、時間を大きくロスするのは確実だろう。
「モンスターはほとんどいないな」
「大じいちゃんのトラップにかかって逃げてったみたい。そのおかげで教われずに挑めるんだけどね」
「…………」
何それ怖い。

毎回変わっているというトラップの場所を難なく見分けるのでコツを聞いてみたが、土の感じがそこだけおかしいとか、草の垂れる角度が他と違うとか、言われて見てもさっぱり分からなかった。
これも小さな頃からトラップに向かっているパネットだからわかるというものなのだろうか。

自分達だけだとたどり着くのに何日かかったか分からないようなトラップの山を乗り越えて、 順調に中腹ほどまでやってきたところで、目印らしき赤い旗を前にしてパネットが立ち止まった。
「僕がきたことあるのはここまで。ここから先はまだ行ったことないんだ」
「そうか、ありがとな」
それじゃパネットはここで、と言いかけるのを遮って、パネットは力強く一歩を踏み出した。
「もちろん僕も行くよ。大じいちゃんに会いに行くんでしょ」
それに、最初に大じいちゃんの全部のトラップを解除するのは僕なんだからね、と意気込みを見せられれば、同行を許可するしかなかった。

「そんじゃ、各自準備はいいかー」
今までは引っかからずに済んだが、ここからはいかにかかる数を減らせるかにかかっている。
あの旗はパネットが攻略した証でもあった。つまりここからはパネットも初見のものがいくつもあるということだ。

「ヘルもちゃんとついてこいよ」
最後尾にいたヘルの頭が動くのを確認して、キッシュは最初の一歩を踏み出し――

「…………」
「キッシュ、大丈夫か」
「パネット。お前のじいさんに最初に会った時に一発入れても許せ」
何か仕掛けてあったのか、頭上から降ってきた大量の草汁を滴らせてキッシュは引き攣った笑みを浮かべていた。





「あぶねー!」
「すっげおもしれー!!」
「死ぬ! 丸太直撃は首が折れる!」

そこから先もトラップは続いたが、ある程度のところまで来ると急に難易度が増した。
というよりも、これまで引っかかっても怪我もなくただ悔しさばかりが募るものだったが、気をつけなければ血を見そうなものが多くなってきているような。
これはパネット単独での挑戦も色々問題があったんじゃないだろうか。
時折モンスターが引っかかってそのまま抜けられずに白骨化したものを横目にしながらも、途中まで忘れかけていた緊張感を持って進む事およそ半日。
草の汁だったり木の枝だったり泥だったりで汚れつつもたどり着いた頂上には、小さな小屋がぽつんとあった。

人の住む場所を見つけて思い切り脱力して、思わずその場に座り込んだ。
憔悴した表情で各々安堵の息を吐く。
「や、やっと着いたー!」
「パネット……お前一人で来なくてよかったよ……」
「せめてもう少しでかくならないと無理だったなこれは」
「けど楽しかったー!」
一人泥だらけでも楽しそうなパネットは、このトラップ作成者の正しく血を継いでいるのだろう。

よいせ、と爺臭い声を出しつつ立ち上がり、晴れての体面のために扉へと手をかけた。



「…………」



「いないね、誰も」
キッシュの横から中を覗いた パネットの声が、耳を素通りしていく。
開いた中には誰の姿もなかった。
外出中かと思ったが、目で探っても部屋の中には生活用品がほとんどない。
埃を被ってここ数年使われていないのがよく分かる机に手を突いて、キッシュは肩を震わせた。
低い声は笑っているようにも呻いているようにも聞こえる。

「……ふふあははははははははははくそジジイどこにいやがる!!」
「……なぁパネット。カヌレドってもう八〇は超えてるんだよな?」
「うん」
「そんだけの歳だったら、さすがに足腰辛いんじゃないか?」
ヒーアスの言葉に全員が沈黙した。

「そう考えると……下の方にいるんじゃないのか」
ヘルの言葉に顔を見合わせて、まさかぁ、と笑い飛ばした。
……笑うしか、なかった。

結論から言えばヒーアスとヘルの予想は的中だった。
小屋の中に地下へと下りる階段があり、そこを抜けると裏山の反対側の裾野へと出たのだ。
草汁と泥に塗れ、 よたっとしたキッシュ達を出迎えたカヌレドは、歓迎ムードを漂わせつつあっけらかんとしている。
「数年前に足を痛めてな。それ以来、こっちに引越したんじゃよ。あんな山奥じゃ行商人からあれこれ買うにも不便だしのう」
「…………」
言っていることは 至極もっともなんだが、なんだろうこの虚しさは。

メンテナンスで裏山を歩いているおかげか、カヌレドは年齢の割に随分と闊達な印象があった。
パネットがトラップ解除をするようになってからはトラップを安全な物に取り替えていたのだが、足を痛めたせいであの階段を荷を持って上るのも難しく、上の方は昔仕掛けたものがそのままにされているのだとか。
だから途中から危険度が跳ね上がったのかと納得した。
曾孫とのハートフル触れ合いには少々難易度が高すぎた。

「じゃあ、あのままパネットが解除続けてたらどうしたんだ?」
「本当に危ないところまで行く前に止めに行ったさ。カラクリはたしかに趣味じゃが、大事な曾孫に怪我をさせたいわけじゃないからのう」
「大じいちゃん……」

うん。感動してるとこ悪いが、最初から普通に孫の家に世話になれば全部丸く収まったんじゃねーかな。

それでもここは空気を読んで、喉まで出かかった言葉をお茶で流し込んだ。





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遺跡は?ねぇ遺跡は?⇒また後日。ごめんねヘル。