平和って素晴らしい。
農作業の合間に、ノエルに水筒に入れてもらったお茶を飲みながらキッシュは日常を噛み締める。
アシュレは他数名とともにモンスター討伐の依頼をこなしに数日前から不在だ。
それだけでこんなにも日々は静かだったのか。
「キッシュ、全部声に出てる」
「俺はこの日常の素晴らしさを噛み締めてるんだ」
「最近ひどかったもんなー」
すっかりキッシュを気に入ってしまったアシュレは、暇があればキッシュの周りをちょろちょろする事が多かった。
キッシュの懇切丁寧な拳と蹴りというお断りにより「お付き合い」は諦めたらしいけども、それでも時折身の危険を感じさせるので本気で武器を構えた事も短い付き合いの中ですでに両手の指が足りなくなりそうだった。
「つか、あいつのタラシっぷりがひでぇ」
「いつか女の人に刺されそうだよね」
「女だけで済むのかあいつの場合」
「…………」
バイだと公言したと思えば半月経たない間にすでに浮名を流している。
顔か。世の中顔なのか。
今のところは問題が起きていないのが不思議というか。一応後を引きずらない相手を選ぶ分別はあるようでよかった。
……基準がだいぶずれてきてるなと我ながら思う。
「……お前はいいだろう。軽いじゃれあいで済むんだから」
そう言うヒーアスがこころなしげっそりとしている。
「好み」と言っていたのは、あの時見かけたメンバーの中だけではなくて全体でも十分にアシュレ基準に沿ったものだったようで、あれ以来ちょいちょいちょっかいをかけられているらしい。
シャルロの前では一切口説かないのがせめてもの救いだ。
「ちょっと見直した」
「キッシュ。本当に基準がずれている」
「……おおう」
チェイスに突っ込まれて我に返った。
いかんいかん。
「ずいぶんとお疲れね、キッシュ」
声のした方を向くと、宿屋の食事に出す野菜を取りにきたらしいマーファが空の籠を抱えて笑っていた。
相変わらず黒の上下の出で立ちだが、本来の気性だったらしい明るさが戻った顔は暗さをあまり感じさせない。
もともとここを作る理由になった一人でもあるので、元気になってくれたのを見ると嬉しいものだ。
「野菜をもらっていっていいかしら」
「ちょうど収穫時期のがあるからそれ持ってけよ」
「今夜は新作に挑戦するから、よかったら食べにきてね」
「おお!」
ヒーアスが嬉しげな声をあげるが、たしかにマーファの料理は美味いし新作も今のところハズレがない。
そして密かにファンが多いのを知っているので新作の日は早い時間から食堂が賑わう。
今夜は急いで食べにいかねばと、残りの仕事を終わらせるべく向こうの方が少しさわがしくなったのを気づいた。
「帰ってきたか」
「……みたいだなぁ」
さらば平穏なる日々。新作料理食えるといいないやこれは人手が増えたとポジティブにだな。
「キッシュ、声。声」
ヒーアスに指摘されつつ、そこはかとなくぼやけた視界に濃緑色の髪と褐色の肌が入った。
「キッシュー! 戻ったー!!」
「お前は元気だな……」
あれだけモンスター狩っといてなんでまだ走れるの、と少々よろけた状態のスティラが遅れてやってくる。
その隣には新顔がいた。
見た事もない文様を織り込んだ濃灰色のローブが首元から足首までを覆っていて、頭にも似た文様のバンダナを巻かれている。
ディンやアシュレで民族調の衣類は見慣れているが、そのどちらとも違う。
布と同一化しそうな灰色の髪は前髪だけ黒く、分け目から細く開いた青い瞳がこちらを向いていた。
「あら」
野菜の収穫を終えて畑から出てきたマーファが驚きを含んだ声をあげる。
歩いてきていた男はそのまま歩めを止めず、飛びついてきたアシュレを締め上げているキッシュの横を素通りし、マーファとの距離を詰めていく。
マーファから数歩の距離のところで立ち止まると、彼女の上から下までを確認するように顔を動かしているようだった。
「……元気そうでよかった」
「ヘルは相変わらず眠そうね? また会えるなんて嬉しいわ」
溜息に紛れてはいたが、たしかに安堵を混ぜた声は、一番距離が近かったマーファにはちゃんと聞こえていたのだろう。
笑顔で言う彼女に、灰色の頭が縦に動く。
そのまま無言で立つだけの青年と顔見知りらしいマーファは、慣れた様子で言葉を続ける。
「あのあとどうしてたの? あの子は見つかった?」
「……いや」
「ミズレに行ったらいなかったから驚かせたかしらね。少し前にこっちに移ってきてたのよ」
あそこにはもういても誰も帰ってこないしね、と少し陰のある笑みを浮かべるマーファにヘルは僅かにフードの頭を傾けていた。
アシュレをひととおりしばき終わったキッシュは、そろそろ口を挟んでもいいかなと様子をうかがう。
キッシュの視線に気付いたマーファはヘルの背を軽く押して振り向かせる。
前髪だけ黒く長いその隙間から、半分隠れた青がキッシュを捉えた。
「紹介するわねキッシュ。彼はヘル。少し前に村に滞在していたの」
「……たすけてもらった」
ぽつぽつと漏れた声は眠そうだ。
……細い目は元々ではなく半分閉じているからか。
「そうね。あの時はびっくりしたわ」
苦笑を浮かべるマーファを促すと、村の近くで行き倒れ状態だったのを村の人が見つけて、マーファが世話をしていたのだという。
それを聞いたスティラがなんともいえない顔をする。
「こいつ、俺達が見つけた時も木の根元で転がってて、最初死んでるかと思ったぜ……」
ここにくるまでもずっとふらふらといつ寝るか見ていて不安だったらしい。
学習しないのか。今まで余程運がよかったのか。
「それで拾ってきたのか」
「この砦の在り方としては正しいだろ?」
無駄にどや顔で言うスティラをどついたが、間違ってはなかったので溜息を吐いて再びマーファとの会話(?)をしているヘルを眺めた。
「んー……」
「どうした?」
「いや」
ヒーアスの疑問に軽く首を振って、仕事に戻ろうと鍬を手にして畑へと戻る。
ほぼ無表情のままのヘルだが真っ先にマーファを確認しにいったところを見るに、助けてもらった恩義なり好意なりは持っているだろう。
けれど、彼からは何の感情も流れてはこなかった。
情が薄いのか、それともアシュレのように能力の効果が薄いのか。
「……ま、気にすることでもねーし」
何も感じないならその方がいいんだろう。
***
ヘルは一日の大半を眠っているように見えた。
というのも部屋から出てくるのも珍しければ、見かける時はたいていうつらうつらと転寝をしているのだ。
話しかけても舟をこいでるのか紛らわしいような首の動きでの応えがほとんどで、時折ぽつぽつと声が落ちる。
それでもここにきた理由をなんとか聞き出せば、故郷から幼馴染を探しに大陸まで移ってきたのだという。
ヘルが来たのは、大陸から急な海流を隔てた先にある「古の島」と呼ばれる離島からだった。
その島には、名前のとおり古代からの血脈が今も続いている者達が棲んでいると言われているが、海流に阻まれ数百年もの間、大陸との交流は皆無だった。
「……はずなんだけどなぁ」
「実際は、たまに漂流してきた人とかはいたらしいけど」
「それ一方通行だよな。帰れないよな?」
「あの海流を越えるのはかなり骨が折れそうだからなぁ」
それがどうして島の人間がこちらに来たのかと言えば、島にある遺跡にとある仕掛けがあり、その誤作動で近くにいた数名が姿を消したからだという。
調べた結果、彼らは大陸にある遺跡のどこかへと飛ばされたのだと分かり、迎えにきたんだとか。
「大陸に遺跡ねぇ……いくつあると思ってんだ」
スプーンを咥えた状態でうつらうつらとしているヘルを眺めながらぼやく……大丈夫だろうか。こいつ。
「見つかってないのも含めたらかなりの数があると思うけど」
「そもそもそれ見つけて、どうやって帰るんだ?」
「自力でこっちにきたなら帰れるんじゃないかな」
という事は、ヘルはあの海流をなんらかの手立てで乗り越えることができるのか。
できる技術があるにも関わらず、数百年もの間大陸との交流を断っていた彼らは、つまり。
「……まぁそのへんは俺の管轄じゃねーしいいや」
小難しい話になりそうだったので思考の外に投げやって、試作から食堂の看板メニューへと進化を遂げたポットパイを崩して口に運び、そろそろ皿に顔を突っ込みそうなヘルを肘でつつく。
「やけどするぞ」
「……いくつか、行った。違った」
ぼそりと落ち着いた声で呟いて、ヘルはスープをすくって飲む。
会話は聞こえていたらしい。
「そいや、その幼馴染ってどんな奴なん?」
「銀、色……と、赤と、金」
「……なんだそのきらびやかな色合いは」
「似たような服……着てる」
見ればわかる、と半分眠ったようなヘルに、ふぅん、と相槌を打ちながらキッシュは水を手に取った。
「これぶっかけたらさすがに起きるか?」
「マーファに迷惑かかるしさすがにやめたげて」
いつ寝オチするかともしれないヘルを眺める時間が大半だった夕食の時間が終了し、途中で寝そうだから部屋までお願い食事代サービスするからとマーファに言われてしまえば仕方がない。
実際、そのへんの木の下でも平気で眠っているところを何度か目にしているし、今ではちゃんと寝られるようになった砦で野宿をさせるのは修復した側としては許せないものがある。
「……ほとんど人いねぇし」
「ヘル待ってたからね」
遅い時間故に人気の少なくなった夜の砦を歩いていると、最低限だけの灯りで薄暗い廊下の端で何やら押し問答している人影が見えた。
こんな夜更けに逢引か、それとも喧嘩か。
前者ならそっと見なかった事にしたいが、後者なら止めた方がいいだろうとヘルとスティラをその場に置いて先に行くと、見慣れたヘッドセットが見えた。
「……こんなとこで逢引か一児の父親」
「断じてちげぇっ!」
死んだ目を向けるとものすごい勢いで否定された。
いたのはヒーアスとアシュレだった。
この時点で回れ右して帰るかと思ったが、ヒーアスが服を掴んできたから逃げられない。
服が伸びたらカロナ母さんに怒られる。
「助けてくれキッシュ」
「ヒーアス……自衛を本気でするならまずこいつと二人きりにはならないことだ」
「なんだキッシュ達も夕飯だったのか?」
先程までヒーアスに言い寄っていたとは思えないあっけらかんとした顔でアシュレが近づいてくる。
本気というわけではないんだろうなぁ。単純に楽しいんだろう。
「なんだこの二人か」
ヘルがほんとに寝たら俺落とす、とヒーアスへの労いの言葉など言い尽くしたという表情のスティラがヘルの腕を引いてきた。
「足止めしてくれたお礼にヒーアスに背負わせるか」
「おい」
よろしく、とヒーアスにヘルを押し付けていると。
「っくちゅん」
「……誰かくしゃみしたか?」
「やけにかわいかったけど誰だ?」
「ここにいる面子でないことは確かだろ」
きょろきょろとアシュレが声の主を探すようにあちこち見ている。
キッシュが振り向くと、全然知らない少女がキッシュ達が歩いてきた方に数歩の距離を隔てたあたりに立っていた。
「あれ……あれ?」
瞬きを繰り返して首を傾げる黒髪の少女は、わずかな光の下でもわかる、白い衣服を纏っていた。
手にある長いロッドといい、クランと同じ紋章師だろうか。
「あの。ここってどこですか?」
少女の不思議な問いに、ケラジ砦の跡地だと答えると、少女は更に首を傾げる。
「そんな砦、あったかなぁ……」
更に続いた彼女の問いは太陽暦を問うもので、キッシュ達は視線をあわせた。と。
「ビッキーか?」
「誰?」
「……俺だ。ヒーアスだ。ネイネと一緒にいた。ほら」
「んーと……あ!」
名乗りをあげたヒーアスに、ビッキーと呼ばれた少女は思い出すようにしばらく考え込んでから、嬉しそうに顔をほころばせた。
知り合いか、と問おうとしたキッシュの耳に、少女の細かな息を吐く音が聞こえる。
「は、は………、ぁ」
「――はくしゅん!」
キッシュが見えたのはヒーアスの「げ」という表情で。
「…………ここ、どこだ」
目の前には、蔦に覆われた石造りの建物があった。
***
他民族ホイホイ。
そして記念すべきビッキーとのファーストコンタクト達成。
ビッキーいないと数年単位どころか十年単位になりかねない。
よかったねキッシュ頑張れキッシュ。
余談ですがアシュレが押せ押せしまくるのでヒーアスがいつか押し倒されないかを考えるのが楽しいです。
頑張れヒーアス雷怖い。
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