ケラジ要塞(面倒なので皆「砦」としか呼ばない。最近ようやく砦の体裁は保てるようになった。なったはずだ。)の地下には不思議な空間がある。
うっすらと空間全体を包み込むようなほのかな光。蔦の球体。幻想的な光景の中心部には、赤く見たこともない紋を浮かべる掌大の透明な珠が浮かんでいる。
それだけならばまだ幻想的だなで済ませられるのだが、いかんせんそれは喋った。
顔を合わせる度に『何を欲す』と低く問いかけてくる声は、答えないでいたら最近雑談も仕掛けてくるようになった。
地下にぼっちでいるのは寂しいらしい。
今日も今日とて鍛錬がてらモンスターをなぎ倒してここまで来て、休憩を兼ねてのランチタイムをしていたら、向こうから常套句の次に外の天気を聞かれた。
「……おまえ、寂しいなら地上に移してやろうか?」
『それは無理だ。誰かが我を宿さねばここからは出れぬ。だから』
「俺はパスな」
『…………』
即答すると珠は黙り込む。
これだけ断っているのだから他の誰かに頼めばいいと思うのだが、クランやロアンといった面々を始めとして結構な面子がここに顔を出しているにも関わらず勧誘されるのはキッシュだけらしい。
トビアスやリーヤは何か知っているようで、「それは仕方ないなー」とそろって言われた。
そして球と何やらこそこそと長話をしていたらしい……とクランから聞いた。
その後しばらく、普段はそこそこ煩い珠が静かだったということも。
今度あの二人連れてきたら静かに飯食えるかな、と珠にとっては迷惑極まりないだろう事を考えながら、おにぎりを頬張る。
口端についた粒を指で取ってそれも余さず口に入れながら、蔦球の近くにいつの間にか出現していた石版になんとなし視線を向けた。
気づいたらいつの間にかあった白っぽい石板は、誰に聞いてもここに持ち込んだ者を知らないという。
キラキラと輝く破片が混ざった石にはところどころ黄金色の文字で謎の文字が連ねられていた。
すべての最後が「星」の字で締められているそれは、数えてみたら全部で108。
そのうちのいくつかの下には、ここにいる人の名が刻まれていた。
……その一番上にあった自分の名前を見つけた時は呪いか何かかと警戒したものだ。
見覚えのない筆跡で刻まれた文字は誰かの悪戯にしては手が込んでいて、誰も知らないうちに、ふと気づいたら増えている。
先日増えたのは、トビアス、エリカ、リーヤの三人だ。
エリカとリーヤは前からいたのに名前が浮かんだのはトビアスと同じタイミングで、必ずしも来た時にというわけでなければ、ザハやハルヴァのようにずっと名前がないままの者もいる。
ヒーアスやアレストがこれを見て笑っていたり、リーヤが膝をついたりしている姿が目撃されているので、これまた彼らは何か知っているようだった。
ロアンに聞くと、彼らが参加した北大陸の戦争の時も似たものが出現したという。
「大事な仲間の証ですよ」
そう言って笑ったロアンは少し嬉しそうで、石版に対して暗い感情は抱いていないようだった。
キッシュ達を気遣って嘘を吐いているようでもない。
害もなさそうだし、似た事を経験している彼らが今も平然としているなら壊す必要もないのだろうとそのままにしている。
壊すのも結構手間がかかりそうだし。
「キッシュさん。ここにティロー連れてこられないですか」
「帰り道の方から通ったらどうかしら。あそこならモンスターはこないし」
「ティローが通るにはちょっと狭いかなぁ」
『ここを獣の餌場にするな』
ほのぼのとしたディンとルニの会話に珠からツッコミが入った。
「ここ、堀りがいがありそう……」
『やめろ掘るな』
うっとりと地面を撫でているサンにも突っ込む。忙しそうだ。
「餌場にするかはともかく、休憩場所にはいいとこだよなここ」
『最近はうっとうしいガキがいるから静かに瞑想もできぬ』
「寂しくなくていいだろ」
『…………』
この場所を知ってから、目を輝かせて入り浸っているクランがちょくちょく話し相手になっているのは知っている。
トビアスもエルフの結界を補強する手がかりにならないかと度々ここを訪れているし、話し相手には事欠かないはずだ。
そういえば、先日「あの人はすごい」とクランが延々とトビアスについて語るのを聞かされたので、ここをお気に入りにしている両名の関係は良好のようだ。
最近は二人ともエルフの里の方に行きっぱなしなので、球も寂しいのかもしれない。
仕方ないから話し相手になってやるか、と最後の一つを食べ終えて包みを片付けていると、珠が青白く光を増した。
何事かと見れば赤い模様が明滅している。
見た事のない様子に、包みを放り投げて蔦球へと駆け寄った。
「おい、どうした」
『……数百年ぶりか』
「は?」
球に問い質すより先に、爆音と共に、地下空間の一角の壁が吹っ飛んだ。
「……は?」
土埃が舞う一角に、キッシュは目を点にした。
「うっはー! ホントにあった!」
広い空間の反対側まで突き当たりそうな威力で吹っ飛んだ植物と土の一部の向こうから出てきたのは人だった。
ディンとルニもぽかんと口を開けてそちらを見ている。
見たことはない。見覚えもない。そもそもこのあたりでは見かけない風貌だ。
濃緑色の髪は毛先だけ稲穂のような色をしていて、長時間運動をした後なのか、汗で首筋に張り付いている。
その肌の色は日焼けしたものとはまた違う褐色で、おそらく生まれつきのものだろう。
前髪をかきあげる際に露にされた顔の右の目下から手首にかけて、白で描かれた模様があった。
「見たことない人なの」
ただ一人、乱入者ではなく落としてしまったお弁当を残念そうに見てサンがマイペースに呟いた。
「あれ、お前ら誰?」
「それはこっちのセリフだ」
あっれー、と頭を掻いて笑った同年代くらいの男に、キッシュはなんだか厄介者の匂いを嗅ぎ取った。
――それが正しいどころか更に上回ると知るのはそれから数時間ほど後の事だ。
「つまり、半島から海の下にあるトンネルを通ってここまで来た、と」
「そゆこと」
マーファが作った飯をかきこんで頷くアシュレに、その場にいた面々は顔を見合わせた。
半島の人間を見るのは誰しも始めてだ。
西大陸の北西部から南へと伸びる半島は深い森に包まれていて、このあたりにいるモンスターとは格の違うモンスターが生息している。
そのうえ気候も独特のものがあるため、半島にも集落がいくつかあると知られているものの、交流はほとんどない。
彼らもまた独自の文化を築いていて、ほとんど半島から出てくる事がないのだ。
知られている彼らの特徴として、褐色の肌と一族の伝統だという刺青。
そして格段に強い「能力」をかなりの確率で持っているという。
「エルフの次は半島民族かよ……」
接点などあってないような民族が、遺跡の壁をぶち破っていきなり現れたら誰でも驚くだろう。
エルフといい、ここには何かホイホイするものでもあるのか。
「で、ここに何の用なんじゃ?」
尋ねるクグロと並ぶとぶっちゃけクグロも同じ民族じゃ……と思うくらいこんがりしていた。日々の農作業の賜物すげぇ。
「え、別に用事とかはないんだけどさ」
あぐっと大きな口で肉の塊を放り込んで、数口で飲み込んだアシュレはあっさりと返す。
「オレの集落の近くに、遺跡があってさ。そこの地下から海の下を通って向こう岸に行けるっていう言い伝えがあったからほんとか試してみた」
「……それだけか」
「ほんとにつながってたんだなー」
さすがに持ち込んだ食料が尽きかけてたからそろそろ戻らねぇとって思ってたんだよな、とアシュレはからからと笑う。
それ、一歩間違えたら餓死の危険もあったのでは。
そもそも何百年も使われていない通路で、天井が崩れてきたりしたら生き埋めどころか海に流された可能性だってあるというのにそのへん理解しているんだろうか。
平然と食事を続けるアシュレに全員が視線を向ける。
こいつ、無謀なのか好奇心旺盛なのか。
「けどさ。てことは、ここから半島までいけちゃうってことか……」
「どれくらいの距離なんだ?」
「途中で四回くらい寝たから五日くらいか? 太陽も星も見えないから正確な時間はわからねぇよ」
先が見えない中、太陽も星も見えない海中の細道を数日間進む胆力が空恐ろしい。
しかし、普通に行くと数ヶ月かかる道程が数日になると思うと、半島がぐっと身近に感じられる気がする。
「でさ。ここって対岸なんだよな」
「そうだな」
「どのへんなんだ?」
「ちょうど大陸の真ん中らあたりか」
「ふーん」
自分から聞いておいてあまり興味を示さないアシュレは、最後の一皿を食べきって手を宙で切る独特の仕草をした。
聞けば半島での食事の時の挨拶らしい。
「ごっそさん。うまかったぜ」
「そりゃよかった」
「なー、ついでだからこん中案内してくれよ」
「……構わないが」
物怖じしねぇなこいつ、と思いながらキッシュが頷くと、席を立ったアシュレが唐突に抱きついてきた。
キッシュも凍ったが、周りも凍った。
時間が停止する中、アシュレだけが一人ぺたぺたとキッシュの体を触って何かを確認している。
「ふむ」
「……アシュレ。何してる」
「いや、オレ好みの体つきだなぁと。なぁキッシュ、オレとつきあわね?」
にかっと笑って告げたアシュレに、キッシュは無言で全力の右ストレートをつっこんだ。
***
アシュレ初登場。
そして初ストレート。
アシュレはホモではありません。
オープンでライトなバイです。
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