「あーうー……気乗りしねぇ……」
砦から少し離れたところにある、小さな防風林の端でスティラはぼやいた。
今すぐ逃げ出したいが、陽動部隊は実質自分とシャルロだけだ。まさか彼を一人で残していくわけにもいかない。
そのうえ作戦開始前にリーヤから陽動のなんたるか、大切さを詰め込まれた頭は逃げてはいけないと冷静に返してくれていた。
本能と感情に任せて逃げれたらどれだけいいか、と幾度目と知れない溜息を吐く。

生足は嫌だと全力で拒否ったおかげで、スカートの丈は膝よりもわずかに上だ。
あまり長いと今度はもつれて転ぶよと言われ、試しに履いてみたらそのとおりだったので、かわりに長めの丈のブー ツとタイツで肌を見せないでおくことに成功した。
白いシャツは肩のところが少し丸く膨らみが作られているおかげで肩幅はごまかせる。
黒いベストに落ち着いた黄色味がかったスカート、という格好は、一見してごく普通の女性に見えるらしい。
鏡で見た自分はどこまでも女装した自分でしかないので気持ち悪さしか感じないのだが。

ウィッグを押さえている白のカチューシャが落ち着かなくていじると、下ろしている前髪が視界を覆ってますます憂鬱になった。
これでもし男とばれたら、人生が終わる気がする。いろいろな意味で。


くい、と控えめに服の裾を引かれた。
「大丈夫?」
「あー……大丈夫大丈夫。ありがとな、シャルロ」
気遣わしげな視線を向けてくるシャルロに小さく笑うと、同じように笑みを返してくれる。
この子だけが俺の癒しだよ、と思わず滲んだ涙を拭った。
「大丈夫、絶対男だなんてばれないよ! すごく綺麗だもん」
「……ありがとーねー」
慰めてくれているのか単純に感想を言っているだけなのか、どっちにしろスティラの胸をぐさぐさと突き刺す言葉を力説してくれたシャルロに、スティラは重い溜息を吐いた。

ちなみに一番重かったのはサヴァだ。
女装で陽動を引き受けてくれると知った彼女は、スティラに自ら近寄って、礼と激励を述べたのだ。
泣いた。





ロアンとリーヤが中心になって立てた作戦によれば、陽動作戦はスティラとシャルロが中心になっていた。
「おつかいの途中に盗賊に襲われたかよわい姉とそれを守ろうとする弟」という設定で、砦に助けを求めて逃げ込むという設定だ。
そのシナリオを聞いたキッシュが爆笑していたが、スティラも他人が同じ事をさせられていたらたぶん笑う。

スティラ達が門番をひきつけ、あわよくば現場(捏造)へと誘導する。
その間にキッシュ達が内部に侵入する寸法だ。
スティラ達は適当に時間を稼いだら、盗賊はもういなくなったとしてその場から離脱すればいいという事だった。

「スティラさん」
「ひうっ!?」
「ご、ごめんなさい。驚かせちゃった?」
「い、いや……、そんなことナイヨ?」
「そろそろ出発しようと思って」
「わ、わかった」
跳ね上がった心臓をなんとか宥めてスティラは大きく深呼吸する。
余計な考え事は後回しにしよう。
自分達が失敗するわけにもいかないと、覚悟を決めた。
サヴァにもお礼を言われてしまったことだし、頑張らないと。
危険に晒すわけにはいかない。

「スティラさん、髪をもうちょっと乱した方がそれっぽいと思う」
「あ、はい」
「服も少し乱す?」
「…………」
「あと、逃げてきたって感じを出すために、この林を一周してから行けってロアンさんが言ってた」
「……ハイ」
なんだかもう、なすがままだった。





***





門番をしていたイシルは、道を外れたところから転げるように出てきた人影に、腰に提げた剣へと手を伸ばした。
今この要塞は、罪人を収容しているために厳戒態勢が敷かれている。
その罪人が誰なのかイシルまで伝わっては来ていないが、誰かが収容されていようがいまいが、自分の役目はこの砦を守る事だとイシルは自身に課せられた命を忠実に守っていた。

抜きかけた剣は、しかしその人影が少女と少年であると気付いて止まる。
何かから逃げるよう走る二人の内、少女の方が体勢を崩した。
明らかに転んだと分かる少女は、なかなか立ち上がろうとしない。それともできないのか。

剣から手を離して、同じく門を守る同僚に一声かけるとイシルは二人の方へと歩み寄る。
相手が女子供であっても、この砦へと近づいてくる者である以上、警戒を怠ってはならないと緊張は緩めずに、地面に膝を折ったままの少女を見下ろすと、 寄り添うようにいた少女と同じ髪色の少年が警戒を持ってイシルを見上げた。
イシルは剣から手を遠ざけ掌を見せて敵意がないことを示す。が大丈夫だと笑みを見せれば、少年は年上の少女……おそらく姉なのだろう、を気遣うようにしながらも、一歩横に避けた。

「立てますか?」
「す、すみませっ……」
腕を差し伸べて尋ねたイシルに、俯いていた少女が弾んだ息が整わないままに返す。
震えているのは息の乱れのせいか違うものが由来しているのか。
服はところどころ木で擦ったような痕跡や小さなほつれができているし、他にも何度か転んだのだろう、裾には泥がついている。
ここまで余程必死で来たのだろう。

ちら、と少年の視線が林の方へと向いたのに、イシルもつられてそちらへと顔を向けた。
木立は時折風で木の葉が擦れる音を立てるばかりだ。

「僕ら、その、盗賊にいきなり襲われて」
口を開いたのは少年だった。
端的だったが、それだけで二人がこれほどまでに急いでいた理由は理解できた。
少年は腰に剣を帯びているが、大の大人が相手で、少女を伴った上で退けることは難しいだろう。

そこで、少女がイシルが伸ばしていた手を取った。
弱弱しい力と、 掴む手が震えているのを感じ取ってイシルは眉を寄せる。
盗賊に追いかけられて、転んだのを契機に恐怖から動けなくなったのかもしれない。

「もう大丈夫ですよ。盗賊の姿は見えませんし、たとえ来たとしても、ここには手を出してこないでしょう」
「……ほんとうですか?」
細く震える声が耳を打つ。
ずっと俯いていた顔があがり、長い前髪がさらりと少女の額を流れる。
その奥にあった橙と視線がかちあった瞬間、イシルの心臓が大きく跳ねた。

「けど、わたし、こわくて」
頬が赤らんでいるのは走ってきたからだろう。
分かっているのに、 その熱が移るかのようにイシルの頬も熱くなる。

引き起こすでもなく無言で突っ立っているイシルに、少年が訝しげな視線を向ける。
はっと我に返って、イシルは少女を引き起こした。
その拍子に少女が再びよろけて、イシルの腕にもたれかかる。
支えようと手を添えると、少女の肩が固くなった。

「し、失礼」
「いえ……」
慌てて話すと、少女はぱっと顔を逸らして弱く首を振る。
視線は変わらずうろついていて、追いかけてくる相手への恐怖が強くあるのだと容易に推測できた。
「心配なら、少し様子を見てきましょう」
「……いいん、ですか?」
「それくらいなら構いませんよ」
その間に砦で怪我の手当てをしてもらってください、と少女の手の甲に走る赤い筋に、手持ちの布で応急処置をした。

少しばかり名残惜しく思いながら、手を離して二人を砦の方へと導く。
この近くに盗賊がいるとなると、万が一砦を襲うこともある。
部下を数人連れて林の方の様子を見に行く事にした。
「大丈夫ですよ、怪しい奴らがいてもちゃんと捕まえますから」
笑みを浮かべて接すれば、少女はややびくつきながらも、こくりと首を縦に振った。
「よかったね、おねえちゃん」
微笑んで姉を見上げる弟に、少女はほんの少しだけ微笑んだ。
垣間見た その笑みに、心臓がひときわ大きく鳴る。

「しばらくの間なら俺らだけで平気だろ。ちゃんと何もないこと確認してこいよ」
「いやいや盗賊を見つけて退治していいかっこするところだろここは」
残る同僚と先輩に小声でつつかれて、イシルは顔を赤くしてどもる。
気合を入れるためにいつもより大声で持ち場を離れる合図をして、林へと向かった。


イシルが砦を離れている間に、何者かが砦を襲撃して中に捕らえられているエルフ達を連れ出したと後に知る。
まさか捕らえているのが罪人ではなく異種族だったことにイシルは衝撃を受けて、部下達と共にキッシュの下に身を寄せるのだが、騒ぎの中で消えてしまった少女の行方はようとして知れなかった。





***
後半書いてて笑いしか出なかった。

スティラが転んでいるのは靴に慣れないからです。つまりは地です。
声が震えているのは叫びそうになるのを堪えつつ頑張って裏声出しているからです。
顔が赤かったり瞳がうるんでたりするのはまだ残っている羞恥心ですな。

イシルは別に視力が悪いわけではありません。