助けて、とサヴァに言われた。
エルフの少女が宿屋の一室を使うようになって一週間あまり。
体を起こして室内であれば歩くようになった少女の話し相手はほとんどをチェイスが務めていたが、世話をしているマーファや歳の近いロールとはチェイスがいなくても少し会話ができるようになったらしい。
らしいというのは、キッシュはチェイスを仲介として間に挟まないといまだに会話ができないからだ。
それでも顔を見るだけでチェイスの後ろに隠れて出てきてもらえないクグロやザハに比べたらかなりマシなのだが。
どうにも大柄な男性は全体的に苦手らしい。
唯一の例外がムドで、拾ってもらった事を知っているからかロールの父親だからなのか、おずおずとチェイスの後ろから顔を出しながらではあるが、声を聞く事ができたらしい。
「ありがとう」とか細い声ながらに言ってもらえたと感涙にむせびなく髭面をどうにかしてくれとクグロが呆れていたが、そこはロールに任せておいた。
おっさんに構っているほど暇ではない。
そんな、自分から声を出す事が稀なサヴァが、キッシュへと発した言葉がそれだった。
助けてと。チェイスの影からではなく震える手でキッシュの服を掴んで。その瞳には本当に助けを請う相手として合っているのかと迷う色を見せながら。
ここから先はチェイス経由となったのだが、サヴァの他にも同じような目に遭っているエルフが数人いるのだという。
どうして捕まったのかはサヴァ自身もよくは覚えていないようで、捕らえられていた場所から別の場所へと移動させられる馬車がモンスターに襲われた隙を見て逃げ出したらしい。
その時はサヴァしか馬車にはおらず、他のエルフはまだその場所にいるのではないかという事だった。
「つっても、どこに捕まってるかもわかんねぇんだろ?」
「まーな」
机に古い地図を広げた状態で、その上に頬杖をついて呟くスティラにキッシュは息を吐いた。
大国の名前がいくつも書かれた地図を眺めてはみるものの、それでサヴァの仲間が捕まっている場所が分かるわけでもない。
この地図にある国は今はひとつも残っていない。
数十年昔の地図の模写は、かつての大陸の栄華をまだ反映させたままで、現実の荒廃っぷりは地図の上ではまだ未来の話だ。
「いるなら北だとは思うよ。フォリアからエルフを捕らえている人がいるなんて話は聞かないからね」
ハルヴァが顎に手を当てて言う。
南部のだいたいの部分はフォリアが目を配っていて、自警団同士の情報網も強い。
エルフなんて目立つ存在が、一人ではなく複数人いるとなると引っかかってくるだろう。
「……北かぁ」
スティラが指で擦った部分は、北大陸最大の栄華を誇った王国の名前が書かれていた。
「そちらとなると、面倒だぞ」
苦い顔をするザハの言いたい事はよく分かる。
個々の町による自治が強かった南部や、領地として魅力がほとんどない中部と違って、北部は十二年前の戦火の時もその後も、多くの勢力が覇権を争い睨みあっていた。
それぞれの勢力が武具をそろえ、今でも度々小競り合いが起こっているという。
その中のどこかがエルフを捕らえていたとして。
そこからエルフを取り戻そうとしたとして。
「手ぇ出したらどうなるかなんてわかってんだろ」
「……わかってるよ」
キッシュ達はいわば烏合の集だ。
もともとの成り立ちも、行き場をなくしたミズレの人達の住む場所を作って、ついでに自分達のちょっとした基地を兼ねさせてしまおうとしたものでしかない。
少しずつ賑わいを見せ、集落の形を作ってはいるものの、勢力を拡大するだとか、どこかを支配しようだとか、そんな考えはカケラもない。
言ってしまえば戦闘には向かない。人もいなければ物資もない。
仮にサヴァの仲間の居場所が分かったとして、そこからエルフを助けようとすれば、確実に相手からは「敵」として認定されるだろう。
他種族を捕らえている時点でロクでもない相手なのは簡単に予想がつく。
もしかすると、横取りされたと思うかもしれない。
「やっぱり、エルフの集落に連れてくべきだよ。そこから先は彼らが自分達でなんとかするだろう」
「けど、まだ北部までサヴァは動かせない」
室内なら歩けるが、まだ遠くまで連れ出すのは難しいとマーファにも言われている。
「俺達だけでエルフの住処探すのは……無理だよな」
「それができるなら、エルフがどこに住んでるかいまだに謎じゃねーだろ」
たかだかエルフの少女一人の頼みだと、そのまま捨て置く事は簡単だ。
だけどそれができなくて困っている。
どこかに囚われているエルフの仲間は、今の間も多くの傷を受けているんだろう。
あるいはサヴァのようにどこかへ連れて行かれようとしているのかもしれない。
「散り散りになったら余計に助けるの難しいだろ」
手詰まりの感が強くなって、四人はそれぞれ溜息を吐いた。
「とりあえず、南の方で何かあるようなら教えてもらえるよう、フォリアに頼んでおく」
「ああ、頼む」
部屋を出て行くハルヴァとザハを見送って、改めて椅子の背に深く体重をかける。
「どーっすっか、なぁ」
「……もしかしたらの心当たりはあんだけど」
「は、まじでか」
小さく呟いたスティラにガタリと椅子を鳴らす。
「アレスト達が前に北部行ってただろ。もしかしたら噂とか聞いてるかもしんない」
「そういやそうだったな……」
他にも北の方から来ている奴が何人かいたかもしれない。
そこらを当たってみたら、あるいは何か知れるだろうか。
考え込むキッシュに、なぁ、とスティラが真顔を向ける。
「捕まってる場所見つけたら、どうすんの」
「…………」
分かっている。分かっているから悩んでいる。
ここで手を引いた方がいいのかもしれないと。
リロにいる頃のキッシュなら、きっとすぐに諦めていただろう。
明らかに自分の力量を超えている。
サヴァの傷が癒えるまでかくまって、住処の近くまで送っていくのがせいぜいだ。
けど、今は。
この場所にいる人達の力が借りれるのであれば、あるいはと考えてしまう自分がいた。
それは勝手に巻き込む事にもなる。
せっかく住める場所を見つけた彼らが、またその居場所を失いかねないようなリスクを冒してエルフ絡みに手を出していいものか。
「お前はこの件に首を突っ込むの、反対か?」
「……しゃーねぇなぁ」
問えば、相変わらず机の上で頬杖をついたままのスティラが目を瞬かせて、仕方ないとばかりに返された。
苦笑混じりの顔に、そんな風に笑われる理由が分からなくて押し黙ると、さらにやれやれと首を振られる。
「あのさ。サヴァがエルフじゃなかったらどうしてる?」
「捕まってる場所見つけてぼこす」
「それでいいんじゃねぇの」
「…………」
「エルフだからとか、そういうの考えて退くとかさ。お前の考えてるここを巻き込むとかそういうのなら……協力してくれる奴だけで行って、ここに戻らなきゃいい話だし」
あっさりと言われるとそんなものかと納得しそうになる。
簡単に考えるなら本当にそれだけの話だ。
「……いるのか、そんな奴」
「ぶっちゃけ俺、サヴァはかわいそうとは思うけど、直接話したことねーから助けてあげたいとかそんな思ってねーよ」
単刀直入に言われてキッシュは黙ったままそれを聞く。
実際サヴァと言葉を交わすほどの面識があるのは、片手ほどの人数だ。
あまり表立たせたくない存在なのもあって、サヴァがいると知らない者だっている。
スティラもちらっと顔を見ただけで、だからその感想は間違っていない。
「だから、俺はサヴァのために動く気はない」
ざっくりとした言葉に漏れそうになる溜息はなんとか留めた。
問答無用でスティラとミンスは連れて行く……つもりではなかったはずだが、まさか真っ向から拒否されるとは思っていなかった。
さすがに事が事だから、それも仕方ないかと納得はする。
もしかするとリロにも迷惑がかかるかもしれないのだし――
「けど、キッシュの手伝いならせんでもない」
「…………」
にぃ、と笑ってキッシュを眺めているスティラはまさにしてやったりとした顔をしていた。
「スティラ、てめぇ」
「へこんだ?」
にやにやとこちらが苛つく表情で聞いてくるスティラに無言で机を蹴った。
角が腹に当たったようで、潰れた声で呻いて机上に伏すスティラを笑う余裕はない。
「そこらの連中に同じこと聞いてみろよ。ま、少なくともミンスは俺と同じだと思うけどねー。もしくは、」
「「面白いことなら何でもオッケー」」
もう一人の幼馴染が言いそうな言葉を、一人は笑顔で一人は憮然とした顔でハモった。
***
紋章石『……我宿せばいいのに(小声)』
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