「それ」は突然現れた。
夜半過ぎまでリーヤによる交易スパルダ特訓を受けていたキッシュはベッドにもぐりこんだところで、ややぐったりしていた。
もともと教えを請うたのはキッシュ達だったが、キッシュがあまり文字に明るくないと知ったリーヤは、交易の勉強は後回しにいして読み書きの練習から始めた。
それができなければ交易の値段表も読めないし契約書のサインも書けないからと言われてしまえばそれまでだ。

とっとと覚えて交易の勉強始めるぞ、というリーヤの言葉はまさしく正しく、人探しで毎晩教える事のできない彼がキッシュに付き合う時のしごきは半端なかった。
教えてもらっている立場で文句は言えないが、ぶっちゃけリーヤがずっと交易やってくんないだろか。

つらつら考えながらも思考はだんだんと深いところへと沈んでいく。
うとうとしていたところに急に光が差し込んできて、キッシュはいつの間にか朝がやってきたのかと思った。
あんまり寝た気がしねぇな……とぼんやりした頭を振り払うようにぐっと瞼に力を入れる。
しかし目を開けてみれば部屋の中は暗かった。
というか部屋の一部――キッシュの寝床の横部分だけがやけに明るい。
蝋燭を消し忘れたかと思ったのも一瞬、光は人の形を取って、そして人の形になった。

「はじめまして、私の名はレックナート」
「…………」
「突然のこのような訪問をお許しください」
「…………」

え、なにこれ夜這い?
けどこんな女性は砦にはいなかったはず。
いたら絶対覚えている。というか目立つ。こんなひらひらした服を着ているのは、今のところクランくらいしか見覚えがない。

眠気最高潮な状態のキッシュは少々混乱していた。
女性はキッシュの返答を待たず、言葉を続ける。
「あなたにはこれから多くの困難が待ち受けているでしょう。しかし仲間と共に乗り越えれば、その先にはあなたが望むものが手に入ることでしょう」
「……あんたは誰だ?」
ゆったりとした口上の間にやや冷静になったキッシュは、少し卑怯かと思ったが、そう問いかけた。
この問いかけにたいていの人は口に出さずとも心の中では何かしら回答する。
キッシュの能力があれば、この不審者ばりばりの女性の正体が何かしら掴めるかもしれない――と思ったのだが。

「どうか困難にくじけず、己の道を貫いてください」
「…………」
「あ、あと地下にある石版はちゃんとチェックしてくださいね」
「…………」

何も考えていない。というか考えたことをそのまましゃべっている感じがする。
「あなたの道に、どうか幸多からんことを……」
考えたセリフを喋っているような感じがしたが、それでもひとつだけ、キッシュが読めた言葉があった。
「それでは……」
ふわり、と光の粒子となり女性は消えた。
暗闇に戻った室内で、キッシュはぽつりと呟いた。


「……みやげ?」





***





翌朝、あれは夢だったんだろうかと半分疑問視しつつも、スティラとクランを引っ掴んで地下空洞へ降りた。
石の板、は以前リーヤが言っていたものと同じだろう。
言われてすぐに見にいったが、あの時はただの黒い石の板だとばかり思っていたが。

「夢の中に出てきた女の人のお告げ……か」
「あ、ほんとに俺達の名前が彫ってある」
つるっとした石板に、ところどころ刻まれた文字がある。
あの時はほとんど読めなかったが、それでも一番上のところに自分の名前がなぜかあるのは気付いていた。
その数が、増えている。
「お前らが彫ってるとかねぇよな」
「なんでそんな面倒なことしないといけないんだ」
「キッシュは俺の字知ってるだろ」
二者に否定されてキッシュを頭を掻く。
ここを知っている者は残りはハルヴァとロアンだが、二人が書く文字ともこれは随分と違う。

「なぁ、石」
『……石呼ばわりをするな』
「名前とかあんの」
『…………』
沈黙するこの地下空洞を照らす石に構わず質問をぶつける。
「これやってるのって、お前?」
『否』
「じゃあ誰?」
『人の技ではない。すべては理と星によるもの』
「……意味がわかんねぇ」
自動筆記機能でもあるんだろうか。
「とりあえずほっときゃいいんじゃね。ここにある分には邪魔になるわけでもないし」
「そうだなー」
見たところでなにか分かるでもなさそうだと判断して、今日の作業に移るべく地上へと戻る事にした。





結局この石版の意味を知るのは、ずっとずっと後の事になる。





***
相変わらずの夜這いの君。
石は色々言いたいんだけど言えないというか宿してもらえないのに石版あってもうどうしたらいいのか。