目の前にある紙を前に、キッシュは頭を抱えていた。
穴が開くほど見つめても、紙に書かれた現実は変わらない。
「……金がねぇ」
深刻に、資金不足だった。
もともと捨てられた要塞の成れの果てを拠点にしたので、手に入れた当時は廃墟と呼ぶ事すらはばかられる有様だった。
モンスターはいる。雨漏りする。隙間風は当たり前。
むしろ雨露をしのいだり風を避けられる場所の方が少なかった。建物内にいるのに野宿状態だ。
ロクムを始めとする色々な人の協力を得て、多少見た目はよくなったけれど、いまだに幽霊要塞扱いはされるし半分以上は人が住むには悲しすぎる環境のままだった。
メインの建物がなんとか雨風がしのげるようになったレベルで、今後も修繕は続けていかなければならない。
しかし、修繕するにも金がいる。
そしてこの敷地はまだまだ広い。
というわけで、修繕費がバカにならない。
モンスター退治だったりクエストだったり、最近ロアンの勧めもあって始めてみた交易だったりで稼いだ資金も、悲しいかな修繕費に半分近くが消えていく。
その他道具や食料等。
人が増える事は嬉しいが、同時に必要経費はどんどん嵩む。
そしてそれらを稼ぐためにモンスター退治やクエストに精を出す……どんな自転車操業だ。
収入と支出金額が羅列されている紙をいつまで眺めていたって収入が増えるわけでも支出が減るわけでもない。
紙に穴が開く前に自分の胃に穴が開くんじゃないだろうかと思いながら、紙ヒコーキにして窓から飛ばしてみた。
こんな事で問題が解決するわけないのだが、せめてもの現実逃避だ。
ああ、悩みもこんな風にどこかへ飛んでいってくれればいいのに。
自棄気味で飛ばした紙飛行機は、風のない穏やかな陽気の中ひょろひょろと落ちていって、こつんと誰かの頭に当たった。
「あ」
「紙ヒコーキ? 誰だ飛ばしたの……」
自分の頭に当たって地面に落ちたそれを拾い上げたのは、リーヤだった。
最初に来た時にロアンと腕を組んでひっついているのを目撃されていて、スティラが「ロアンさんと一緒にいやがってちくしょう」と個人的に目の敵にしている彼だが、キッシュは実はまだきちんと話をした事がなかった。
ロアンが一度挨拶に連れてきた時に二言三言話した程度で、彼がモンスター退治やクエストに参加しないのもあって、今まで接点がなかったのだ。
宿代はちゃんと払ってくれているし、瓦礫撤去とかの手伝いはしてくれているので、親しいわけでもないキッシュがクエストやモンスター退治に引きずりこむわけにもいかないというのはある。
ただ、遠目で見ていてどうにも掴み所がないという印象だ。
しばらく紙飛行機を検分していたが、やがて視線をあげたリーヤとばちりと視線が合う。
「これ飛ばしたの、お前?」
「あ、ああ……悪ぃ」
「痛くねーからいいけど……なんだこれ」
紙飛行機を開いて、中に書いてあった数字の列を見たリーヤの眉間にくっきりと皺ができる。
「……かっつかつだな、おい」
「かっつかつ、で通るならまだいいさ……」
「…………」
哀愁漂うキッシュに何を思ったのか、リーヤは「しばらく待ってろ」と言うと紙を持ったままどこかへ行ってしまった。
「待ってろ」と言われたが、あそこからこの部屋へくるには少し時間がかかりすぎじゃないかと思うくらいに時間が経って、雑なノックの後にリーヤがいくつかの紙の束やら何やらを抱えて部屋へと入ってきた。
机の上に広げられた紙にキッシュは目を瞬かせる。
それはこの要塞周辺の地理がざっくばらんに描かれたものだった。
地図というにはお粗末だが、町の位置や要塞からの距離はだいたい分かる。
もともとここ十年あたり、地図が意味を成さないこのあたりにとっては十分すぎるほどの代物だ。
「あんまり口出しするといつかの二の舞になるからしたくなかったんだけどさー……さすがに不憫すぎるわ」
「…………」
思いっきり同情をもらったらしいと分かるが、反論する気にもなれない。
「石版見てきたけど、まだ鍛冶屋も防具屋も道具屋も商人もいないんだよなー……」
「石版?」
「あれ、見てねぇの」
キッシュが頷けば、リーヤはがしがしと自身の頭を掻いてから、非常に遺憾極まりないという表情で説明した。
「地下の空洞あるだろ。あそこの部屋の隅の方に黒い石の板があるから、今度見とけ」
「なんか重要なのか?」
「重要になるかもしれないし、ならないかもしれねー」
ちら、とリーヤの視線がキッシュの右手に向けられるが、それはすぐに逸らされた。
「あそこに行ったのか」
「立ち入り自由って聞いたんで、一応挨拶……みたいな感じで」
後半がいまいち聞き取れなくて聞き返そうと思ったが、リーヤに紙を示されながら聞かれた。
「で、今後このあたりがくる目処とかあるか?」
「……ないな。職人がどうしたんだ?」
「そのあたりは早めにそろえた方がいい。ある程度身内で賄った方が、外で買うより安く済む」
「なるほど」
「あと、全員を均等に鍛えようとするんじゃなくて、よく連れてく奴だけ集中的に鍛えりゃいーから。全体を鍛えるのはそれこそ、」
そこで不自然に音が途切れて、キッシュはリーヤの顔を窺う。
酷く気まずそうな表情で口元を押さえるリーヤにあえて聞いてみようと思ったのは、続きに何が入るのか気になったからだ。
なんだかきな臭い気配がした。
「それこそ、なんだ?」
「……それこそ、必要になった時でいーってこと」
「……わかった」
嘘は言っていないようだけれど、それが必要だというのはどんな時なんだろうか。
……それにしても、最近うっすら能力使いすぎかもなと少し自省した。
「とはいえ序盤に職人が仲間になるとは限らねーし、金が入るわけでもねーからな。やっぱり収入のメインはモンスタークエスト、交易だな。やってっか?」
「ああ」
「頻度は?」
「クエストは内容見てやれそうなの考えつつ。モンスターは周辺の治安もあるんで、ローテでほぼ毎日誰かしらがやってるかな」
「適当に人数割り振ってノルマ決めて放り出せばいいぜ。アレストとかヒーアスは慣れてっから、遠方までぶん投げとけ」
「……そうなのか」
そういえばリーヤも北大陸出身者であの二人と知り合いなのだと、スティラがロアンから聞いてきていたっけか。
「毛皮剥いで交易品に加工したりできるし。あいつらはその辺もん慣れてっから、こき使ってやれ」
「……いいのか?」
「おう。あいつら頼られると張り切るタイプだからな」
元々無関係の彼らにどこまで頼っていいものかと悩んでいたところだったから、あまりに自身満々に言われて納得してしまった。
「あと交易だけど、今まで交易やった経験あったか?」
「いや、始めたばっかりだ」
「経験者は?」
「んー……遊び程度のなら、少し。あとはロアンに聞いたりとか」
「ちなみにどんな風にやってる?」
「噂話聞いて、安い物を聞いて、で、買って売ってる」
「……悪くはねーけど、それじゃそんなに儲け出ないだろ」
「けど、それが一番損がないって。経験ないのにでかい儲け出そうとするのは危ないってロアンに忠告されてさ」
「一理あるな。で、これだ」
ぺいぺいぺいっと地図の町の印上に置かれた紙を見て、キッシュはぎょっとする。
紙にはそれぞれ交易品の種類とおおよその金額が書いてあって、しかもそれは紙によって微妙に違った。
「……まさか、これ」
「こっから割と足を運びやすい町でやり取りできる交易品とそのだいたいの価格のリスト。人探しで歩き回るついでにに作ってみた」
「…………」
この細かさってついでで作るレベルなんだろうか。
呆然とするキッシュを気にも留めず、リーヤはどんどん話を進めていく。
「これを見てある程度の金額以下になっているものはとりあえず買い占める。で、高額になったところでまとめて売る。安く買って高く売るって基本はいーけど、噂聞いてからだとそろう数にも限度があんだろ? だからあらかじめ、ある程度備蓄しとくわけ。あと光るたまは見つけたらとりあえず買い占めろ。近いうち必ず高値で買う村が出てくっから」
すらすらとリーヤの口から出てくる言葉にキッシュの頭が追いつかない。
追いつかないが、リーヤが交易に対してかなり明るい事はよく分かった。理解した。
「詳しいな」
ようやく口に出した言葉に、リーヤはいやに真顔で首肯した。
「ギャンブルと交易はさんっざん仕込まれてっから」
まあ頑張れ、と机の上に散らばせた紙を片付けるリーヤを、キッシュはじっと見つめてみた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……言いたいことがあんなら聞くけど」
「交易担当をやってくれ」
「……やだっつったら?」
「無理矢理にでも次の遠征に連れて行く」
途端にリーヤが嫌そうな顔をする。
「いや、俺そんなに強くねぇし」
「リーヤ、地下空洞までどうやって行ったんだ?」
あの裏道はキッシュ達を始め、一部の者しか知らないし、無闇に人に教えないように言っている。
あまりあの空間を広めない方がいいと考えたからだ。
ロアンも知っているが、彼女がリーヤに伝えたなら、律儀な彼女は一言キッシュに報告してくるだろう。
「あの道のり、一人で行ったんだろ?」
知り合いらしいアレストは最初の細道が通れないし、ヒーアスは今はシャルロと里帰り中だ。
二人の無言のにらみ合いはしばし続いたが、最終的に折れたのはリーヤの方だった。
「……交易できる奴がくるまでだぞ」
「ああ」
「あと、俺の本来の用事優先で」
「もちろんそれでいいぜ。頼む」
にやりと笑うキッシュに、リーヤは肩を落として「お前その顔シグールに似てる……」と誰かを思い出していたようだったが、実のところ最初から引き受けるつもりだったんだろうとキッシュは思っている。
後日、遠征の日程を見たアレストがリーヤに詰め寄ったという目撃情報がキッシュのところまできたが、その遠征での収入はかつてないほどよろしいものだったので、今後もキッシュはリーヤの助言に従おうと思ったのだった。
***
リーヤはきっちり石版確認しにいきました。ソロで。
ついでに紋章も見てきているので半ば自棄になりつつあるようです。
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