遠く海を臨める場所にある古ぼけた建物をリーヤは見上げた。
低い位置でひとつに結われた髪が、潮の匂いを運ぶ海風に揺れる。
遠目からでは廃墟にしか見えない建物は、もともと使われなくなった要塞らしいのだが、そこかしこに補修した跡が見られわずかながらも人の生活の匂いがする。

まだこの距離でも分かるような綻びがあちこちにあるものの、しっかりと陽光を浴びて聳え立つ建物を眩しそうに目を細めて見ていたリーヤは、軽く息を吐くとくるりと踵を返した。
もともとこの近くへは別の用事で訪れていて、風の噂でこの要塞の話を聞いたから、少し確認をしておきたかっただけだ。
立ち寄るつもりはなかったし、リーヤの目的もそこにはないだろう。おそらく。

門の向こうで動く彼らの邪魔をしてはならないと、声をかけるつもりはなしにその場を立ち去ろうと砦に背を向ける。
――ぐい、と羽織っていたマントの裾を掴まれた。
誰だ、と振り向いたリーヤの視界に入った黒い艶やかな髪に目を瞬かせ、次いで上げられた顔に頬を引きつらせた。

ぜいぜいと肩で息をしながらも、彼女はリーヤのマントを掴んで離さない。
大きく肩が揺れる度に、腰まである艶やかな黒髪が揺れる。
ぐっと強い意思を持った蒼の瞳がまっすぐにリーヤへと向けられた。
「ちょ……なんで行っちゃおうとするんですかぁリーヤさん!!」
「なんでこんなとこにいるんだよロアン!?」
反射的に叫んでから、はっとしてリーヤは視線を明後日の方向へと飛ばす。
ああ、太陽が眩しい。
「……ヒトチガイデス」
「今私の名前言いましたよね。しかも「げっ」て顔しましたよね」
「…………」
マントをがっしりと掴んだまま、笑顔で凄んでくる彼女はどこかの知り合いを彷彿とさせる。
あっちは睨まれるとうんともすんとも言えなくなるのでこちらのが可愛げはあるが。

一瞬意識を脇に逸らしている間に、マントではなく腕を掴まれていた。
これでマントを外して逃げる事もできなくなった――そんな必死にならなくてもと思うなかれ。
俺の本能が危険だと警鐘を鳴らしているのださっきから。
ラウロの姪であり、アズミの娘でもあり、なにより「ラウロに憧れて軍師になる」という壮大な目標を掲げていた彼女が今ここにいてリーヤを掴んで離さない。
これで危機を感じずに何を感じろというのか。

「ちょ、離せってロアン!」
ぐいぐいと引いて中に引っ張っていこうとするのはさすがに力が違うので阻止しつつ、おそらく聞かなければいつまでも膠着状態になるであろう質問を投げる。
聞きたくない。聞いたら最後な気がする。しかし聞かなければいつまで経ってもこのままだ。
「なんでロアンがここにいるんだよ」
「私、今ここでちょっとしたお手伝いをしてるんです」
「お手伝い……」
「はい。困ってる人を助けたりする集団みたいで。楽しい人達が沢山いるんですよ」
「なんでそこで俺をそんなに呼び止めようとすんだよ」
「それがまだ立ち上げたばかりで人手もないんですけどそれ以上に資金がなくて……そこでリーヤさんがみえたので、これはもう天の助けだと」
「……はぁ」
目を輝かせるロアンに、リーヤは少しほっとした。
なんかやばい組織かと思ったが、物好きが作った集まりなのか。
考えてみれば内紛後は北大陸は大きな国はほとんど分裂していて、反乱勢力を立てる相手がまずいないのだった。
北部ならまだしも、ここは中央部だ。

「ねぇ、手伝ってくださいよー!」
「俺、今ラウロに頼まれた用事をしにきてるんだけど」
一応の抵抗としてその名前を出せば、ロアンは用事の内容を尋ねてくる。
「わざわざリーヤさんがくるような用事なんです?」
「まぁ、人探しなんだけどさ……」
相手の名前を告げればロアンは納得したようだったが、それならと笑みを深くした。
「そしたら、ここを拠点にしたらいいじゃないですか。宿屋もちゃんとあるんですよ」
「……半分はそれが目的だろ」
「お手伝いすると滞在費が安くなります」

金銭と労働力を併用で支払うのか。
斬新というか画期的というか実利的というか。
これはロアンの提案なのかねと考えながら、仕方ないかとリーヤは足に込めていた力を緩めた。
「しかたねぇな……このあたりを探す間だけだからな」
「やったぁ!」
リーヤの腕に抱きついたままロアンが満面の笑みを受かべる。
こういう時の表情は小さな頃と同じだなぁ、と十年以上前の彼女を知るリーヤとしては成長しても変わらぬ部分を見つけてそっと微笑んだ。

門をくぐり、建物に案内するというロアンに連れられるままに、瓦礫が両側を埋める道を歩く。
ふと、抱きつかれた腕に力が込められて、リーヤはロアンを見下ろした。
「そうそう、この砦、色々と面白いんですよ」
「へぇ?」
「地下に不思議な空間があって、喋る不思議な石があるんです」
リーヤの顔を見上げてにこりと微笑むロアンに、リーヤの笑みが引き攣った。
引き抜こうとした腕はがっちりとホールドされている。
「それに、面白い人もたくさん。たとえば――ほら」

「あ? リーヤじゃねぇか!」
「アレストさんとか、ヒーアスさんとか」
「…………」
にこにこと笑みを向けるロアンは分かっていたのだろうか。分かっていただろう。
痛いほどに抱きつかれた腕が痛い。

きっとこの本拠地のどこかには石版があるんだ。
そこに名前が彫ってあって、その中には見覚えのあるものもちらほらあるに違いない。


ラウロに手紙を書くべきだろうか、と考える。
罵られるか、自分だけ巻き込まれた事に対して高笑いを返してくるか。

二度目の星の回りへの一歩を踏み出していた事を確信したリーヤは、こちらへ歩いてくる、おそらくまだ何も気付いていない熊二号に八つ当たりをすると決めた。



***
Wがまだ「未来シリーズ」としてあった頃に、ほぼ最初に書いた作品。
最初からロアンとリーヤは巻き込む気しかなかった。すべてはこれから始まった。
リーヤに二回目をさせたかったんですよ(本音