「え、あの要塞、入れるようになったんですか!」
それは人の集まる食堂で流れる他愛ない会話のひとつだった。
たまたま通りがかった、元は砦であった場所がやけに賑わっていたという話を聞いた彼女は、食事後のお茶の友として開いていた本を勢いよく閉じて、席をたった。
「お、すげ。ホントに入れるようになったんだ」
金槌と鍬の音が鳴り響く晴天の日。
土塗れになりながら入口を塞いでいる瓦礫と格闘していたキッシュの耳に、ぼんやりとした声が届く。
振り向けば、けっこういい成りをした男が立っていた。
年恰好はキッシュよりいくつか上か。
広幅の袖と長いローブから剣や弓を扱うようには見えず、身の半分ほどの長さの杖を見るに、紋章石を扱う職業の人のようだ。
鍬や鋤を振るうような出で立ちではない。どう見ても。
耳の横だけ長い髪は、根元から毛先に向けて銀から緑へと色を変えている。
毛先に近い色の切れ長の目の向く先はキッシュ達ではなしに修理真っ最中な城砦だった。
元々投棄状態だった砦が修復されているので、リロやジラで話を聞いたり、近くで様子を目にした人が物見遊山的な調子で覗きにきたりと、この手の輩は多かった。
その中ではなかなか珍しい毛色ではあるが。
ようやく地面まで下ろした瓦礫を避けつつキッシュは割と頻繁に口にするようになった言葉を舌に乗せる。
「ようこそー。暇だったら手伝ってってくれるとありがたいんだけどな?」
「あんたらがここに入れるようにしたのか」
尋ねられれば一応頷く。
頷くが、こっちの話に応答する気が微塵も感じられないのはどういうことか。
そのオーラが届いたのか、男は首筋を掻いてから名乗った。
「オレはクラン、だ。前に一度ここに入ろうとしたんだけど」
クランが言うには、以前入ろうとしても建物の入口が見つけられずに、そのまま引き下がる事になったらしい。
入れないとなると入りたくなるのが人のサガというもので、しかし中にはあっさりと入れるという人間も何人かいて。
いったい何が基準なのだろうかと悶々としていたら、修繕し始めた奴らがいるというので見にきたらしい。
「俺達も普通に入れたよなぁ?」
首を傾げるスティラとは反対に、キッシュはなんとなく予想はついた。
たぶん原因は、砦の地下にあったあの変な石だ。
自分のナワバリ荒らされるの嫌いそうに見えたので、あの石の存在に気付けそうな輩は侵入される前になんらかの手段で弾いたのだろう。
中に入れたのはごくごく普通の奴ら。
自分達も、元々はここにあんなものがあるなんてまったく気付きも予想もしていなかったから入れたのだろう。
「けど、こんなボロ要塞になんでそんな入りたかったんだ?」
「なにか大きな……掴みきれない、不思議な力がある気がするんだ」
スティラの問いに答えたクランに「やっぱりな」とキッシュは聞こえない音量で呟いた。
「それで入りたい、と」
「だめか」
「ま、俺達のモンってわけじゃねーから、好きにしてもらって構わねーけど」
「そりゃどうも」
「ついでに何かしら手伝ってってくれるとありがてーけどな。ご覧のとおり人手はいつでも募集中なもんで」
響く道具の音を背後に浅く肩を竦めて見せれば、クランは軽く頷いた。
緑色の瞳は興味なさげにキッシュから外される。
「気が向いたらな」
「…………」
こいつ手伝う気がねぇ、と非常に分かりやすい態度だった。
この手の物見遊山な連中は時々いらっとさせられる。
マーファと一緒に宿屋兼食堂めいたものを運営しているノエルは外からお金落としてくれるお客さまだよと喜んでいるが。
だから、これくらいはかまわないだろう。
「……そうそう。あんたが見たそうなもんはここの地下にあると思うから、あっちから入れよ。でかい入り口っぽいところから入ると「立ち入り禁止」ってでかでかと書いてある穴があるから」
「ご丁寧にどうも」
言い残して去っていったクランの後ろ姿を見ながら、スティラがこそりと耳打ちしてくる。
「……あそこから入ると、もれなくモンスターの洗礼受けんじゃねーの?」
地下空洞への直通なら、帰りに石から教えてもらった裏道がある。
そちらを教えなかった理由はあるのかという問いに、キッシュは悪人さながらの笑みを浮かべて答えた。
「そしたら手伝い依頼してくるだろ。その手間賃で手伝わせてやる」
「そんなに力持ちとかじゃなさそーだけど」
「紋章石使えそうな格好してたからな。それてでかい岩とか焼畑させる」
「鬼か」
「お前だって言わなかっただろ」
「まーね」
にたりを顔を見合わせて笑って、時間のキリがいいので昼飯にする事にした。
さて、何十分後に出てくるだろうか。
「……てめぇ、ら」
「どうしたクラン」
「ぼろぼろだけど大丈夫か? ほら絆創膏やるよ」
ノエルのところで食事をもらって元いた場所で瓦礫に腰かけて昼食を食べていたら、不機嫌そうな顔でクランが現れた。
いい笑顔で出迎えるとぎろりと睨まれる。
袖や膝のところが汚れているのであの細道を降りたのだろうが、おそらくその先の迷路部分で躓いたんだろう。
「……お前達の作業を手伝ってやるから代わりにオレが下に行くのを手伝え」
「下ってどこまで?」
「お前らが行ったことがあるところまで」
「そんじゃあそこまでか……連れていったらちゃんと手伝えよ?」
「わかってる」
クランの言質をしっかり取って、昼食を腹に納めるとそれじゃあ行くかとキッシュは立ち上がる。
「どっち使うん?」
「そりゃ決まってるだろ」
「なら俺も行くー。あれくらいなら腹ごなしで済むし」
頭に巻いていたタオルを外してスティラも瓦礫の山から下りる。
裏道の方ならモンスターもでないし迷路もないので武器なしでも行けるし攻撃を受ける心配もない。
一応万が一に備えて武器はちゃんと持っていくが、明らかに肉弾戦に不向きなクランと紙なスティラと三人で行っても問題ない。
「そんじゃ行くか」
「入口はこっちじゃねぇのか?」
クランに教えた入り口ではない方向へ進み始めた二人に、クランが少し慌ててついてくる。
疑問を投げかけてきたので親切に教えてやった。
「正面から言ったら面倒じゃん」
「まっとうに行こうとすると死ぬからなー」
「主にお前がな」
半分崩れた瓦礫の一部分にある、下向きの穴へと足を下ろして笑うスティラに突っ込みつつ、キッシュも後に続く。
ものの数分で最終目的地である石の安置所までなんの障害もなしに降り立ったクランは、拳をふるふると震わせていた。
「ほい。ここがたぶん最深部的な。クランここが見たかったんじゃね?」
「最初から……こんな簡単な道があるなら……っ!」
「出会ったばかりの観光だけしてはいサヨナラ、をしそうな奴に教えるわけねーだろ」
「……っ!」
ここにきてようやくクランはキッシュの目的に気付いたようだったが、言質を取られた後では遅かった。
***
キッシュの当初の予想はどんぴしゃだったようで、クランは紋章石の扱いに長けていた。
しかも火。
おかげで雑草の処理が一気に進んで、畑に使える面積も増えた。
しかもクランはあの地下空間がいたくお気に召したようで、マーファのところで部屋を探していたから、当分ここに滞在を決めたようだ。
正確にはあの石に探究心と研究意欲を掻き立てられたらしいが、キッシュにしてみれば手伝いが増えたのであれば石のひとつやふたつ犠牲になってもなんら問題ない。
建物の補修は引き続きロクムを中心に任せつつ、今日は金稼ぎを兼ねて何かクエストでも受けに行くかと、ジラにあるギルドへと顔を出した。
同行しているのはスティラとクラン、ヒーアス、ビスコだ。
ジラの町並みが遠くにうっすらと見えてきたところで、クランが思い出したように口を開く。
「そういやオレの他にもいたな。この砦を気にしてる奴」
「……物好きって多いのな」
「なんでも北大陸からきたらしい」
「へぇ。北か」
ちらりとヒーアスを見る。
ヒーアスやアレスト、シャルロといい。最近は北からくる人も随分と増えたらしい。
まだまだ内陸は荒れているが、それでも内紛は収束しているし、港町を中心に賑わいを見せ始めている。
そのうち、もっと北からの人が増えるのだろうか。その頃このあたりはどうなっているのだろう。
「北大陸でもこんな感じのところにいたことがあって、なんだか懐かしいんだってさ。ここが修繕され始めたって聞いたらくるんじゃないか」
「ふぅん。北大陸に砦みたいなところって結構あんの?」
ヒーアスに尋ねれば、少し考えてヒーアスは首を縦に振る。
「割とあるな。気軽に入れなくなってるところもあれば観光名所になってたり、補修して使われてたり。懐かしいってことは、故郷の近くにそういうところがあったのかもしれないな」
俺も一時期似たようなところにいたなぁ、と記憶を思い出している様子のヒーアスに相槌を打って、さして珍しいものでもないのかと、そこで思考を止めた。
ギルドへと入れば、クエストの内容が書かれているのであろう紙の束を持った少女がカウンターから出てくる。
「キッシュ久しぶりー」
「よう。コット」
薄茶の髪はいつものとおり綺麗にまとめられ、貝殻でできたバレッタで留めてあった。
キッシュの能力を知っている人物でもあり、彼女がいる時は気遣って外で話すようにしてくれている。
「こないだは私がいない間に来たんだって?」
「まぁな」
「タイミング悪いなーもう。で、砦の方はどうなの?」
「耳が早いな」
「情報は鮮度が命ってね。……ま、実際はノエルから聞いただけなんだけど」
ぺろりと舌を出してネタ晴らしをしてから、コットはリストをめくって見せてくる。
「今日来たってことは、なんか依頼がほしいんでしょ。割といい値段の仕事紹介したげる」
「話の通りが早くて助かるわ……」
リストを受け取り、しかしチェックが入れられた依頼を物色して軽く唸る。
横から覗き込んだスティラもあからさまに表情を歪めた。
半ば予想できたことだが、払いがいい分難易度も高くなっている。
「モンスター退治に護衛依頼が主かー」
「あんた達ならこのあたりがやりやすいでしょ」
「モンスター退治とかならヒーアスやアレストがいるから多少難易度高くてもなんとかなるか?」
「さらっとお前……まぁいいけどよ」
苦笑気味なヒーアスに、このあたりとかどうよといくつか打診している脇で、クランがチェックの入っていないものを見ていく。
「この石の鑑定ってのは?」
「ああ、倉庫の整理をしてたら紋章石が出てきたから鑑定してほしいってやつなんだけどね。内紛とその後のごたごたで、今、こういうの鑑定できる人少ないから」
「ふぅん。キッシュ、これなら受けてもいいぞ」
「……クラン、できんの?」
「一瞬で終わる」
即答したクランに「ならいいけど」とキッシュは依頼用紙を抜き取った。
「場所は……シャシャか。それならついでに荷運びの依頼も受けるわ」
「あとこっちもよくね? 護衛依頼だけど、場所がポメロ近くの水場だろ」
「それならクランが鑑定してる間にできるか」
値段の低いものもチェックして、効率重視でいくつか近辺の依頼をまとめて引き受ける事にした。
仲介料を受け取りながらコットがにやっと笑う。
「あ、あともひとつお値打ちな依頼が」
「なんだ?」
「昨日入った依頼だけど、数日以内に来るようならと思ってこっそり避けといたのよねー」
いいのかお前それ、と思ったが、依頼内容を見て納得した。
これはお値打ちだ。
「依頼内容は、最近話題の砦への護衛依頼……はまぁオマケで、本命は中の見学と探索って感じかな。キッシュ達なら楽勝っしょ?」
ていうか関係者じゃないと難易度高いのよね、とコットはけらけらと笑う。
実際は来たら中など自由に見学できるのだが。
似たような前例で手伝いに引き込まれたクランが苦々しい顔で依頼書に目を通していて笑える。
「依頼人呼んであげるから、ここで待っててね」
幸運を祈る!と店の中へと入っていったコットを見送り、そのまま外で待つ事数分。
やってきたのは、長い黒髪の女性だった。
短めの赤いショールを羽織り、同じ色のシュシュで髪の一部をゆるくまとめている。
大事そうに持っている本はなんなのだろうか、と首を傾げ――その姿を見て声をあげたのは、二人。
「「ロアン!!」」
声をあげ、二人は顔を見合わせる。
その二人を見て、大人しそうな外見をしている女性はふわりと微笑んだ。
「あれ、クランさんと……え、ヒーアスさんまで?」
「知り合いか」
「俺はほら、さっき言っただろ。砦を気にしてた奴って、彼女だよ」
噂をすればというやつか……とひとつ頷く。
クランの方はそれで納得したが、ヒーアスの方は……まぁ、北大陸にいた頃の知り合いの線が強いだろうか。
遠く離れた別大陸での再会とか驚くよなぁ、と二人を見守る姿勢に入った。
「おいロアン、お前なんでいるんだ」
「留学です」
「西大陸までわざわざか……?」
「はいっ! 船が出るのでちょうどいいと思って」
「アズミがよくOK出したな……いや、むしろ出すか」
「色々見て回ってきなさいって。むしろ反対したのはおじさんで困りました」
「……だろうよ」
会話からするに、北大陸での知り合いで間違いないようだ。
ヒーアスの思考にちらりと見えた銀の髪の人影が「アズミ」だろうか。
そのままいくらか言葉をかわし、ヒーアスから色々聞いたらしいロアンがキッシュに向けて軽く頭をさげてきた。
「はじめまして。ロアンといいます。キッシュさんがあの砦のリーダーなんですね」
「いや、そんな大層なもんじゃないけど」
「しばらくご厄介になってもよいでしょうか? お手伝いできることはしますので」
にこりと笑みを向けられて、断れるほど非道ではないしそもそも断る理由もなかった。
というかクランと違ってちゃんと手伝う意気込みがあるのも素晴らしい。
「ま、ボロい砦なんて面白いもんなんてないけどな。それでよければ好きなだけ滞在してってくれ」
「ありがとうございますっ! よろしくお願いします」
「ロアン、面白いものがあったんだ。あんたにも見て意見を聞きたい」
「それは楽しみです」
にこにこと笑うロアンは、なんの謙遜でも誇張でもなしにボロボロな砦を見てもまったく表情を崩さないどころか、地下空洞を見ても驚く様子がほとんど見えなかった。
「なんだかあの頃思い出すみたいで懐かしいです」という呟きの意味は分からなかったが、ヒーアスが苦い笑みを浮かべていたので、二人共通のなにかしらの記憶があるのだろう。
***
砦でホイホイ。
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