リロに戻ってキナンで聞いた事を報告すると、イグラは沈痛な面持ちで声を漏らした。
「そうか……ミズレがなぁ……」
あそこの村長とは知り合いだったんだが、と肩を落とすイグラは悲しそうに目を伏せる。
「ミズレの村長ってどんな人だったんですか?」
「私より五つほど上だったかな、とても聡明な人だ」
「私もお会いしたことあるけれど……村のことをとてもよく考えている方だったわ」
そんな性格の人物が村人の凶行を止められなかったのだとすれば、年齢を考えても、本人はもう亡くなっているのかもしれない。
二人の表情にありありとその色が見えて、キッシュはしばらく考える素振りを見せてから、顔を上げた。
隣でスティラがやれやれと肩を竦めているが見えていない事にする。

「俺、ミズレに行ってきてもいいですか」
「行ってどうするのかな?」
キッシュに問いかけるイグラの目は優しかった。
反対されていないと分かって、キッシュは少しほっと息を吐く。
「……ミズレがどうしてチノミを襲ったのか、知りたい」
今わかっているのは、ミズレがチノミを食料目当てで襲った事だけだ。
不作であったからと言うけれど、どうしてもそれだけでは腑に落ちなかった。
南部のフォリア達は特に違和感を感じていないようだったけれど、日頃の収穫が少ない地域からすれば、他を襲わなければならないほどの不作となれば、何かしらの大きな問題が起こったとも考えられる。
そこをすっきりさせるにも、ミズレを訪れてみたかった。

「俺も行きます」
声をあげたスティラとキッシュを交互に見て、イグラはゆっくりと首を縦に振った。
「それならば、行って見てくるといい。それもまた二人の経験となるだろう」
気をつけて行っておいて、と微笑むイグラへキッシュとスティラはそろって頷いた。
カロナも心配そうな表情を浮かべていたが、言い出したら聞かないんだからと二人の頭を軽く撫でると、残していく三人の事は任せておきなさいと請け負ってくれる。

村に戻ってきて「疲れた」と家へと戻っていった年少トリオは、戻ってきてすぐにまた出発するとは思っていないだろう。
見つかっても今回は連れて行くつもりはないが、ジェラともどもいなくなってから何かと騒がしくなるに違いない。
「怪我しないようにね。モンスターや盗賊もうろうろしてるんだから」
「大丈夫だって。ジェラもいてくれるし」
「キッシュ、逃げる時はスティラを置いてっちゃだめよ」
「カロナ母さん俺のが年上。あと足は俺のが速いから!」
二人してひでぇよ、と大げさに嘆くスティラに二人して笑って、村長の家を出た。
表で待ってくれていたジェラと合流する。
そして見つからないようにいざ出発――をしたものの、ここのところ野宿続きでうんざりしていたのは確かだったので、ジラで一泊する事にした。
軟弱というなかれ。半月もほぼ野宿してたら嫌気が差すのが普通だろう。

ジラ唯一の宿屋の扉をくぐると、元気な声が飛んできた。
カウンターに顔を出したのは、この宿屋の看板娘であり、普段は併設された食堂で給仕係をしているノエルだ。
「いらっしゃいませー」
「よう、ノエル。今日は店番か?」
「うん。お母さんが買い物に行ってるから、代わり。今の時間はまだ食堂そんなに混まないからね」
宿屋のカウンターに上半身を乗り出すようにして笑う少女にキッシュ達も笑みを返す。

安くてうまいを売りにしているこの宿屋の食堂は、 キッシュ達がジラに用事で来た時の食事処でもある。
それもあって、住む場所は少し遠いが幼馴染のような関係だ。
給仕の手伝いをしている時は後ろでバレッタでまとめている栗色の少し長めの髪は、今は店番係だからか肩口に下ろされている。
少し毛先が丸まっているのは、バレッタで留めていた名残だろうか。

「今日はどしたの?」
「いや泊まり」
「なぁに、家出? それとも一緒のおねーさんが理由?」
探るような笑みで尋ねてくるノエルに、キッシュは半目になって返した。
「お前が考えてるようなことはねぇよ」
「考えてるようなことってー?」
裏のありそうな笑みを浮かべながら、ノエルは奥から部屋の鍵を出してカウンターに置く。
ここ数年何かとこの手の探る気配は何なのか。女の成長ってこんなに怖いものなのか。
今はいない幼馴染とはまた違う方向での成長だ。

「一応聞くけど部屋数はどうする?」
「……男二人と女一人の割り振りで頼む」
「二部屋ね。ま、三人で楽しむ趣味でもないか」
「ノエル」
「はい、キッシュ達はこっち使ってね。ご飯は閉める時間までに下で食べてねー」
低く名前を呟けば、ノエルはそれだけ言ってさっと食堂とつながっているドアから向こうへと逃げるように行ってしまった。
悪ノリにも程があるだろと、 部屋へ続く階段をあがりながら、キッシュは堪えきれずに溜息を吐く。
幸いジェラも悪ノリと理解してくれていたからけらけら笑っていたけれど。

普段は優しいいい子なんだが、恋愛が入り込む余地があると問答無用で突っ込んでくるから厄介だ。
昔、それこそまだ出会って日が浅い頃に「ミンスとスティラとどっちが本命なの?」と問われた事は今でも覚えている。

真顔で「どっちもない」と即答した。





***





ジラを次の日の早朝に出発し、間に野宿を挟みながらミズレに辿り着いた。
「……なんだよ、これ」
「ひどいね……」
スティラだけでなく、旅を続けて色々な土地を見ているはずのジェラからも苦い言葉が漏れる。
キッシュもミズレを見て最初に漏れたのは呻きだった。

畑があっただろう一帯はとても収穫前の時期とは思えないほど荒れ果てていた。
苗は枯れ、あるいは踏み荒らされ、掘り起こされた土はとてもじゃないが今年の収穫は見込めない。
モンスター避けの柵も引き倒されている。柵の周りには人間と獣の足跡が入り乱れていて、この荒廃の原因が果たしてどちらにあるのかは判断できなかったが、被害は畑だけではなく足を踏み入れた村の中にまで及んでいた。

穴の開いた壁や柱がいたるところで目に付く。中には完全に倒壊している家屋もあった。
補修をした跡もあるが、それらはどれも稚拙で応急処置にもなっていない。
一見道には誰もいない。無人の村のようだったが、わずかに感じる気配と視線に、潜む人の存在が知れる。

向けられる視線と気配にキッシュは村の中央を突き抜けている大通りを歩きながら眉を寄せた。
おそらくは皆家の中に隠れているのだろう。外からやってきたキッシュ達に向けられているのは、警戒と恐怖といった負の感情ばかりだ。
振り払いたくとも振り払えないそれに表情を歪めると、スティラが小声で尋ねた。
「キッシュ、顔色悪ぃぜ」
「……ほっとけ。そういうお前も似たようなもんだろ」
「そりゃ、こんなの見ればさ」
モンスターに襲われた村は見た事あったけど、とスティラもまた顔を顰める。

空腹や縄張り争いに敗れたモンスターが村を襲う事はあるし、防衛を破られて襲われた村の跡地を見た事はあった。
その時は大人達の手である程度片付けられていて、見たのは半分崩れた家やぼろぼろになった畑だけだったが、わずかに土に残っていた赤は記憶に残っている。

その村の、片付けられる前の光景は、こんな感じだったのだろうか。
まとわりつく視線から少しでも逃れられないかと顔を横に向けたキッシュは、踏み出しかけた次の歩を止めた。
完全に壊れた家の前に積まれた、元は建築材だったのだろう廃材に腰かけている。
その瞳はどこか空ろで、伝わってくる感情は深い疲弊と諦観だった。
結い上げた黒髪はほつれ、煤のついた頬を拭う事もなく、細い手は泥とで黒く染まっている。
きっとまだそれなりに若いだろうに、醸し出す雰囲気はまるで老女のようだった。

立ち止まったキッシュ達に、女性はゆるりと視線を向ける。
濁った瞳に立ち竦むキッシュに、彼女は罅割れた唇を開いた。
「何もない村に、何のご用?」
「……いったい、何があったんだ」
「知って、どうするの?」
目線が合って、問いかけられて、キッシュは黙り込んだ。
「あなた達が知っても、きっと嫌なことを知ったと思うだけよ」
「この村が、チノミを襲ったと聞きました」
スティラの声に、女性の視線がそちらへ動く。
わずかに灯ったのは怒りの感情で、スティラもまた怯んだようだったけれど、それでも言葉を続ける。
「こんな状態だったなら、他の村の支援はなかったんですか」
「……聞いたのはどこかしら。チノミの人達かしら。キナンかしら。どちらにせよ、随分非難していたでしょう」
自嘲の笑みを浮かべる女性にどう答えたらいいか分からなくて、首を振る。
フォリアはミズレのことを悲しそうにはしていたけれど、決して非難はしていなかったように思う。
思った以上に酷かった現状に、軽々しく足を向けた自分達の行動が軽率だったのではないかと思って視線が下を向いた。

「まあまあ。あんまりこの子達いじめないであげてよー」
ぽん、とキッシュとスティラの肩に手が置かれ、 振り向けばジェラが真面目な顔で首を傾けていた。
「関係ないのに首突っ込むなって思うかもしれないけどさー。何もしてあげらんないかもしれないけど、聞きかじっただけで非難するためじゃなくって、ちゃんと知るためにきたんだよ」
「ジェラ。いいよ、俺達が悪かったんだし」
軽々しく首を突っ込んでいいものじゃなかった。

でもー、と口を尖らせるジェラとのやりとりに、言葉を挟んだのは女性だった。
女性はほんの少し口元を吊り上げて、目を細める。
「……そうね。ごめんなさい。少しいじわるだったわね」
「いや。そんな」
「ただ、話すのも疲れてしまって。少し水をくれないかしら」
キッシュが持っていた水の筒を渡すと、女性は礼を言って廃材の上へとキッシュ達を促す。
――もともとは、長椅子とテーブルだったのだそうだ。
女性はマーファといい、ここは彼女の家でもあり、宿屋を営んでいたのだという。

少し筒を傾けて 喉を潤し、マーファと名乗った女性はほつれた毛を耳にかけて、ぽつりぽつりと話し始めた。
「今年はね、不作だったの。というより、ここ数年はずっと、昔のように満足な収穫は望めていなかった。内紛の時に随分と働き手を取られて、そのほとんどが帰ってこなかったから。女子供の手では深く土を耕すのは難しいし、モンスターから畑を守るのも厳しくて」
一度襲われ 畑の味をしめたモンスターは、同じところを再び襲う。
それでも子供が成長し、戻ってきた者達も傷を癒し。度々襲ってくるモンスターから自分達の身と畑をなんとか守りながら、 内紛の前よりもずっと慎ましやかにはなったけれど、ミズレも穏やかな暮らしを取り戻そうとしていた。
――その、矢先の出来事だった。

盗賊が村を襲った。
モンスター避けの柵など人の手には障害程度にしかならず、備蓄を随分と取られてしまった。
抵抗した者達は傷つき、ある者は命を落とし、村長もその時に亡くなった。

出稼ぎに行っている者達に頼って援助を送ってもらおうか。
けれど、北へと連絡を取る手段がない。早馬も奪われ一頭も残っていない。
今の備蓄では、とうてい村全員が冬を越すことはできない。
他に頼れるあてはないのか。ならば、一番近いチノミであれば。
悩んで、藁をもすがる思いでチノミへと人を出した。

「チノミには断られたわ」
「どうして」
「あそこの生業は食料を売ることだから。無償で、なんて考えられなかったのだと思う。まして、冷静に考えれば、返ってくるかどうかも怪しいわよね」

譲歩して、貸すことはできる。今年渡した分は利子を含めて来年の収穫で返してくれればいい。
チノミにとっては十二分に譲歩したつもりであろう答えは、ミズレの人々にとっては返せるあてのないものだった。

もう一度やり直そうと、疲れた声で誰かが言った。
内紛の後と同じように、何年もかけて頑張れば、きっとチノミへの借りた分も返して元のミズレに戻せると。
――そうしたら、また同じように誰かに奪われるのだろうかと。暗い声で誰かが呟いた。

奪うしかない、と男の一人が立ち上がった。
俺達は奪われた。ならば、生きるために奪うのも仕方がないではないかと。
命を取るわけじゃない。すべてを奪うわけじゃない。ただ、生きるのに必要なものを得るためだと。
村長が生きていたならば、きっと止めていただろう。
しかし彼はもう亡くなっていて、家を、土地を荒らされて追い詰められていた男達の暴挙を止められるだけの力を持つ者は、村に残った人々の中にはいなかった。

「……けどね、帰ってこなかったわ」
「え」
「男達が出て行って、私達残された者は、自分達の村がしでかすことの恐ろしさを思って縮こまるように日々を過ごしていた。そこにきたのは、男達ではなく、この地方の自警団を名乗る青年達だったわ」
フォリアか、とキッシュは彼との対話を思い出す。
たしか自警団の話では、ミズレはもう同じことは二度と繰り返さないと約束してくれたと言っていたが。

「彼らの話で、出て行った人達がチノミを襲ったのを知ったわ。もちろん、他の村を襲うなんてことはしないと約束した。村を立て直すためにいくらかの援助ができるよう大人達にかけあうからと、代表の青年は言ってくれたけれど」
チノミやキナンでのミズレの評判はよくないだろう。果たしてどこまでそれをあてにできるかは分からない。

男達はどこへ行ったのか。
きっと、食料を得て、そのままどこかへと行ってしまったのだと一人が言った。
しかし家族が村に残っていた者もいる。はたしてそんなことはありえるのだろうか。

戻らない男達の行方を考え、 その翌夜。
再び盗賊の襲撃に遭った。
今度こそ、なけなしの備蓄もすべて奪われ。家は壊され、火をつけられて。
人の命が奪われなかっただけ、ましだと思ったけれど。

盗賊の中の一人が身に着けていた皮鎧が、知人が昔から大切にしていたものだと気づいてしまい。
そこで、男達がなぜ帰ってこないかが分かってしまった。

待っていても誰も戻ってこない。
迎える家もなく、もてなすための糧もなく。
行く宛てがあるものは村を捨て、同じ村人の所業故に他の村へと身を寄せるのができかねない者達は、廃墟同然の家に身を寄せ、冬という名の死が訪れるのをただ待っている。

「これが今のミズレよ。最近じゃ夜になるとすぐ近くまでモンスターがくるの。今、苗を借りても育てられる余裕はないわね」
顔色をなくしたキッシュ達に、気分を悪くさせてごめんなさいね、とマーファに逆に謝られ、ただ首を横に振るしかなかった。
リロに来いと言いたくても、村も冬を越すのでていっぱいだ。
到底一村分の人を受け入れることはできない。

せめてもの、と持っていた食糧と水のいくらかを置いて、 後ろ髪を引かれるように、けれど自分達がやれる事もなく、キッシュ達はミズレを後にした。
街道を歩く三人の足取りは重く、誰も口を開かない。
このままキッシュ達が帰るとして、何もしなければ数ヶ月もしない内にミズレは人のいない村になるのだろう。
内紛が始まり、終わって、十数年が経って。その間に消えた村はいくつもあったろう。
だけど、今回のように、実際に消えていく村の住民と話をしたのは初めてで、だから印象深く感じているのかもしれない。

それが世の中の摂理というのなら、どこかが栄えるかわりにどこかで村が消えるのも流れなのだろう。
仕方がないのかもしれない、が。

「あーーー!!」
がしがしと頭を掻きながら空を仰いで急に叫び出したキッシュに、スティラがびくりと肩を竦ませた。
「キッシュ、どうした?」
「つまり、安全な土地があって、食料を作れればなんとかなる、んだよな」
「……おいおい」
「このままほっとくのはあまりに目覚めが悪すぎんだろ!」
「軽く言うけど、実際それ用意するのにどれだけ大変わかってんの」
「わかってる、けど。 駄目元でも動けるだけ動きたい」
このままほっといたらきっと後悔すると吐き捨てて、キッシュは目的地を変更した。

……だって、聞こえてしまったのだ。
仕方がないと諦めを口にしながらも、心の内で、生きたいと言っているのを。
それを、いくつもあの村で聞いてしまったのだから。




***
ここでほっとくかほっとかないかの選択肢が明暗を分けるんだと思います。