大陸南部を流れる川が二つの支流に分かれるちょうど真ん中にチノミはあり、大陸でも有数の農作の村と知られている。
村を囲むように広大な畑があり、モンスターや盗賊に備えて周りを二重に柵で囲うという手法が取られているのを、昔一度見た事があった。
子供を連れての旅となると、かかる日数は当然いつもよりも長くなる。
こちとら旅のプロではない。野宿の経験がないわけではないが、慣れているわけでもない。
中継地点であるキナンの町が見えてきた時には、やっと着いたと思わず安堵の息が漏れた。
「やっとついた……」
「まだ半分だよー? 大丈夫ー?」
「スティラのもやしっぷりは今に始まったことじゃないからな」
「せっかくもらった優しさを!」
「久々に屋根の下で眠れるー」
「傷薬とかもだいぶ少なくなってたし、なくなる前についてよかったね!」
キッシュとスティラの言い合いをスルーしてフィンと会話するシャルロは、すっかり馴染んだようだ。
そういえば、道中も野宿への不満はあまり零したりしなかった。
「お前ら、よく途中で弱音吐かなかったな」
「ついてくって言ったから、文句は言わないわ」
「おお」
「だから次もちゃんと連れてってよなー」
十と数年しか生きてないのにそこらはきっちり頭を働かせるのな……と弟と妹分にいっそ感嘆する。
最後のふんばりだとキナンまで足早に到着した六人は、町の様子が少しおかしい事に気付いた。
なんだか町全体が、ぴりぴりしている。
外を歩く人間の数も、前に来た時よりも随分と少ない。
キッシュ達に向けられる視線に含まれる露骨な警戒に、ジェラが頭を掻きながらぼそりと呟いた。
「……なーんか、やな空気ー」
「モンスターを警戒しているんじゃない? チノミが襲われたなら、ここも危ないかもだよね」
ここからチノミはそう遠くないから正確な情報も入ってくるだろうし、次に被害に遭う可能性も高い。
だからシャルロの予想はもっともだが、それだけではキッシュ達に向けられる警戒の理由が分からなかった。
誰かに話を聞いてみたいが、どうにも聞ける空気ではない。
気持ち悪、と向く視線達に辟易していると、家の外に顔を出した中年の女性に声をかけられた。
「おや、あんた達」
「あ」
「なんだい、今日はこの間と違う顔ぶれだね」
それは、前にシュトレとワーズとともにここを訪れた際に、自警団について教えてくれた女性だった。
まだ数ヶ月も経っていなかったおかげで顔を覚えていてくれたらしい。
「今日はおつかいか何かかい?」
「あー……ちょっと」
「この間はフォリアがいなくて残念だったね。今日も少し出てるんだけど、もうすぐ帰ってくるだろうから、時間があるなら会っていくといいよ。よかったらそれまでうちで休んでおいき」
女性は周りの雰囲気にも気づいているのだろう、努めて大きな声で言ってくれた。
村人の知己と分かったからだろうか、向けられていた視線が消えて、息苦しさが少し緩む。
「あの……いったい何が」
問いかけて、にわかに村の入口の方が騒がしくなったのに気づいた。
「フォリア兄ちゃん達が帰ってきたよ!」
誰かの叫びに女性が教えてくれた。
「ああ、今、自警団の子達がね……村の大人達と一緒に、行ってたんだよ」
「もしかして、チノミを襲ったっていう?」
「もう知ってたのかい」
「チノミが襲われたってことだけはリロまで届いてたんで。詳しい話を聞きたくてきたんだけど」
「そうかい……けど、きっともう終わったんじゃないかね」
そう言う女性の顔つきは、終わったと言うには随分と浮かないものだった。
「モンスター、そんなに手ごわかったのか?
「……モンスターならよかったんだけどねぇ」
重い声で、女性は目線を床に落とした。
「人間だよ。チノミを襲ったのは、ミズレの村の連中だったのさ」
***
戻ってきた自警団の人達を取り囲むように喜んでいるのは、チノミから一時的にこちらへ来ている人達らしい。
キナンの人々はそれを遠巻きに見て複雑そうな表情をしながらも、どこかほっとした雰囲気を漂わせている。
村を襲ったというから、てっきりモンスターか盗賊の仕業だと思っていたのだけれど。
たしかに人間が相手なら、高い柵もモンスター避けの香木も、役には立たないだろう。
「スティラさん、ミズレってどこにあるの?」
「ここから川を越えてもうちょっと南に行ったとこだよ。
あのあたりもそこそこ肥沃な土地だったはずだ」
少なくとも、他の村を襲う必要が出るほど食べ物に困る事はない。
ふと、集団の中の一人と目が合った。
やや青っぽい短髪の男性は、確かザハと言っただろうか。
向こうはこちらを覚えているだろうかと思っていたら、ザハは周りに何かを告げると、集団を抜けてまっすぐこっちへと向かってきた。
皮の鎧は泥や砂埃でくすんでいた。ところどころ赤いしみは血だろうか。
視線に気づいたのか、ザハは帰りに遭遇したモンスターのものだと答えてくれる。
「俺達のこと覚えてたのか」
「まぁな」
にこりと笑みを浮かべて頷いたザハは、時間はあるかと尋ねてきた。
「あの後君達の話をしたら、フォリアも会ってみたいと言っていてね」
「……まぁ、時間はあるけど」
今回はチノミの襲撃の詳細を知りたくてきたわけで、その原因はもう分かってしまった。
その分知りたいこともできたが――それを聞くためにも、フォリアという人物には会ってみたい。
「今は少しばたついているが……ついでに俺達の溜まり場でも案内しよう」
ついてきてくれとザハは踵を返し町の奥へと向かう。
戻ったばかりにいいのかと問えば、自分にはそんな大層な役割もなくて暇だからと返ってきて困惑する。
たしか前に会った時、周りの反応からして結構中心的なポジションだと思ったのだが。
「人の血じゃなくてよかったね」
キッシュが最初に危惧していたことを代弁するようにジェラが囁く。
キナンを襲ったのがミズレで、今まで彼らはどこかに出かけていて、戻ってきた彼らをチノミからの移住者が歓迎していて。
そこから予測できるのはあまりいいものではなかった分、ザハの言葉は真実であればいいと思う。
「色々聞けるといーけど」
あいつらの前で物騒な話はしたくねぇよ、とスティラが口を尖らせた。
そこは同意だが、どうなるかは向こうの話し方次第だろう。
溜まり場というのは道場らしかった。
広々とした板張りの床の上では、出かけていたのだろう数人が道具の手入れをしたり休息を取ったりしている。
その間を小さな子供達が道具を持ったりお茶を抱えてちょろちょろと動いていて、どの村でも小さな子供は似たようなものかと興味深そうにきょろきょろとしているビスコ達へと視線を向けた。
入ってきたキッシュ達へと視線が向けられるが、一緒にザハがいるのを見ればあっさりと外される。
中には新入希望者かと問うてくる者もいて、ザハがやんわりと応対していた。
「ザハ兄さん!」
ばたばたと、
奥から眼鏡をかけた青年が駆け寄ってくる。
歳はキッシュ達と同じくらいだろうか。
ザハを兄と呼んだが、兄弟にしては似ていない。
おかえり、と出迎えてから、一緒にいるキッシュ達へと視線を移す。
「新しい入団希望者?」
眼鏡の奥の瞳に睨まれたような気がして、キッシュは少し身構える。
ザハがそれに気付いて、少し苦笑気味にハルヴァに尋ねた。
「ハルヴァ、フォリアはいるか?」
「奥でレティやグレーゼと話してた。呼んでくる?」
「ひと段落しているようなら頼む……あぁ、いやこっちが行こう」
「だったら僕が連れていこうか? ザハ兄さんも疲れてるだろ」
「なら頼もうかな。この間俺が話した人達だと言えばわかると思う」
「わかった」
こくりと頷いて、ハルヴァは「こっちだ」と一瞥して奥へと歩いていく。
キッシュのうしろに隠れていたビスコがぼそりと呟いた。
「なんかこえー……にーちゃん」
「あいつは別に睨んでるつもりはないんだ。目つきが悪いのを本人も気にしていてな」
「ああ、そういうこと」
「もともと目も悪くはないんだけどな。目つきの悪さを隠すためにわざとかけてるんだよ」
だから怖がらないでやってくれ、とビスコの頭に手を置いたザハに、ビスコはにっと笑みを浮かべる。
「ふーん。じゃ、気にしないでおいてやるよ!」
偉そうに言って、全員に笑いが広がる。
「おーい何してんだよ」
奥の扉に手をかけて振り向いたハルヴァに、全員が小さく噴出して、怒らせたのはご愛嬌とさせてもらいたい。
その時ハルヴァが誰かを伴って戻ってきた。
道場の奥はいくつか部屋があるようで、そのうちのひとつをノックしてハルヴァは中へと入って行く。
しばらくして一緒に出てきたのはキッシュ達とそう年齢の変わらない青年だった。
金に近い薄い色素の髪に、緑の瞳。剣を持つよりも本を片手にしていた方がずっと様になりそうな風貌だ。
にこりと人好きのする笑みを浮かべて右手を差し出してきた青年の手を軽く握る。
「こんにちは、初めまして。僕がフォリアです」
「キッシュだ」
「ザハから少し話を聞いたよ。中央部の人達とはあまり会話をする機会がないから、ぜひ会ってみたいと思っていたんだ」
「そんな大層なもんじゃないぜ?」
「違う地域の同年代の人って興味が湧かないかい?」
立ち話もなんだし、と別の部屋に案内されて、お茶を用意される。
そのついでに、中を案内しようとハルヴァがビスコ達三人を連れ出していったから、フォリアもこちらの訪問の意図は掴んでいたんだろう。
だから入れ違いで戻ってきたザハを含め、五人だけになった室内で、キッシュはざっくりと本題に切り込んだ。
「ミズレがチノミを襲ったって聞いたけど」
「うん」
「あんた達が行ったのは、ミズレか?」
「そうだよ」
とても悲しい話だけれど、と前置いてフォリアは茶の入った器に視線を落とす。
「チノミは村の周りにモンスター避けの柵があるんだけれど、それを襲撃の時に全て壊されてしまってね。もうすぐ収穫の時期だというのに、
柵が壊されたままではモンスターに食べられて今年の収穫に支障が出てしまう。僕らの仲間は少し前から柵の修復と畑の警護に行っているんだ」
「ミズレはどうしたんだ」
「今日は話し合いに行ってきたんだよ。……話し合いで済んでよかった」
力に訴えるのは好きではないんだ、と告げるフォリアの顔は沈んだものから変わらなくて、本音を言っているのだと分かる。
「なんでミズレはチノミを襲ったの?」
ジェラの問いに、フォリアは緑色を細めて答えた。
「今年、ミズレは不作だったらしい。食べるものがなくなって、チノミを襲ってしまったんだそうだ」
***
興味があったらぜひ自警団にも、という勧誘には「考えとく」と返して、キッシュ達はリロに戻る事にした。
あまりにあっけない冒険の終わりにつまらなさそうにしながらも、キナンの中を見て回れたからか、リロに害が及ばなさそうな事にほっとしたのか、幼年トリオは歌を口ずさみながら先
を歩いている。
それとは逆に、行きよりも固い表情で歩いているキッシュに、スティラがどうしたよ、と尋ねた。
「……本当にミズレが不作くらいでチノミを襲うと思うか?」
「ん?」
「このあたりの土地ならなんとか冬を越せるくらいの備蓄はあってもおかしくないだろ。俺達んとこじゃあるまいし」
「そーだなぁ……」
「もっと別の理由があるんじゃねぇかと思って」
「キッシュはどーしたいのー?」
間延びしたジェラの言葉に、キッシュはがりがりと頭を掻きながら溜息と共に吐き出した。
「チノミの様子も見たいし、ミズレの話も聞いてみたい。そうしないとすっきりしない」
「ならこのまま行くー?」
「あー…でもあいつらは置いてった方がいいと思う」
キッシュの希望は通ったが、どの道あの三人はリロに戻した方がいいだろう。
原因がモンスターでない以上綺麗にまとまりそうにない。盗賊でもない人間が他の村を襲うなんて話を、特に北大陸からきたシャルロに見せたくなんてなかった。
「じゃ、一度リロに戻って、それからミズレねー」
「あ。でもジェラはいいの? 行きたいところとかあるんじゃ」
「暇だからねーいいのいいの」
からりと笑ってジェラは大きく伸びをした。
***
とりあえず年少組を置きに戻ります。
ヒーアスとアレストをここで連れて行くと便利かと思ったけど、それだと色々崩れそうなので頑張って三人で行くよ!
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