捕まえた男達をぐるぐる巻きにしてティローの足跡だらけになった広場に転がし、ヒーアスの「眠りの風」で眠らせた。
広場には村の男達が全員集まっていた。
女性や子供はまだ家の中に隠れているように指示してある。
ティローはそれぞれのパートナーが落ち着かせて小屋の中だが、物々しい雰囲気に興奮しているのか、まだ鼻息荒いものも多い。
耳に手を当てて居心地悪そうにしているヒーアスに、キッシュは尋ねた。
「ヒーアス、どうしたんだ?」
「……俺、この音嫌いなんだよな」
「音?」
「ティローに指示を出す時に使う笛の音……」
また鳴った、と顔を顰めるヒーアスに、キッシュは首を傾げる。
そんな音がした気はしなかった。
耳を澄ませてみても、人々の話し声しか聞こえない。
「なんだヒーアス、お前まだこの音苦手なのか」
「……トルツ」
笑い混じりの声がして、見れば、最初道を駆け下りる時にヒーアスの名前を呼んだ男性が立っていた。
黒っぽい髪のほとんどは模様の入った帽子に隠されている。
動きやすそうな生成りの上下を着ていて、その襟元や裾には帽子と同じ模様が刺繍されていた。
「こいつ、耳がいいのかティロー用の笛の音が嫌いなんだよな」
「どんな音なんだ?」
「よく聞いてろよ」
トルツは首元から提げた紐を引っ張り出した。
その先には金属でできた小さな細い笛がくくりつけられていた。
ヒーアスがさっと両手で耳あての上から耳を塞ぐ。
トルツがキッシュの耳元で笛を吹くと、ほんのかすかに高い鳥のさえずりにも似た音がした。
「……ちっさ」
「ティローは耳がいいから十分なんだ。俺達人間にはほとんど聞こえないはずなんだが、なんだか知らんがお前は昔から聞こえるんだよなー」
「へぇ」
「苦手なんだから仕方ないだろ。もう黙れ」
「二十年ぶりに会う幼馴染に酷いなぁおい」
久しぶりだな、とヒーアスの腕を叩いて笑ったトルツに、ヒーアスは気恥ずかしそうに笑った。
「で、こっちの青年は誰だよ。まさかお前の子供じゃねぇよな」
「違うっての。一緒にここまでついてきてくれたんだよ」
「キッシュだ。ヒーアスの息子はこっち」
ちょいちょいと指でヒーアスの後ろにくっついていたシャルロを示すと、トルツはまじまじとシャルロを見た。
シャルロは少し緊張したようにヒーアスから体を離して自己紹介する。
その手がヒーアスの腰のベルトを掴んだままなのが歳相応の緊張っぷりを表していてなんだかかわいい。
「シャルロです。はじめまして」
「お前の子供とは思えないくらい利巧そうだな。奥さんに似たんだなぁ……」
「ほっとけ」
「おじさんはトルツだ。よろしくな。後でお父さんの小さい頃の話教えてやるよ」
「ほんとですか!」
「待てコラ」
「お母さんが、お父さんの小さい頃の話沢山聞いてきてねって」
「……あいつは……!!」
「それに僕も知りたいよ、お父さんが小さい時の話。全然お話してくれないんだもん」
「…………」
無言で項垂れたヒーアスに、トルツがけらけらと笑う。
幼馴染の楽しい再会を眺めていたら、とんとん、と肩を叩かれた。
振り向けばスティラが楽しげに表情を緩めながら立っていて、あっちを見ろとばかりに指で示してみせる。
見てみたら、そっちはそっちで別の感動の再会をやっていた。
「ディンっ!」
「ルニ!?」
飛びついたルニに、同じ歳くらいの青年が驚きに目を丸くしていた。
周りの大人達はルニの存在は知っていたようだが実際に目にするのは初めての人も多かったらしく、微笑ましさと目新しさの混じった視線を向けている。
「どうしてここに!?」
「なんの連絡もなかったから……きちゃった」
「きちゃったって……」
「心配だったの!」
「…………」
涙目で訴えられて、ディンは視線を伏せて「ごめん」と呟いた。
事情が事情だけに連絡もできなかったのだとルニも分かっているだろうが、それを知るまでの不安を考えればディンもルニを怒る事はできない。
「……けど、ルニに何かあったら嫌だよ」
「大丈夫だったわ。それに、私、あなたのお嫁さんになるのよ? カヤシの女は強くないとって言ったのはディンだわ」
「……それは」
「それに、これからはディンが守ってくれるんだから、大丈夫」
にこりと目尻を赤くしたルニの微笑みに、ディンはルニを抱き寄せようとして、里の皆の前だと気付いて顔を真っ赤にして慌ててルニから離れた。
「なんだ、そこで抱きしめるのが相場だろうに」
「そうだそうだ、俺達は気にせんでいいぞー」
「こりゃ尻に敷かれるな」
「まったくだ。いい嫁になる」
やんややんやと囃し立てる親父連中に、ディンは首まで赤くして、それでもルニの手を放さなかった。
ルニは恥ずかしそうに、嬉しそうに笑っている。
こっちも一段落ついたなと笑っていると、上の様子を見てきていたアレストが戻ってきた。
「もうひと踏ん張りあるからな、気ぃ引き締めてくれよ」
朗らかに笑っていた男達の笑いが止む。
里にいた連中は倒したが、彼らのボスはまだここに来る。
里長に確認したが、やはり頭は今夜月が昇る頃に返事を聞きにくると言っていたという。
もう空の端には月が出ている。時間はあまり残されてはいない。
「各自配置についてくれ。よろしく頼む」
アレストの支持で、男達はばらばらと散っていく。
キッシュ達も配置につくために移動しながら、アレストに尋ねた。
「できるのか」
「今度は地の利もあるし、戦いは攻め込むより迎え撃つ方が有利なんだぞ」
ぬかってくれるなよ、とアレストがにやりと笑った。
***
カラカラと乾いた音がする。
山渡しのティロー使いが居場所を知らせるためにティローの首につけているベルの音だ。
徐々に近づいてくるその音に、全員の間に緊張が走る。
やがて五人ほどの部下を従え、広場まで降りてきたボスを、里長は台座に座ったまま出迎えた。
里長の両隣には、男の部下が武器を手に立っている。
その光景に、男はにこやかな表情を崩さぬまま話しかけた。
松明に照らされた男はまだ若かった。
女性に好かれそうな顔立ちをしていて、とても盗賊のボスには見えない。
男の後ろでは、人質として捕らえられていたティロー使い達がやつれた顔を強張らせて立っていた。
「さあ、こちらの気が長いといえど、そろそろ待てなくなってきましたよ。答えは出ましたか?」
「……ああ」
里長が視線を伏せて頷く。
その反応に回答を予測したのか、満足気な表情を浮かべた男目掛けて、里長の脇に立っていた男が足元にあった壷を蹴り上げた。
元々油が入っていた壷は、中身を出して綺麗に洗って、乾燥前のティローの糞を入れておいた。
ただの嫌がらせである。
「回答は、「お前ら全員ブチのめす」だ! 皆、かかれ!」
男の部下の服を着て変装していたヒーアスの号令と共に、ティローの小屋や家の中に隠れていた男達が飛び出し、盗賊のボスとその部下目掛けて走り出す。
台座の裏に隠れていたキッシュ達も遅れまいと飛び出した。
これだけ人数がいれば、多少の力量差は問題にはならない。
あちらの頭もまた、
すでに捕まっていた連中共々ぐるぐる巻きにされ、ポメロにある警備団に引き渡す事になった。
「残党はいないだろうな」
穴の外であたりの様子を窺いながらアレストが呟く。
キッシュは隣できょろきょろと視線を動かしているスティラを見た。
「スティラ、どうだ?」
「んー、大丈夫だと、思う。見張りは一応立てた方がいいかもだけど」
「そうか。アレスト戻ろう」
「あ、ああ」
あっさり踵を返した二人に、アレストは戸惑いながらもついてくる。
「スティラ、目がいいのか? 残党がいるかいないかわかるなんて」
「まぁ……似たようなもんか、な」
言葉を濁したキッシュに、アレストは首を傾げたが、納得してくれたのかそれ以上は聞いてはこなかった。
下まで降りると、困惑する里の男達と、焦れた様子のヒーアスがいた。
「どうだ?」
「だめだ。何も言わねぇ」
アレストの問いにヒーアスは首を横に振る。
――彼らは最初、商人に扮装していたのだという。
山渡しであるティロー使いを捕らえた彼らは、里まで案内をさせて、ティローの運用権利をよこせと言ってきた。
ティローはティロー使いしか扱えない。
だから彼らを「雇う」形で、その上前をはねようとしたのだ。
大陸のほとんどを縦断している山脈は険しく、ティローがいなければ越えられない。
北にある多少なだらかな部分はルギド=オルグがいるために使えず、迂回路は山賊や追いはぎの危険に常に晒されているため、ティローは最も安全な山越えの方法として重宝され、その気になればそこには莫大な利益が生まれる。
当然カヤシの里の者達はそれを許さなかった。
彼らにとってティローは家族であり、山渡しは生活の手段であり商売ではない。
要求を呑む事はできないと答えた里長に対し、彼らは要求を呑めないのであれば、ティローを全て焼き殺すと告げ、半月の猶予を与え人質のティロー使いと共に見張りを残していってしまった。
――というのが事の顛末である。
盗賊にしては頭を使っている。
何より頭の男は盗賊にはとても見えない。
何か裏があるのではないかと勘繰ってみるが、それを裏付けるように男は何一つ話さず、
力づくで吐き出させるのは女子供のいる手前したくないと、結局何も分からないまま男達を連れて下山する事になった。
詳しい取調べはポメロの警備団に任せるか、手に負えないようならシャシャの方でやってくれるだろう。
大きな港町にはそれなりの組織ができている。
「俺も行くってのに」
「アホか。お前はここに何しにきたんだ? 里帰りだよな? 親孝行してから戻ってこいっての」
「う」
「僕、おじいちゃんとおばあちゃんに会いたいよ」
「……そうだな。悪い、任せた」
シャルロに言われてしまえばヒーアスも黙るしかない。
男達を引き渡したらまたカヤシに戻ってくる事にして、キッシュ達はアレストと山を降りた。
ルニもしばらく里に残るらしいから、行きの半分の人数になった事になる。
もっとも、盗賊連中とそれらを運ぶティロー使いがいるから、実際は随分と大所帯になっているのだが。
「二人の式見たかったなー。ルニちゃん、かわいい花嫁さんになりそうだし」
ティローに揺られながらスティラがぼやく。
行きとは違って帰りは自分の足で歩かなくていいからかなり楽だ。
「まぁ、すぐ式ってわけじゃないらしいし、もしかしたら見れるかもしれないぞ」
「だといいなー」
「てかお前ら、リロって山の反対側なんだろ? よかったのか、一緒にきて」
「ここまで関わっておいて最後だけ付き合わないとかないっての」
アレストに問われてキッシュは苦笑した。
最後まで見届けずに終わるのはあまりにも気持ちが悪い。
キッシュは縛られたままティローに乗せられている男を見る。
「…………」
正直近寄るだけで吐き気がするし、気乗りもしない。
今までこういう使い方もしたことがないからうまくいくかも半信半疑だ。
しかしこのまま男を引き渡して、はいおしまいで済むとは思えないのだ。
「……やるか」
額布がずれる勢いで髪を乱して呟いた。
ポメロに着いて警備団を男達が呼びに行っている間に、キッシュは男の隣に立つと、無言を貫いたまま頭の男は視線だけを寄越す。
それと視線を合わせて、キッシュはゆっくりと口を開いた。
「あの作戦、ほんとにあんただけで考えたのか?」
「…………」
男はだんまりを決め込んだまま嘲るように小さく笑った。
だが、キッシュにとってこの場合、口から出る言葉はあまり関係ない。
「他に考えた奴がいるのか。仲間か、それとも――他の誰かか」
「…………」
「何の関係もないやつじゃない、よな。依頼したのか……違う、されたんだな」
「…………」
返答がないままに続けていく
キッシュの言葉に、ぴくりと男の眉が動いた。
ようやく表に出た反応に、しかしキッシュにとってはそれまでと大した差はない。
随分と荒れてきた感情は明らかな敵意を向けてくるが、深く息を吐いてやりすごす。
「相手の名前や顔は知らないのか?」
「……お前、何を知っている」
「全部あんた自身が喋ったことだ」
ただし、喋ったのは口ではなく、感情だが。
「他に、仲間はいるか。またあの村を襲うような」
「……そりゃあ、な」
「そうか。いないんだな」
口元を吊り上げた男の言葉を切って捨てれば明らかに男の顔色が変わった。
あとは聞いておくことはなかったよな、とそろそろ敵意に当てられて気持ち悪くなってきたので、向こうから警備団の男達が戻ってくるのを確認して男から離れる。
背中に
男からの視線を感じたが、無視してスティラの隣に戻れば咎めるように軽く腕を突かれた。
「無理すんなばーか」
「うっせ」
「大丈夫かよ」
「しばらくすりゃ治る」
人の心を覗ける人間なんて、気持ちのいいものじゃないと実感するのは明確な負の感情を向けられた時だ。
渡された水筒を傾けて、遠ざかっていく男を遠目に見る。
「とりあえず探った感じ、カヤシは大丈夫そうかなー」
「さすが嘘発見器」
「便利だろ」
茶化しに得意気に返してやったら、今度は頭を小突かれた。解せぬ。
とにかくこれでひと段落できるだろう。
あとは大丈夫だということを、どうやってカヤシの人達に伝えるかだ。
あまり能力については言いたくないので、いい言い回しはないかと考えていれば、アレストがそっとキッシュに近づいてきた。
「キッシュ、さっきの男と何を話してたんだ?」
小声のつもりだったが、聞こえていたのかとキッシュは眉を寄せる。
それを見てアレストは苦笑しながら肩を竦めた。
「俺の耳はよくってな。つい聞いちまった。……別に、無理に聞き出そうってわけじゃないんだが」
「…………」
短い付き合いではあるが、アレストの事は好きだし、カヤシに戻って別れるまで、いい旅の連れという関係でいたい。
そのためにも隠し事はあまりしたくないが、能力については話したくないのが本音だ。能力についての知識がない別大陸の人間なら尚更だ。
迷う素振りのキッシュに、言いたくないならいいんだとアレストはあっさりと下がってくれる。
漂う感情は決して悪いものではなくて、キッシュは息を一つ吐く。
「……あとで、いいか」
カヤシの人達に信用してもらうためにもヒーアス達にもこの際だから話しておこうと腹を決めて、アレストの目を見上げた。
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