「…………」
地面に伏せた格好でこそりと目元までを出し、大穴の中の様子を窺う。
大穴の壁に沿うように螺旋状の道が下まで続いている。道の幅は人間が三人並んで通れるかどうかといったところだ。
途中にいくつもかけられている布や板は家の入り口なのだと、ヒーアスから説明があった。
道のところどころに武器を持って立っている男が十人ほど見える。
どれも小綺麗な格好はしているが、その風体からこの里の者ではないとすぐに分かった。
ティロー使いはいつも彼ら独特の民族衣装を着ているのだ。
それに、まだ日が出ているのに、女性や子供が一人も見当たらない。
大穴の中で見えるのはヨソ者の男が十人だけ。見るからに異常事態だ。
状況を確認した四人が這うように岩陰まで戻ると、不安そうな顔で待っていたシャルロとルニが結果を尋ねるように視線を向けてきた。
「あれは見張りだな」
「しかし……あれはなんだ? 山賊か? それにしては普通の格好してたけど」
「変装して乗り込んだんじゃないか?」
「詳しいことがわからないと動きようがないな……」
「里の中の様子をどうにかして知れないか」
全員の視線がヒーアスに向いた。
「ヒーアス、他に里の様子を見られるようなところはねぇのか?」
「……あるにはある、が」
「うん?」
「そっちだと広場の裏まで行けるんだが……」
「そんな便利なもんがあるなら最初からそっち使わせろよ!」
アレストが突っ込んだが、ヒーアスは「だけど」と渋い顔のまま続けた。
「小さい穴だから、大人は通れないんだ」
なるほど、それでそっちに行かなかったのか。
しかし、そうなると行ける人間は限られてくる。
ヒーアスはしばらく視線を下げてから、自分の息子に視線を向けた。
「……シャルロ、行けるか?」
名指しで言われたシャルロは、一瞬きょとんとしてから力強く頷く。
「行く!」
「じゃあシャルロと……スティラ、お前、一緒に行ってくれねぇか」
「俺?」
「スティラならたぶん行ける……と思う」
「…………」
「よかったなスティラ、ひょろいのが役に立って」
「あはははは嬉しいなぁ!」
悔し紛れにスティラはキッシュの腕を思い切り叩く。
防具に当たって悶絶していた。自分で自分にダメージを与えてどうするのか。
ヒーアスがシャルロとスティラを連れてさっきの抜け道に戻っていく。
キッシュはアレストとルニと一緒にここで待機だ。
時折男達が気配を察して昇ってこないか様子を窺うくらいは特にする事もない。
「……大丈夫でしょうか」
「大丈夫さ。様子を見に行くだけなんだからさ」
心配そうに呟いたルニを、アレストが元気づける。
「キッシュとスティラは同じ村なのか?」
少しでもルニの不安を取り除こうと思ったのか、アレストがキッシュに話を振ってきた。
キッシュは頷く。
「ああ、幼馴染だ。あと一人いるんだが、そっちは今里帰り中」
「里帰りっていうと……もしかして、ペソの人ですか?」
「ああ」
察したルニに、アレストが首を傾げる。
「ペソってなんだ?」
「アレストさん、ご存知ないんですか?」
「アレストは北大陸からきたんだってさ」
「そうなんですか!? 普通に話してるから、てっきりこっちの人だと思ってました……」
ルニは目を見張って、そこで慌てて口元を押さえた。
大きな声を出してしまったと慌てているが、穴から大岩までは多少距離があるし、今はこちらが風下だ。気付かれる心配は少ない。
しばらくきょろきょろしてから、ルニはほうと息を吐いて、アレストに説明を始めた。
「ペソっていうのは、ルギド=ペソという種族の名前です。見かけは人とほとんど変わらなくて、ところどころ毛があるくらいでしょうか」
「人より身体能力はかなり高いけどな。で、年に一度、ペソは自分達の村に大々的に里帰りする習慣があるんだ。それがこの時期ってわけ」
「へぇ……こっちにもいるんだなぁ、そういうの」
「北大陸にもいるのか?」
「ああ、色々いるぞ。コボルトっていうイヌっぽいのに、ウーソっていう熊に近い姿をした種族もいる。南の方にはネコの姿をしたネコボルトとか、ビーバー族もいるぜ」
指折り数えるアレストに、ルニが目を輝かせる。
キッシュも想像してみるが、イヌやネコが立って歩いているのはなんだか不思議な感じがした。
実際に見てみれば印象も変わるかもしれないが。
「色々いるんですね」
「この大陸には他にどんなのがいるんだ?」
「南の砂漠の方にフェネッカっていう狐に似た感じの種族がいるな。砂漠の奥の方に住んでて、滅多に見ないから、見かけたら幸運が訪れるとか言われてる」
「へぇ、面白いな」
「あとは……この山脈の北の方にエルフと、ルギド=オルグがいます」
「お、エルフは北にもいるぞ! ……ルギドっていうと、ペソもルギドって言ってたな。似た種族なのか?」
「同じ種族だ。ただ、持ってる思想が違う。人間と共存する道を選んだのがペソ、人間と隔絶された道を選んだのがオルグと呼ばれている」
「ペソは特殊な球の力で人間と同じ姿をとっていて、私達と同じように暮らします。オルグは獣のままの姿で、山脈の深くに住んでいるんです。人間を嫌い、その姿を見せることもありません」
「同じ種族でも全然違うんだなぁ……」
アレストはしきりに頷いている。
「エルフもそうなのか?」
「それは……どうなんでしょう。エルフの住んでいる森には結界があって、人間は中に入れないので」
「好き嫌い以前に交流がないから、まったくわからん」
「はぁ……」
ある種棲み分けができてんのかね、とアレストは一人で納得しているようだった。
それからしばらく、アレストから北大陸や南の異種族の話を聞いている内に、ヒーアス達が戻ってきた。
「楽しそうだな、なんの話してたんだ?」
「今はネコボルトの話をしてたな」
「どうだった? スティラ、ちゃんと穴通れたか?」
「通れたよ……不本意だけどな……」
「さ、状況を説明してくれ」
ぽん、と膝を軽く打ってアレストが言った。
シャルロとスティラが広場の穴から外に出ると、それは広場にある大きな石の台座の裏側だったらしい。
その台座に男が一人座っていて、その正面に上へあがる道の入り口があった。
「あれを登るのは無理そうだな……」
「けど、このまま誰にも話を聞けないのも困るな……」
しばらく二人がそこに身を潜めていると、別の男が手に瓶を持ってやってきた。
「よう、交代だ」
「やれやれだ。ここの見張りだと煙草も吸えねぇ」
「我慢しろよ。万が一にも壷の中身に引火したらお前もお陀仏だぜ」
「それは御免だな」
男が立ち上がり、やってきた男が代わりに台座に腰を下ろした。
「ボスはいつ頃くるのかね」
「月が出る頃にはって言ってたな」
「しかしボスもえげつねぇよな。使えねぇなら全部燃やしちまうってんだから」
「自分の物にならないなら消しちまえってのがあの人のやり口だからな」
「怖ぇ怖ぇ」
けらけらと二人で笑い合い、男は去っていった。
残った方は腕を組んで、そこから動こうとはしない。
このままいてもただいたずらに時間が過ぎるだけだと判断して、スティラとシャルロは戻る事にした。
「……油か」
「油?」
「煙草が吸えないって言ってたんだろ? 一番下にティローが集まっている。そこに油をまいて火をつけたら……どうなる?」
「「…………」」
全員が同じ光景を想像して、口を閉ざした。
「……月が出る頃に、あいつらのボスはくるんだな。なら、それまでに今いる分は叩いてしまった方がいい」
「できるのか、そんなこと」
「やるしかねぇだろ」
「助けを呼びに行く時間はないな」
今から抜け道を使ってポメロまで助けを呼びに行ったのでは間に合わないし、このメンバーでなんとかするしかない。
今夜を越えれば、どちらに転んでもカヤシの里の未来は明るくない。
「見張りは見えるだけで十人弱。交代要員を含めて、倍の三十と仮定する」
「三十……そんなに」
ルニが青い顔で呟く。
当然彼女は頭数には数えないので、一人で六人を相手にする事になる。
「隙を突けばなんとかなるか?」
「たぶん抵抗したらティローを殺すと言って大人しくさせてるんだろう。ティローを自由にすれば、里の連中も戦える」
「じゃあ、ティローを解放するのが最重要ポイントだな」
いっちょやるか、とアレストが声をあげ、全員が頷いた。
***
もうすぐ夕日が山向こうに沈もうとしている。
スティラとシャルロはすでに抜け道を通って、広場まで降りている。
ルニもそちらについていった。一人で大岩の所に残しておくより、抜け穴の中にいた方が安全だ。
穴の中にいれば、万一存在に気付かれても危害を加えられる事はない。
キッシュは、ヒーアスとアレストと共に見張りを倒しながら駆け下りる役目だ。
「こんなので大丈夫なのか……」
ぽつりと零すと、ヒーアスが苦笑気味に振り向いた。
「いい作戦は他にいくつもあるんだろうけどな、俺達の頭じゃこれが限界だ」
「やるしかないさ」
後ろをついてこればいい、と言われ、キッシュは不本意ながらも頷いた。
不本意ではあるが、二人の方がキッシュより遥かに腕が立つ。
「いくぞ」
ヒーアスがその場で目を閉じ、口の中で何事か呟く。
北大陸では紋章をその身に宿して力を使うという。
西では紋章は道具に宿すものだから、さっきその使い方を聞いた時は驚いた。
言葉が途切れ、ヒーアスが高々と手を振り上げた。
その手の甲が夕日とは別の色の光に輝いている。
「暗き雲の内より出るる 理解を拒み刹那を刻み
神の逆鱗の如く降り注ぐ 万物を貫き焼ききる雷よ
我にその苛烈な心を 我にその破砕の手段を
我は命じる 全ての紋章を従えし真なるものへ
今その力を与えよ
――激怒の一撃!」
ガン、と轟音が当たりに響いた。
大岩に雷が落ち、真っ二つに割れている。ぶすぶすとその根元の方が黒く焦げて煙をあげている。
すさまじい音は里まで届いただろう。
すぐに数人の男が物音を確かめにやってきた。
男達はキッシュ達を見つけると、ぐっとその表情を引き締める。
「おい、お前らは――」
「遥かなる陸の彼方より吹く 空を駆け巡り天を知り
草花の一枚すらを慈しむ 岩を砕き激しく舞う風よ
今その力を与えよ ――眠りの風!」
最後まで言い切る前に、ヒーアスの紋章が再び輝き、男達はばたばたとその場に崩れ落ちた。
「いやー……出かけにつけといてよかったわ、風」
「俺はそれより嫁さんと同じ紋章を宿してるお前に引くぞ……あんだけ落とされておいてまぁ」
「出かけに渡されたんだよっ」
「……すげぇ」
キッシュも風属性だが、こんな風に相手を眠らせる技は知らない。
「キッシュ! 行くぞ!!」
「お、おう!」
地面に突っ伏して寝ている男達の脇をすり抜けて、キッシュ達は道を駆け下りる。
さすがに轟音に驚いたのか、里の者も幾人か外に出ていた。
「おい、上で寝こけてる奴ら縛っといてくれ」
「……お前、ヒーアスか!?」
顔を出していた同年代くらいの男性がヒーアスを見て叫んだ。
それに手をあげるだけで応えて、ヒーアスは一気に下へと駆けていく。
「ティローが! あいつら油持ってやがるんだ!!」
「わかってる!」
怒鳴る男に怒鳴り返して、ヒーアスは下へと急ぐ。
ヒーアスとアレストの後を追いながら、キッシュはちらりと視線を下にやる。
そこではスティラが見張りの男を昏倒させ、油の壷を回収しているところだった。
合図と同時に下では二人が見張りを倒して油を回収する算段だったのだが、どうやらうまくいったようだ。
シャルロが今頃ティローの小屋の鍵を壊して回っているはずだ。
ヒーアスが大きく手を振って何かの合図をした。
同時に下の方で地鳴りのような音がし始めた。
広場に沢山のティローが出てきて、どたどたと走り始める。
その何頭かは道を逆流し始めてもいる。
先ほどのヒーアスの雷で、ティローもかなり興奮していたらしい。
男達がティローを止めようと武器を出しているが、ティローは彼らを飛び越え、そして後ろ足で思い切り蹴り付けた。
男は飛ぶように道から落ち、ティローの群れの中に落ちていく。
「……そりゃ、あの山越えるなら、足腰強いよな」
「骨の二三本は軽くいくぞ」
さらりと言ったヒーアスに、ティローを放した時点で勝敗は決したのかもしれないとキッシュは思った。
***
ヒーアスほんとお前なんで宿してるんだと全員に突っ込まれる覚悟はしている。
雷にしたのはこの作戦で必要だったからで他意はない。
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