間に三度の野宿を挟んで、一行は山脈の麓にある町、ポメロに到着した。
普段はティローを使って山脈を越えてきた商人や旅人で賑わっているだろう町のメインストリートは、今は寂しげな空気を漂わせている。
町で一番大きな宿屋の中には、ティローが使えるようになるのを待っているらしき商人が数人いた。
アレストによれば、彼がここを出る前はもっといたらしい。
いつ再開するか分からない移動手段を待つよりも、時間はかかるが確実な迂回ルートに皆切り替えたのだろう。
三階の一室をヒーアス達は拠点として借りているらしかった。
宿屋の主人に一声かけ、階段をあがると奥から二番目の部屋の前でヒーアスが立ち止まりドアをノックする。
「シャルロー」
「あっ、おかえりなさいお父さん! アレストさんは見つかった?」
「おう。港町で油売ってやがった」
ベッドに腰掛けて何かの本を読んでいた濃赤色の髪の少年が、ヒーアスを見て嬉しそうに顔をほころばせ立ち上がった。
年齢は十を少し過ぎた頃か、まだ身長もキッシュ達の肩までくらいだ。
少年は最後に部屋に入ってきたキッシュとスティラに気付くと、不思議そうに首を傾げる。
「お父さん、こっちのお兄ちゃん達は?」
「シャシャで知り合った。一緒にカヤシまで行ってくれるそうだ」
「僕、シャルロっていいます!」
ぱっと明るい笑みを浮かべて二人に向けてお辞儀をした少年は、非常に礼儀正しかった。
頭の後ろでちょろっと縛っている髪がぴょんと跳ねる。
「俺はスティラ、よろしくー」
「キッシュだ。……シャルロって今いくつだ?」
「十一です」
「「十一!」」
二人して声をそろえた。
ここで驚かずにいられるか。
「嘘だろ……ビスコやフィンより年下なのに」
「北大陸の子供ってこんなに礼儀正しいのか……!?」
「あいつらに爪の垢を煎じて飲ませたい……」
リロにいる自分達より年少の子供達のことを思い出して、二人は深々と溜息を吐いた。
「え、ええと?」
「ああいやごめん、こっちの話だ」
「いやあ、ほんっとシャルロは礼儀正しいよなぁ。両親にちっとも似てねぇ」
「似てなくて悪かったな」
アレストが笑って、ヒーアスは憮然とした表情で、首を傾げているシャルロの頭をぐしぐしと撫で回した。
シャルロはヒーアスがアレストを連れ戻してくる間に、薬草などをちゃんと準備してくれていた。
どこまでもできる子である。
宿屋にシャルロを残していくという案も出たが、そこはシャルロが頑として譲らなかったので、彼も連れて行く事となった。
山道は足元が悪いからと底のしっかりした靴を履き、いざ出発と、村のすぐそばにある乗合所へ行くと、ぽつりと一人、乗合所で待つ人用に置かれた椅子に座っている少女がいた。
最初はティロー使いかと思ったが、ヒーアス曰く、山渡しは男性の仕事だから違うらしい。
「あの子、昨日もその前もあそこに座ってたよ」
「誰か待ってるのか?」
「ここで待つっていったらティロー以外ないだろうけどな……」
事情も分からない以上ここは無闇に話しかけない方がいいという結論になり、軽く会釈だけして横を通ろうとすると、少女がキッシュ達を見あげて小さな声で言った。
近くで見ると表情は暗く、顔色も悪い。
「……ティローは今、使えませんよ?」
「ああ、知ってる。様子を見にこれから里まで行くんだ」
「……行けるんですか?」
アレストの言葉に少女の目の色が変わった。
失言だったか、とアレストが慌てて口を噤むが遅い。
「あのっ、私も一緒に連れていってください! お願いします!!」
アレストにすがりつくように腕を両手で掴んで少女が叫んだ。
その感情は、焦りと心配に近い恐れ。
「あんた、村に知り合いがいるのか?」
「……婚約者が、いるんです……迎えにきてくれるって、言ったのに……っ」
ヒーアスの問いに少女はその場に崩れ落ちるように座り込み、泣き出した。
ルニという少女の住居はポメロにあるが、ティロー使いの少年と恋仲になり、十五になったら嫁として迎えてもらえる事になっていた。
それが、約束の日になっても迎えにくるどころか何の連絡すらない。
里に連絡を取ろうにも、山渡しのティロー使いが麓にやって来ないので連絡の取りようもない。
「一週間ずっと待ってるけど、誰もこなくて……ディンに何かあったのかって……っ」
一度止まった涙が再び溢れてくる。
薄い色のエプロンドレスが水滴の形に濃く染まっていく。
俯き肩を奮わせる少女に同情したのか、シャルロがヒーアスの袖を引いて言う。
「お父さん、一緒に連れてってあげたらだめ?」
「…………」
ヒーアスは難しい表情のまま黙り込み、アレストも困ったように頭をかいている。
「ね、キッシュさんとスティラさんはどう思う?」
YesともNoとも言わない大人二人に、助け舟を求めるようにシャルロがキッシュ達に話を振った。
スティラは困ったように首を傾けて答える。
「うーん……かわいそうだとは思うけどね。俺達は意見言える立場にはないかなー」
その言葉の意味を悟ってか、シャルロも口を閉ざした。
キッシュとしてもここで安易に「じゃあ連れて行こう」とは言えない。
なにせキッシュもスティラも山道には慣れていないし、モンスターが出た時もせいぜいが自分の身を守れるくらいだ。
まだ十一歳のシャルロがとんでもない手練であるわけもなく、ここでルニを連れていった場合、実質的にヒーアスとアレストの負担が増える事になる。
ここではアレストとヒーアスの判断に任せるしかないと思う、が。
「……おいてったら、勝手についてくるんだろうな」
伝わってくる彼女の決意はそれだけ固い。
もしここで置いていっても、自分達が登った跡を辿って彼女は山を登るだろう。
そこでモンスターに襲われたりしたら、後味があまりにも悪い。
しばらく沈黙が続いた後、ヒーアスが口を開いた。
「……ルニ、回復系の技は使えるか?」
「あ、はい! 治癒は得意です!!」
「キッシュとスティラも使えないよな」
「俺は無理」
「俺も苦手だ」
本当は苦手というほどできなくはないが、ここはこう答えるのが正解だろう。
「なるほど、回復要員か……。薬草はあるけど、あるとありがたくはあるな」
話の流れでOKの返事だと気付いたのだろう。ぱっとルニの表情が明るくなる。
「あ、ありがとうございますっ!!」
目尻に涙を浮かべながら、ルニは深々と腰を折った。
「じゃあ、まずはその格好なんとかしてもらうか。山道をスカートじゃきついぞ」
「大丈夫です」
にこりと笑って、ルニはいきなり背中の紐をほどくと、エプロンドレスを脱ぎ下ろした。
「「!?!?」」
「誰かが登る時にすぐについていけるようにと思って」
笑うルニは、下にきっちりズボンをはいていた。ちなみに靴もしっかり厚手のブーツだ。
「これなら大丈夫ですよね!」
「これは肝据わってるぞ……」
「よろしくお願いします」
乾いた笑いを零すアレストに、
にっこりとルニが笑った。
六人は、えっちらおっちらと山道を登っていく。
「途中までは人間でもなんとか登れるからな。本格的な崖道になる前に横に逸れるぞ」
「まぁ、確かになんとかならんこともないが……」
岩肌はごつごつとしていて歩きにくい。
ところどころ苔が生えているところは、雨が降ったらよく滑りそうだ。
雨上がりでなくてよかったと胸を撫で下ろしていると、徐々に傾斜がきつくなってきた。
ところどころにある段差もきつい。
「ここから脇にそれるぞ」
ヒーアスがそう言ったのは、いくつかめの分岐点だった。
そこまでは分岐に立つ木の札通りに進んでいたが、ここで脇に逸れて秘密の抜け道へ行くらしい。
ヒーアスに続いて黙々と歩き続けるが、全員の息もだいぶあがってきた。
中でも、身長から考えて、この中で一番背の小さなシャルロは段差を越えたりするのはかなりしんどいだろうに、ここまで弱音ひとつ吐かずについてきている。
自分でついていくと言い張った手前、強がっているのかもしれない。
自分の腰ほどまである段差の前で、肩で息をしていて止まっているシャルロにキッシュは手を差し出す。
「シャルロ、大丈夫か?」
「……だ、いじょうぶ……」
額に浮いた汗を袖で拭ってシャルロは手を拒絶する。
それからはっとした顔になって、「ごめんなさい」と小声で呟いた。
「無理はすんなよ」
「……でも、自分でついてくって言ったから、皆の足手まといにはなりたくないし」
「こんなの、足手まといになる内に入んねぇよ。身長が違えば足の長さが違うし、体格が違えば体力だって全然違うんだから。アレストなんか、全然堪えた様子もねぇしな」
ちらりと視線で促せば、平然とした顔でルニを引き上げているアレストを見て、シャルロは表情を和らげた。
「まだ先は長そうだし、俺がまだ手を貸せる内は貸されとけ」
「……うん」
小さく笑ったシャルロの手を取って、キッシュは上に引っ張りあげてやった。
「キッシュー俺もー」
「お前は自分で登れ」
「酷っ!!」
「お前俺より年上だろうが」
「二つしか違わねぇぇぇぇぇ!!」
「……スティラのが年上だったのか」
「しかも二つ」
「そこのお二人。その視線はなんですかねぇ」
うわぁ、といった表情で振り向いたアレストとヒーアスに、スティラがじと目になりながら岩場をよじ登る。
足元がだんだんと「岩の転がる道」から「岩」になってきた頃、行き止まりのように、高い岸壁が現れた。
ところどころに申し訳程度にでっぱりがあるだけで、登るのならばほとんどロッククライミングの域だ。
「…………」
「うわー」
「すごい……」
「まさかここを登れってか?」
「違う違う」
苦笑してヒーアスは崖の隙間に入っていく。
すると、大きな石に隠れるように、小さな洞窟の入り口があった。
「こっから山の中を通っていくんだ」
「こんなところにあったんですね……」
「ちなみにすっげぇ入り組んでるから、ふらふら入ると中で迷うから離れるなよ」
「お父さん、道覚えてるの?」
「……たぶん」
「たぶんって……」
「怖ぇよ!!」
「大丈夫だ、カヤシ生まれの子供は体に道を叩き込まれてるからな。忘れてない……たぶん」
「たぶんをつけないでくれるかな……」
非常に不安になってきた。
不安を抱きながら洞窟の中へと入ると、中は薄暗く、天井も低い。
そろそろと進むと、後ろから鈍い音と呻き声が聞こえた。
「あでっ」
「アレスト、たぶんお前はかがまないときついぞ」
「入る前に言え!!」
とはいえ狭かったのは最初数メートルだけで、やがて人が二人並んで歩いても余裕があるだけの幅と高さになった。
先頭をヒーアスが灯りを持って歩き、その隣にシャルロが立つ。
スティラとルニが真ん中で、キッシュとアレストが殿だ。
「そんなにじめじめしてないんだ……」
「岩山だからな」
「スティラ、遅れんなよ」
「わかってるけどさー……足場悪いって」
「ルニにまで遅れとったらさすがにまずいぞ男として」
「ガンバリマス」
「ふふっ。私は嫁入のために、随分山登りの練習しましたから」
なるほど、その足取りはしっかりしている。
洞窟自体がそれほど大きくないからか、はたまた岩山で食料が乏しいからか、出てくるモンスターは小柄で、苦戦する事もなくさくさく倒して進んでいく。
これならあまり心配をする必要もなかったかもしれない。
「ヒーアス、ティローが全然使えないなんてこと、しょっちゅうあるのか?」
「う〜ん……俺もカヤシ生まれっていっても、里には二十年もいなかったからなぁ……」
「ヒーアス、いつ北大陸に渡ったんだ?」
「あー……十五くらい?」
「十五!?」
「その頃、北と西の行き来なんてあったのか」
「皆無じゃなかったな。けど、今みたいにちゃんと航路があったわけじゃないから、結構大変だったぞ」
「なんでまたそんな無茶な航海したんだ?」
「……なんでだったかな」
「忘れたんか!」
「忘れた」
ずっこけたアレストに悪びれずに言ったヒーアスは嘘を吐いているようではなかった。
……本当に忘れたのであれば、すごい大物だ。
「けど、そうすると何があったんでしょうね……流行病とか……?」
ルニの言葉に、ありえるな、とヒーアスが頷いた。
「ある日いきなり謎の病が発生、とかな」
「あったらどうすんだ? ケインでも連れてくるか」
「北大陸から呼べるかっての」
バカ言ってんじゃねぇよ、とヒーアスが溜息を吐いた。
「ケイン?」
「ああ、俺達の知り合いで、医者なんだ」
「……ところでさっきから適当に歩いてるように見えるけど、大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫大丈夫。やっぱり体で覚えてるもんなんだなー」
からからと笑ったヒーアスは、やや傾斜のきつくなった先を示して言う。
「そこを越えたらすぐ出口だ」
傾斜の最後の部分はほぼ垂直になっていて、岩が削られているところに手足を引っ掛けて梯子のように昇るようになっていた。
もっと短かったが似たような箇所はここまでも何回かあったので、怖がるようなものではない。
外に出ると、空には薄い雲がかかっていた。
しかし中よりはずっと明るく、キッシュは暗闇に慣れた目を細める。
隣ではスティラが腕を天に突き上げて伸びをしていた。
「うあー、久々の外だー!」
「空気が薄いな」
「半分くらいは登ったからな」
「お父さん、里まであとどれくらいなの?」
「もうすぐにつく。あそこの大岩の後ろに集落があるんだ」
「そんな風には見えないけどな」
「カヤシの里は大穴の中にあるからな。だからぱっと見、何もないように見えるんだ」
「へぇ、そんな風になってたのか」
「穴の中に家があるんですか?」
「ええとだな……石壁に沿う形で、ぐるっと螺旋状に家が並んでるんだ。一番下は広場と、ティローの小屋になってる」
「へぇ」
「下の方の家の人は、上にあがるの大変そうだなぁ……」
想像しながらキッシュ達は里へと向かう。
大岩を通り過ぎたところで、不意にアレストが鋭い声を発した。
「止まれ」
「どうしたんだ?」
「……里の様子がおかしい」
「…………」
ヒーアスも気付いたのか、険しい表情で里のある大穴の中を睨んでいる。
「岩陰に隠れろ。早く」
低く押し殺した声で言われ、キッシュ達は大岩の陰へと隠れた。
アレストとヒーアスもすぐに岩影へと身を潜める。
すると、近くから声が聞こえてきた。
「なんだよ、誰もいねぇじゃねぇか」
「っかしいなぁ……人影が見えたと思ったんだが」
「ヨソ者がティローなしでここまでこれるわけねーだろ」
「それもそうだよな。見間違いか……」
「疲れてんだろ。こんな面白味のねぇ高山に何日もいるんだ」
「まったくだ。早く下界に戻りたいね」
「今日までの辛抱だろ。俺らのボスの切った期限は今夜だ」
「呑むかね、あの連中」
「呑まなきゃティローは全滅だ」
下卑た笑い声がだんだん遠ざかっていく。
岩陰で、キッシュ達は固まっていた。
疑念、困惑、戸惑いといった感情がキッシュの周りに渦巻く。
キッシュ自身も混乱していた。
今の会話は、なんだ?
これではまるで――
「穏やかじゃないな……」
「どうにも、平和な里帰りは無理そうだな……」
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もちろんトラブルがついてきます。
そろそろアレストとヒーアスは自分の置かれた状況に気付いた方がいい。
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