おおよそ半月に渡る、長いような短いような旅が終わった。
天候に恵まれたおかげで、徒歩での旅にしてみれば随分と早い到着だ。
「すっげー!」
港にある桟橋に立って、スティラがきらきらと目を輝かせて叫ぶ。
キッシュも少しさがったところから、眼前に広がる青に言葉を失っていた。
話には聞いていたが、生まれて初めて見る「果てのない湖」は、どこまでも広く雄大だった。
シュトレやワーズの話から想像してはいたものの、やはり本物は想像が及びつかないほどにスケールがでかかった。
空と似て異なるどこまでも広がる深い青。
少し生臭い独特のにおいが鼻につくが、じきに慣れてしまえば気にならなくなる。
「キッシュ、すっげぇな!」
「ああ……」
「もしかしてキッシュ、感動してる?」
「黙れ。突き落とすぞ」
「別に照れなくてもいいと思うなー」
言いながら、桟橋ぎりぎりに立っていた足を少し後ろにさげるスティラだった。
「泳いでみてーな」
「残念だけど、シャシャに砂浜はないよ」
はしゃぐ二人を後ろで見守ってくれていたシュトレが肩を竦める。
砂浜は、ここから更に沿岸を進んだところにある、もうひとつの港町、ニモモにあるらしい。
「それに、こっちは貿易のための船や漁業船が多く入ってくるからね。安全のためにも泳ぐのはおすすめしないな」
「貿易……北大陸から船が来るんですよね?」
「ああ、あそこに停泊しているのが北大陸からの貿易船だよ」
ワーズが指差したのは、キッシュ達が立っているような木製のものではなく、石でしっかりと組まれた桟橋の方だった。
そこにどでかい船があった。
他の船のどれとも違い、補強のためか船の先端やそこかしこに金属の板が貼られている。
掘り込んである装飾も西大陸のものとは随分と違う。
メインマストの先に描かれているのが、この船の所有者の紋なのだろうか。
「すげぇな……」
ぽつりと声を漏らす。
はるか彼方から、この、先の見えない海を越えてこの船はやってくるのだ。
「こうやって北から貿易船がくるようになったのもここ数年のことだけどね。一度変わりだすと早いものだよ」
ワーズが感慨深そうに言う。
西大陸と北大陸は距離が開きすぎていて、今まで航路が開かれていなかった。
しかし十年ほど前に、北大陸屈指の交易商が、新たなる交易ルートを求めて西大陸へと手を伸ばしたのだという。
「物好きもいるもんだよな」
「ははは、けど、そのおかげでただの漁里だったこの里が一気に活気付いたのだから、ありがたいことだよ」
ワーズの言葉に、そんなもんか、とキッシュは首を傾げた。
「さて、それじゃあ私達はこれで失礼するよ」
「二人はこれからどうするんですか?」
「商品を渡したら、今度はニモモの方にも足を伸ばすつもりなんだよ」
「私は引き続きその護衛だね。このまま一緒に行くかい?」
シュトレの誘いは非常に魅力的だったが、しかしキッシュ達は使いの途中である。
イグラは急がないと言ったが、ティローがまだ使えないのであれば、帰りにも十日かかってしまう。
さすがに薬の残りも心もとなくなってきそうだ。
肩を竦めて首を横に振ったキッシュに、シュトレは「だろうね」と苦笑を浮かべた。
「帰りの護衛を探すのも苦労しそうだったから、ぜひシュトレさんにお願いしたかったんだけどなー」
「港町だから、行きほど大変ではないと思うけどね……私が戻ってきた時にまだ二人がここにいたら、喜んで引き受けるよ」
「さすがにそこまで残ってないと思いたいデス」
「最後の手段として考えておきます」
シュトレの軽口が本当にならない事を祈りたい。
ありがとうございました、と二人と別れ、キッシュとスティラは港町の道具屋を最初に目指した。
「よかったね、ちょうどあって」
「ああ」
イグラの薬の原料となる薬草は無事にゲットできた。
やはり嵐で船が足止めを喰らっていて、半月ほど到着が遅れていたらしい。
その上ティローが使えないから内陸へ運ぶ物資が滞ってしまったのだと道具屋から逆に謝られた。
道具屋には、北大陸から入ってきたという珍しい品物が沢山並んでいた。
特に面白いと思ったのは、紋章の力を紙に封じ込めた「紋章札」というものだ。
もちろんいいお値段だったので買えなかったが。
かわりに貝殻をあしらった髪飾りと飾り紐をカロナ達への土産として購入して、二人は店を出る。
これで後は帰るだけだ。
……それが非常に問題なのだが。
ギルドから出て、二人は同時に溜息を吐いた。
「やっぱり護衛はいないのね……」
「でかい隊商が内陸に向かったのに全部ついてったらしいからな」
「タイミング悪すぎだっての」
ティローは相変わらず使えない。
迂回路を二人だけで進むのは以下略。
本気でシュトレが戻ってくるまでここで足止めを喰らいそうで怖い。
とりあえず、明日以降のことは明日考えるとして、二人は港にある宿屋に部屋を取った。
割引になるからと一週間分の料金を支払い部屋に入る。
港町なだけあって、一番ランクの低い部屋でもリロにある自分達の部屋よりもずっと広い。
「あー……でもなんか、やっとここまできたって感じー」
「帰るまでがお使いだ」
「遠足みてー」
ベッドに転がってけらけらとスティラは笑う。
その無防備な腹に荷物を落とすと、カエルの潰れたような音を無視してキッシュはもうひとつのベッドに腰掛けた。
別れ際にワーズからもらった石をポケットから取り出す。
荷物持ちと楽しい話のお礼だよとくれたのは、キッシュとスティラの属性に合わせた風と雷の紋章石だった。
護衛代どころか食事代まで持ってもらって、その上商品のひとつをもらうなんてできないと固辞したが、それほど価値のあるものではないからと押し切られてしまった。
「戻ったらロギじいさんに武器につけてもらおっかな……」
「この大きさなだ柄に埋め込んだら結構いい感じになりそうだ」
「俺、持ち手につけてもらう!」
「お前、その前にもう少し的にちゃんと当たるようにしろよ」
「ぐ」
あれこれと話している内に夜も更けて、腹の音がシンクロしたので下の階に併設された食堂に夕飯を食べに行く事にした。
夕飯時なだけあって、食堂は宿泊客だけでなく沢山の人で溢れていた。
店員の人数も足りてないらしく、カウンターまで自分で料理を取りに行っている者もいる。
「これ、席ないんじゃね?」
「もらうだけもらって部屋で食べるか……」
「ちょっとどいてもらえるか?」
「あ、すみませ……うわ」
「おお……」
声に振り返れば、大柄な男性が両手に料理の乗った皿を持って立っていた。
熊みたいだ、とスティラが思ったのが分かる。
ちなみにキッシュも同じ事を思った。
見ればキッシュとスティラの前にある席は、男の荷物が席取りのために置いてあった。
椅子のひとつにどっかと座り、男はにっとまだ空いている席を示す。
「席がないんだろ。よかったら一緒にどうだ? 一人飯は侘しくてな」
「……あわよくばおごってもらおうとか思ってねぇ?」
男の表層に浮いた思考を呟いてみると、男は目を瞬かせてから、誤魔化すように笑ってみせた。
「……さすがにこんだけ年下相手には言わないぞ?」
「思ってはいたんだ……」
じと目になるスティラに、たははははと男性は笑う。
まぁ悪い人ではなさそうだと、キッシュは椅子を引いた。
部屋に料理を持って行くのも面倒だし、後で食器を返しにくるのも手間だ。
熊もとい
男はアレストと名乗った。
服装や剣の装飾から変わっているなとは思ったが、なんでも港に停泊していたあの船に乗って、北大陸から来たのだという。
「俺、北大陸から来た人初めて見たー」
「向こうとこっちは言葉が違うって聞いてたけど、普通に話せるんだな」
「いや、連れに行きの船の中で特訓してもらったんだが、なかなか上達しないんで、実践あるのみって船の中で俺だけ西大陸の言葉で喋らされてた」
「うげ」
「おかげでめきめき上達したがな。机での勉強は性に合わん」
「はぁ……すげぇな」
「こっち独特の言い回しとかはまだよくわからねぇけどな」
日常会話はなんとかなる、と酒を飲みながら笑うアレストのグラスを持つ腕は、見かけの年齢に比べてかなりたくましい。
確かに頭脳派というより肉体派だろう。
「アレスト、剣持ってるってことは、戦えるんだよな? 強いか?」
「おう、自分で言うが、それなりには強い」
「キッシュ、もしかして」
「……俺達、内陸にある里に戻りたいんだ。俺達の護衛をしてもらえないか?」
「護衛?」
「色々あって、今、普段使ってる道が使えないんだ。ぐるっと山脈を回ることになるんだが、俺達二人だけだとモンスターや山賊の相手がしきれないから、護衛を探してたんだ」
「なるほどなぁ……俺も内陸には興味あるし、行ってやりたいけど……どれくらいかかる?」
「半月……くらい。馬があればもっと早いけど俺達は持ってない」
「あー……悪い。それなら無理だ」
「えー」
「色々事情があってな」
そう前置いてアレストが説明した内容によれば、今回は知り合いの里帰りに同行してきて西大陸まで来たのだという。
その者の故郷は基本ヨソ者NGなので、先に知り合いだけが向かい、近くの里で戻ってくるのを待っているはずだったのだが。
「……勝手に港町にきてしまったと……」
「ちょっとそこまでのつもりだったんだがな」
「片道二日の距離は「ちょっとそこまで」じゃないと思う……」
バイタリティ溢れるおっさんだ。
呆れる二人にアレストは「よくある事だ」と大口を開けて笑っていた。
アレストはこのまましばらく飲むらしい。
部屋に戻ったキッシュはそれぞれのベッドにひっくり返って天井を仰ぎ見た。
「アレスト、残念だったな……」
「連れがいるなら仕方ないよ」
「あー……明日から護衛探しとか、めんどい」
「地道に探せばすぐに見つかるって。たぶん」
いそいそと寝支度をしながらスティラが合いの手を入れてくる。
ひとつ溜息を吐いて、天井を見上げたままキッシュは呟いた。
「……もうちょい強かったら、こんなめんどいことしなくてもいいんだよな」
「動機が不純だ……けど、確かにそうかもなー。もうちょい俺が強ければ、キッシュも俺気にしながら戦わなくてもいいもんなぁ。そしたら二人でも迂回ルート通れるし」
「いや、お前の場合戦闘力より先に体力をつけねぇと無理だ」
「俺そこまで貧弱い!?」
「貧弱っていうか、モヤシ」
「…………」
撃沈したスティラに、キッシュは欠伸を噛み殺して、寝支度をするために勢いよく体を起こした。
翌朝、日頃の習慣から日の出とほぼ同時に目を覚ました二人が朝食のために下に降りると、アレストが食事を摂っていた。
まだ早朝の食堂内には、アレストの他には一人二人いるだけだ。
アレストはキッシュ達に気付いて片手をあげて挨拶をしてくる。
「早いな」
「普段これくらいの時間に起きてるからな。習慣なんだ」
「アレストこそ早いね」
「早く出ないと間に合わないんだ」
苦笑する彼の足元には、大ぶりの荷物が置いてあった。
どうやらこれから昨日言っていた「連れ」のところに戻るらしい。
その時、早朝の食堂内に怒声が響いた。
「アーレースートー!!」
その声に、アレストがあからさまに顔を顰める。
食堂の入り口に、青っぽい色の髪をした男性が肩を震わせて立っていた。なんだか不思議な耳あてをつけている。
腰に剣を帯びているところと、今アレストを呼んだことから考えて、アレストの言っていた「連れ」というのは彼だろうか。
男性は怒りのオーラが立ち上らせながらキッシュとスティラの横を通り抜け、いきなりアレストの襟元をぎりぎりと締め上げ始めた。
アレストの方が身長が高いし首周りも太いので、それほど堪えているようには見えなかったが。
「アレスト! お前〜〜」
「いやー、〜〜〜つい、〜〜〜」
「……だから〜〜!!」
「悪い、悪かったって」
北の言語で会話をしているからあまり詳しくは聞き取れなかったが、アレストが怒られているのはよく分かった。
キッシュとスティラは顔を見あわせてその場を離れようとしたが、男性がアレストを解放して二人を見たのでそれもできなかった。
「いきなりとんでもないところを見せてすまなかったな」
男性の口から出たのは西大陸の言葉だった。アレストのものにくらべて随分と流暢だ。
「あんたがアレストの連れ?」
「ああ。俺はヒーアスってんだ。アレストの奴、人の里帰りについてきたはいいが、ちょっと里の様子を見にいってる間に勝手に一人でふらふら出歩きやがって……シャルロに聞いた時は開いた口が塞がらなかったってんだ……」
後半は独り言として呟いて、ヒーアスは続けた。
「お前ら、アレストに護衛頼んだんだって?」
「ああ、リロまで行きたくて」
「リロ? 山向こうだな」
「ティローが今使えないから、迂回ルートしか使えなくってさ。行きはなんとかなったんだけど、帰りの護衛が見つからなくって困ってたんだ」
スティラがそう言った途端、ヒーアスの表情が曇った。
「……向こうにもいないのか」
「ん? ああ、ティローのことか?」
「ああ」
「俺達が出発した時はいなかった」
「……やっぱなんかあったのか」
呟く表情は険しい。
その心中に浮かんだ感情に、キッシュは眉を寄せた。
「……あんた、カヤシの関係者か?」
カヤシとは、ティロー使いが住む里の名前だ。
ティロー使いとその近親者しか訪れず、山脈の中腹にあるという以外、正確な場所や行き方もほとんど知られていない隠れ里のようなものだ。
「ん……まあな。久しぶりに里帰りしようと思ったら、麓に誰もいなくてな。気になって里に行こうと思って、道中のモンスター避けにアレストを連れていこうと戻ったらいやがらねぇ。まったく……よく未知の場所でふらふらと歩く気になるよな」
じろりとヒーアスがアレストをねめつけると、アレストは肩を竦めて明後日の方向に視線を逃がした。
「……里への道、わかるんだよな」
「腐っても出身者だからな。秘密の抜け道があるのさ」
「……俺達も連れていってもらえないか?」
「は?」
「キッシュ!?」
何を言い出すのかとスティラが素っ頓狂な声をあげた。
ヒーアスも目を丸くしている。
「俺達二人だけで帰るのは無理だし、護衛も見つからないし。これでティローが使えるようになるなら山越えできてラッキーだからな。それにティローがいないのが引っかかってて、このまま帰るのは癪だ」
すぱんと言い切るキッシュに、スティラははぁ、と肩を落とす。
「まぁ、いいんじゃないかな……」
一度主張するとスティラの言葉ではキッシュは絶対止まらないのを分かっているので、最初から説得するつもりはない。
ヒーアスは眉を寄せて考え込んでいたが、「いいじゃねぇか連れてってやれば」とヒーアスの背中をばしばし叩いて笑ったアレストに折れた。
「本当は部外秘なんだぞ……? まぁ、アレストは連れていくつもりだったし、一人も三人も同じか……お前ら、ある程度は戦えるよな?」
「自分の身をモンスターから守る程度には」
「多少はー」
「あ、こいつ危険察知能力高いから、先頭においといたらモンスターアンテナにくらいはなる」
「酷くね!?」
「いや、それはかわいそうだからやらんが……」
よろしくな、と差し出された手を、キッシュは握り返した。
***
というわけでヒーアスとアレストと合流してみました。
西大陸と北大陸は言語が違います。
あんまり違うと面倒なのでそんなに大きな差はない……だって来るの一人じゃないし……。
シンダルは漢文、西大陸は古文、北大陸は現代文なイメージ。
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