ガゴン、と最後の一本を仕上げとばかりに力を込めて地面にめりこませ、キッシュは大きく息を吐いた。
頭上にはすっかり太陽が昇っている。
この時期太陽の昇りは遅いが、作業をしている内に随分と時間が経っていたようだ。
薄く浮いた汗を腕で拭い、土や木屑で汚れた手を腰にかけていた布でざっと拭う。

「終わったか?」
「どうよ!」
見計らったかのようにやってきたクグロに、キッシュは今しがた打ち終えた杭に手をかけて胸をそらした。
その先には同じ間隔で地面に打ち込んだ杭が畑を囲むようにずらりと並んでいる。
しっかり地面に打ち込まれているかを確認するように手を置いて、クグロはふむ、と頷いた。

「まあこんなもんじゃろて」
「もっと素直に褒めろよ」
「何を言うか。わしの若い時はこんなもん、太陽が昇りきる前にパパパーっと終わっておったわ」
「へいへい」
まだまだだな、としたり顔で言うクグロの話は聞き流すに越したことはない。

明後日の方向を向いていたキッシュは、そのせいでいきなり何かを投げ渡されるのに気づいて慌てて両手で受け止める。
「まぁ、ご苦労だったな」
「おーよ」
投げ渡された真っ赤に熟れたトマトを頬張って、キッシュはしみじみと大地の恵みを噛み締めた。
労働後の野菜はやっぱりうまい。
朝飯はしっかり腹に収めたが、食べ盛り伸び盛りはあっという間に腹が空く。
……十九を成長期と呼ぶかはさておき。

なんにせよ、重労働後は腹が減るのは自然の摂理だ。
杭打ちで少しずれた額の布を直しながら、井戸水で冷やされたそれが温まらない内にと口へ運ぶ。

「あとはロギに頼んで鉄線を張れば完成だな」
「ほんっとあのじいさんなんでも作るよなー……鍬といい俺達の武器といい」
「あいつは無駄に手先が器用だからな」
トマト片手に しみじみと呟くキッシュにクグロが深く頷いた。

ロギはこの村に住む鍛冶屋で、キッシュも物心ついた時から世話になっている。
主に作るのは農具だが、モンスター退治のための武器から包丁、子供の玩具に柵の間に張る鉄線まで、頼めばほとんどの物を作ってくれる。
育ての親であり師匠でもあるクグロと昔馴染みという話だが。よく分からない経歴を持つ人だ。
そもそもクグロ自身が「農業戦士」としてモンスターを鍬で退治していたというのだから、自己申告の経歴とはあてにならないものである。
……もっとも今でもクグロはそのへんのモンスターなら愛用の鍬でざっくり「耕して」しまうので、あながち間違っていないのかもしれない。

「誰の手先が無駄だ。もうお前が鍬を壊しても直さんぞ」
「ふん。タイミングが悪い奴だな。それにわしがいつ鍬を壊した」
「今日中に柵を完成させたいから様子を見に来いと言ったのはてめぇだろうが。それに鍬を直したのはつい半月前だ。もう脆くしやがったか」
「何も朝イチに、とは言っとらん。だいたいあれはお前の調整が悪かったせいで、柄から刃が取れたんだろうが」
「農具はモンスターをなぎ倒すために作ってねぇ」
ドスの聞いた声にもクグロはどこ吹く風だ。
怖い顔を更に怖くするロギに、クグロは適当な返答をしては更にロギを怒らせている。

スキンヘッドの男と、褐色肌の男が睨み合っている光景はよそ者が見ればそそくさと迂回するだろうが、 これが二人の通常仕様と幼い頃から見て知っているキッシュにとってはいちいちおろおろするのもあほらしく、パワフルな中年男共を眺めながらトマトの最後の一口を嚥下した。
長引きそうならほっといて、家へと戻るか。
今日は例の遺跡に行くのもいいが、そろそろおやつ用にストックしている干し肉が心もとなくなってきていたから、モンスターを狩りにいくのもありだ。

「やめやめ、てめぇと話してると血圧が上がる。そういやキッシュ、イグラが呼んでたぞ」
「村長が?」
「はっ、今頃思い出すとは、お前こそもうボケが始まったか」
「なんだと?」
「…………」
終わるまで待っていたら日が暮れる。
再びやりだした二人はほっといて、キッシュは村長の家に向かう事にした。





「おっせーよキッシュ!」
村長の家に入ると、奥からその家の住人ではない者の声が飛んできた。
キッシュは嫌そうな顔をわざわざ作って奥の間へと入る。
床に敷かれた大きな綿入れに腰を下ろしている老年の男性に軽く会釈をしてから、一番手前に腰を下ろしている同年代の青年を見下ろして、これみよがしに溜息を吐いた。
「なんだスティラ、お前も呼ばれてたのか」
「呼ばれてたの! 何その嫌そうな顔!」
「いや、お前がいるってことは面倒なことを頼まれるのかなと」
「なんで俺と面倒ごとをイコールで結びつけるかな!?」
抗議するスティラを軽くあしらって、キッシュはスティラの隣に敷かれた綿入れの上に座る。

二人の前では村長であるイグラが諌めるでもなく穏やかにキッシュとスティラのやりとりを眺めていた。
「キッシュ、それくらいにしなさい。イグラ様の前なんだから」
苦笑混じりに諌めたのはイグラの世話役であるカロナだった。
クグロの妻でありキッシュとスティラの母親代わりでもあるカロナの一言で、キッシュとスティラはぴたりと掛け合いを止めて前を向く。
「煩くしてすみません」
「いやいや、この歳になるとこういった若さが眩しく見えるよ」
「家でもいつもこんな感じなんですから。いつまでたっても落ち着きがなくて」
「元気が何よりだよ」
朗らかに笑うイグラとカロナに、キッシュとスティラはやや顔を引き攣らせる。
この二人の場合本気で思っているから言い返しにくい。
それぞれ横を向いて、手持ちぶさたに額布を直したり、髪をいじったりして本題に戻ってくれるのを待った。

「今日二人を呼んだのは、ちょっと使いを頼まれてほしくてね」
「使いですか?」
「ああ、実はいつもの薬がまだ届かなくてな」
「え、それって大変じゃないですか!?」
スティラがさっと顔色を変える。
キッシュも眉を寄せたが、イグラもカロナもそこまで切羽詰った顔をしていないので、そこまで慌てる必要はなさそうだ。

「届かないといっても、まだ薬の残りはあるから、今日明日に困るというわけでもないの。けど、いつもなら一週間前には届いてるはずなのよ。イグラ様の発作がいつ起こるともわからないし、何かあって当分届かないってことになったら大変でしょう? それで、あなた達に港まで船の様子を見に行ってほしくて」
「ああ、そういうことか」
薬は主にイグラが発作を起こした時に必要になるが、普段から予防のために定期的に飲むようにしている。
万が一船が難破して当分薬が届かないようなら、しばらく薬の摂取を控えなければならなくなるから、様子を見てきてほしいという事だろう。
緊急の案件でないとわかれば、スティラも表情を緩めて改めて話を聞く施設に入った。

カロナが頬に手を当てて溜息を吐く。
「昔はこのあたりでも薬の原料が取れたのにねぇ……内戦の後はちっとも摂れなくなっちゃって。北大陸から船が入るようになって助かったけど、こういう時は困りものね」
「遠いところから来てくれるだけでもありがたいさ。おかげでこうして長生きできる」
「それもそうですね」
「行き帰りはティローを使えばいい。山脈を越えるなら、それほど危険もないだろう」
「やった! 俺ティロー乗ったことない!」
目を輝かせるスティラに対してキッシュは平常を装っているが、キッシュ自身もティローに乗った事はないので結構テンションが上がっている。

ティローは大型の四足獣で、大陸の西側を縦断する険しい山に生息している。
山脈は険しすぎて人間の足では登れないため、山を越えるにはティローの力を借りなければならない。
賃金は払わなければならないが、山脈を迂回する道よりもぐっと日数が短縮されるし、山賊に襲われる確率も下がる。
内戦以降、山脈を迂回する街道では盗賊が頻出するというから、護衛を雇う金を考えればティローの方が総じて随分とお得なのだ。

袋に入った硬貨がカロナから渡される。ちょっとした重さに、目を瞬かせた。
「ティロー使いに渡すお金よ」
「なんか多くない?」
「少しだけお小遣い。せっかく港に行くのだから、楽しんでらっしゃい」
「ありがと、カロナ母さん!」
「土産買ってくるよ」
「期待してるわ」
お小遣い入りの財布を受け取って、キッシュは落としたりしないように腰のベルトに財布の紐を巻きつけた。

「ミンスがいない分、あまり荒事に首を突っ込まないようにするんだよ」
「村長、ミンスがいなかったら俺達は荒事に巻き込まれることはないのデス」
「荒事の九割はあいつが拾ってくるからな……」
「……そうだったね」
「それじゃ、俺達このまま出発するから」
「フィンとビスコに見つからないうちにね!」
「気をつけていってらっしゃい」
苦笑するイグラとカロナに会釈して、キッシュとスティラは港町、シャシャへと向かう事になった。





***
こうして新たに何かが始まるのだった……。
今回のスタンスは「幻水のセオリーがん無視」なので、普通の幻水とは違う感じで進みます。
とりあえず主人公が黒めに……あれ、それは普通か?
あ。十九歳です! いつもより年上!