<災厄招来>
朝街を出てからだだっぴろい草原を歩く事数時間。
陽はとうの昔に頭の上を通り過ぎ、辺りは暗くなり始めた頃、セノが不意に立ち止まった。
「セノ、どうしたの?」
「……んー」
首を傾げながら落ち着かない様子で辺りに視線を巡らせるセノに、ジョウイが尋ねる。
「なんか紋章が近くにあるような……」
「ハルモニアか?」
少し表情を硬くして訊いたテッドに、ふるふると首を横に振る。
曰く、懐かしい感じがする。
「懐かしい?」
何なんでしょうねと言うセノに、まあ害がなさそうなら放っておこうと言って野営できる場所を探す事半時。
「なんじゃおぬしら、久し振りじゃのう」
「「「あ」」」
大きめの木の下で、思いがけない人と思いがけない再会となった。
「真の紋章のオンパレード……ハルモニアにとっては格好の獲物じゃな」
それとも天敵かえ、とどこまで知っているのかシエラは悠然と微笑む。
腰まで流した髪をかきあげる仕種は美少女そのもので、一見すればこんな少女が一人旅なんて、と思わせる。
実のところは彼女も真の紋章の持ち主であり、宿主の中ではおそらく最高年齢を誇る御方である。
その歳実に八百歳。
シエラはぴたりと先ほどから視線を全く合わせようとしないテッドに向け、笑みを濃くする。
注視されたテッドは明後日の方を向いているが、背中には冷や汗が伝っていた。
「それにしてもほんに久しい……のうテッド」
「そう、です、ね」
心なし青褪めた顔で、目線を逸らしたまま言うテッドなど見た事がなく、シグールは軽く瞠目した。
「テッドさんはシエラさんと知り合いなんですか?」
「前にあったのは五十年ほど前だったかのう」
あの頃より随分とマシな顔になったものだと含み笑いをするシエラに、テッドは心の中で毒吐いた。
三百年以上生きているテッドは宿主の中でも重鎮に位置しているが、彼女だけはどうしても苦手だ。
どこまで分かっているのか知らないが、全て見透かされているような気がする。
どうしても勝てる気がしない。
なぜだろうと常々考えていたが。
「お主とも久しいのうクロス」
「そうですねー」
テッドから視線を外したシエラとにこにこと笑いながら言葉を交わすクロスの声を聞いて、ああこいつと同類だからかと重い息を吐いた。
それで納得できる自分が悲しい。
「あの、この人は結局誰なんだ?」
ふとジョウイが口を挟んだ。
そういえば彼だけはシエラと顔を合わせた事がないのか。
シエラもジョウイに興味を持ったらしく、話の矛先がテッドとクロスからジョウイへと向けられた。
「この童は?」
「僕の幼馴染で、ジョウイって言「元ハイランドの皇王ですねー」
「ほう、お主が」
余計な事を、と口を挟んだシグールを眇めたジョウイは、ずずいと近寄られて体を仰け反らせた。
「ところで皇王は女子がなれるものなのか?」
「……僕は男、です」
「なぜそんな格好をしておるのだ? 趣味か?」
「断じて、違い、ます」
話の矛先が他に向かって、胸を撫で下ろしたテッドにシグールが尋ねる。
「テッド、シエラと会った事あったんだ」
「まあ三百年……だしな」
初めて会ったのは紋章を受け継いですぐだったか。
最初は紋章持ちとは気付かず、その後何度か顔をあわせてようやく気付いた。
ひょいと現れてからかってはまだどこかへ消えてしまうその繰り返し。
苦手意識はいつの間にか植えつけられていた。
まだ健在とは恐るべし。
その時気配が近づいてきて、全員がぴたりと口を閉ざした。
その中でシエラだけが平然とした顔で、ようやく帰ってきたかなどと呟いている。
全員の視線が向けられる方向から走ってきたのは脇に兎を抱えた壮年の男性だった。
長い金髪は後ろで緩く結わえられ、走る度にマントと同様にたなびいている。
「シエラ、食べられそうなもの見つけて――」
「遅いぞえ」
彼――ナッシュはシエラの周りにいるシグール達を見て固まった。
ぽとりと兎が腕から落ちて、まだ生きていた兎は縄で縛られた足を動かして逃げようと画策している。
「誰?」
「わらわの傍仕えじゃ」
「その呼称はさすがにどうなの」
「僕達見ていきなり固まってるんだけど」
「えーと、どこかでお会いしましたかねえ?」
「…………」
グレミオに少し似てるなあとシグール。
なんか見た事あるようなとクロス。
それに答えず固まったまま動かないナッシュに、ルックが呆れたように口を挟んだ。
「あんた達が僕を引き摺り帰った時にいた奴だよ」
ああその時と手を打って、はたと気付く。
「つーことはハルモニア、か?」
それともグラスランドか。
一気に周りの温度が下がった気がして、そこでようやくナッシュは我に返った。
ナッシュがぎこちなく首をシエラに向け、どうして彼らがここにいるのか尋ねると、知り合いだと簡潔なお返事を頂いて彼は頭を抱えてその場に蹲まった。
ナッシュ自身、彼らの顔はそれはもうよく覚えていた。
例え姿を見たのは一瞬であっても、忘れられないくらいに。
なにしろ最終決戦直前に敵のボスをど突き倒して去っていったのだから。
あの後謎の集団の素性を知った運び手の一行は、追いかける気力もなく皆もとの生活に戻っていったりいかなかったりした。
ナッシュは再び諜報活動に戻り、途中でシエラと会ってそのままなし崩しに同行する事になったのだが、珍しく行き先の主導権を握った彼女が、どこかへ行くのかと聞いてもただ笑うだけで。
まさか、これが目的だったのか。
諜報員として国に報告すべきなのだろうか。
むしろ自分は生きてこの場を離れられるだろうか。
わきわきと手を動かしながら、出身地がどこかなあと尋ねてくるシグールに、もう仕事辞めようかなとナッシュは心の中で涙した。
***
やはりシエラさんは出しておかないと。
ナッシュがあまりに可哀想だったのでここで打ち切り。
災厄招来:災難や厄を招き寄せること。