<合縁奇縁>
大きな川の向こうに見えてきたのは交易で有名な街のひとつであるラダト。
川を下ってトランに行けるという地の利点も然る事ながら、有名な交易商がここにいたという。
彼がどこに行ったのかは有名な話。
その川に架かる橋を渡りながら、昔ここで川浚いした事あるんですよーと笑いながらセノが言った。
下を見れば、最近雨が少なかったがそれでもそれなりの勢いで流れる水がある。
よく流されなかったなと呆れ返った。
それに気付いたのか、流れは水門で止めてもらったんですけどとセノが付け加えた。
「でも何のために?」
「シュウさんを仲間にするため、ですね」
「…………」
デュナンに関してはセノが一番詳しいので、今回の観光ガイド役はセノと……まあ補助としてジョウイが請け負っている。
セノは街が近づくにつれ、上機嫌さに拍車をかけていた。
誰かは教えてもらえなかったが、予めこの街で会いたい人がいると前置きされているので他の面々はただ付き従っていく。
楽しそうに歩く姿から、おそらくその相手と余程会いたかったのだろう。
可愛いなあとセノを見ながら、僅かに後ろを歩くジョウイにクロスは視線をやった。
「どした?サイズ合わなかった?」
「いや、それはばっちり……ってそうじゃなくて……」
げんなりとした声で返し、ジョウイはやはり慣れないのかスカートの腿辺りに手をやる。
「大丈夫だって、おかしくないから」
「でもなんかこう……妙に注目浴びてるような」
「それは今更」
六人が六人とも並より上な顔立ちをしている上に、今回は男女比が半々だ。
思えば群島を旅している頃から視線なんて浴び慣れているような。
それでも開き直れないジョウイに苦笑する。
まあ普通の男性ならスカートなんて履かない。
「いい加減開き直ったら?少しはシグールを見習いなよ」
クロスの隣を歩くルックに半眼で見られて、ジョウイは言葉もなく肩を落とす。
群島からずっと同じような格好をしているルックに言われると、妙に重みがある。
あの時は笑って悪かったと心の中で反省し、力なく反論した。
「あれと一緒にしないでくれ……」
ルックが示す先には、テッドの腕に自分の腕を絡ませて上機嫌で歩くシグール。
それを降り払う気力も失せたのかはたまた諦めたのか、テッドは為すがままである。
一見してみれば仲のいい恋人同士。
……あながち間違いでもないか。
ぴたりとセノの足が止まって他の面子も立ち止まる。
そこは大きな屋敷だった。
「とうちゃーく」
「誰の家?」
「えーと、前はシュウさんが住んでたんですけど」
「じゃあ今回は彼に?」
「違いますよ」
シュウがいるはずないじゃないですか、とセノは言う。
確かに彼は宰相として今もミューズで国政を取り行っているだろう。
とすれば今ここは主不在。
無人か、せいぜい使用人しかいないと思われるこの屋敷に何の用事があるのか。
「じゃあ誰の……?」
「それはねー」
疑問を抱く五人を尻目に、セノはリズムよくドアを叩いた。
しばらくの後、ぱたぱたと足音が聞こえてくる。
セノは振り返ってにっこりとジョウイに笑みを向け、そして告げた。
「ジョウイがとってもよく知ってる人だよ」
「え「お待たせしました……あら?」
ジョウイの声とほぼ同時にドアが開き、中から妙齢の女性が姿を現した。
服装や身に纏う雰囲気からして、明らかにこの屋敷の使用人ではない。
さらりとした黒髪は肩口で切りそろえられ、女性が首を傾げるとさらりと揺れた。
彼女は目の前で笑顔を向けるセノをしばらく見つめ、すぐその顔は笑みに彩られた。
「セノ様?」
「はい。お久し振りです、ジルさん」
「ええ、本当に。お元気そうでなによりです」
「ジルって……」
「シグール、知ってるのか?」
「……ハイランドの皇女様」
「え?」
その一言に全員の視線がジョウイに集まる。
一時期ジョウイはハイランドの皇王の地位に収まっていて、その為に皇女と婚姻を結んだはずだ。
彼女も戦争を前後して姿を消したと聞いていたが。
「ということは」
「ジョウイの元奥さん、ですか」
一応は妻と恋人が出くわした場面になるのだろうか。
修羅場?と言葉にしてみたが、二人は邪気のない笑みを湛えたまま話している。
おそらくセノの会いたい人とは彼女だったのだろう。
一方当の本人はと言えば、突然の事に口を開けて呆然としていた。
その様子に哀れんだ視線を向け、知らなかったんだなとテッドは呟く。
状況的には非常に受け入れがたいのは分かる。
まあでもセノの性格だし。
むしろ今まで彼女の所在を知らなかったのかとジョウイに尋ねてみたくもあったが、答えは明白なので止めておいた。
ふとセノと会話をしていたジルが、後ろにいる五人に気付いて慌てたように口元を押さえた。
「申し訳ありません、こんなところでお待たせしてしまって。すぐに中へお通ししま……」
視線を上げ、そしてそれは一点で止まった。
すなわち、女装しているジョウイで。
「……ジョウイ、様?」
「うん、そうだよ」
恐る恐る尋ねたジルに答えたのはセノだった。
「よ、よくお似合いです……っあははははははははははははははははははは!!!!」
次の瞬間、ジョウイを指差して腹を抱えて笑い出したジルに、ジョウイはもう好きにしてくれと投遣りに視線を地面に落とした。
「取り乱してしまって……すいません」
紅茶を注がれたカップを置きながらジルが恥ずかしそうに言った。
けれど僅かにその手は震えていた。まだ余韻が残っているのだろう。
その証拠に、セノの隣に座っているジョウイを見ようともしていない。
改めて自己紹介をされれば彼女は確かに「ジル=ブライト」であった。
どうしてこんな所にと率直な疑問をぶつけてみる。
「あの戦争のあと、ジョウイ様は行方知れずになってしまわれたでしょう? 自分で死ぬ覚悟もなかったので、どこかで身を隠して生きようと思ってましたの」
そうしたらある日突然セノ様が顔をお見せになられて。
訳が分からぬまま連れてこられたのはこのラダトの家だった。
『ジョウイが迷惑かけたので、せめてこれくらいはさせてください』
家主の許可は取ってあると言われ、ジルは頻りに首を振った。
自分はこんな事をしてもらえるような者ではないと。
そう言うとセノは申し訳なさそうに笑って。
『……本当はジョウイを返してあげるべきなのかもしれないけど、それはできないから……これは僕の我侭に対する、貴女へのお詫びでもあるんです』
そして押し切られるような形でここに居座ってしまった。
事の顛末を話し終えて(セノとの会話部分は割愛してある)、ジルは紅茶を飲んで一息吐く。
興味深そうに聞いていたクロスがじとーっとした視線をジョウイを向けた。
「で、そのジョウイ君は何のフォローもしなかったんですか」
「……ここにいるって知ったの今だし」
「せめて探すとかさー」
「死んでる人間が情報収集とか人探しができるはずないだろーが!?」
終戦直後といえば、ナナミに散々怒られてニンジン責めにあった事くらいしか記憶がない。
「ジョウイ様が悪いわけではありませ……ふっ」
庇おうと口を開き、視界にジョウイの姿を入れてしまったのか再び笑いの体勢に入ってしまうジル。
机に顔を伏せ、ふるふると必死に笑いを堪えているが、握り締めたテーブルクロスにしっかり皺が入っている。
「健気だねー泣いちゃってまあ」
「いや、あれはどう見ても笑っ……」
横槍を入れてくるクロスとシグールに勝ち目のない戦いをするジョウイが開放されたのは、あたりが暗くなって夕食の準備が整う頃だった。
***
ジルとセノは仲がいい。
ジョウイの姿をジルに見せたかっただけ、です。
合縁奇縁:不思議な巡り合わせの縁。人と人の気が合うのも合わないものも不思議な縁のはたらきによるということ。