<胸内決裁>





シークの谷。
その目的地を提案したのは、珍しくテッドだった。
いつもは皆の言う道を何も言わずに歩いている彼が、珍しく提案した事なので、クロスとセノは何も考えずに頷く。
「こっから遠いの?」
「まあ地理的には近いけど、ルックにテレポートしてもらわないといけないな」
「……シークの谷」
「そう」

ルックが眉を寄せて、あんた正気、と呟いた。
シグールは、何も言わない。
顔を伏せて、拳を握りこんだ。
「正気だ、シークの谷、いいだろ?」
「……ま、あんたが行くって言うなら」
僕はいいけど。
そう言ったルックの視線は、ちらと一瞬だけしかし確実に心配そうにシグールへと向けられた。
それに気付いたクロスとジョウイは、互いに視線を交わす。
いったい、何が。
「じゃあ、行くよ」










着いたそこは本当に谷で、別段観光地でもあるわけではなく、いったい何がここであったのだろうと事情を知らない三人は首を傾げる。
仮面を被ったかのような無表情のシグールは、そこにずっと立ち尽くしていた。
「シグール?」
ジョウイの呼びかけにも答えず、いつも煌めいている目は擦りガラスのように曇っている。
「ちょっと、どうし」
肩に手をかけようとした刹那、ジョウイの喉元にシグールの棍が押し付けられていた。
「ちょっ、シグール!」
「……シグール、やめろ。ジョウイ、引け」
やんわりとしかししっかりとシグールの手を握りそれ以上ジョウイに危害が与えられないようにして、テッドが押し殺した声で言う。
ジョウイは恐る恐る、シグールから離れた。
こんな彼を見るのは、初めてだ。

「こっち来い、シグール」
無言のシグールの手を握り、テッドはぐいっと引っ張る。
よろめくように歩き出したシグールとテッドを、後から追いかける格好となった一団を代表して、クロスが口を開いた。
「……何があったの?」
 ルックは、ゆっくりと苦々しく口を開く。
「――ここは、殺した場所」
「誰を、誰が――」
そこまで言いかけて、クロスははっと目を見開いた。

レックナートは言っていたではないか。
テッドの魂は、今はソウルイーターの中にあると。
だから、よしんば彼を蘇らせても一定範囲内にいなくてはいけないと。
つまり、それは。

「嘘だろ、シグール、が?」
ジョウイもセノもクロスも生前テッドとシグールの仲を直接には知らなかったが、二人がどんな関係なのかは、おおよそ分かっているつもりだ。
誰より何より大切な、たった一人の親友。
ジョウイとセノも互いに大事だが、それとはまた違った意味での。
むしろ、ジョウイやセノと異なりあの二人は互いで関係が完結しているので、より親密だとも言える。
「そんな、なんで」
「仕方なかった、んじゃないの」
その言葉を吐いてから、ルックはかいつまんで当時の状況を説明した。
テッドはウィンディに奪われないようにシグールに紋章を渡した事も。
再会した時に、彼女の支配下にあった事も。
そして、自ら死を選んだ事も。

そう、仕方なかった。
だがシグールは、それを納得した事なんかないに決まっている。
だけれども、それでテッドを責めてないのも事実だ。

あの時テッドは、操られていて。
救い出す手段を、検討している暇なんて、なくて。


立ち尽くしたままのシグールの横に、肩に手を置いてテッドが立っていた。
昏いシグールの瞳は、何も映していない。
かいつまんだ説明をしつつ追いついたルック達は、何も言えずに黙り込む。
だが、僅かに目を細めて、辛辣な言葉を放った人物がいた。


「――ばかじゃないの」
そう言ったクロスは、沈黙の中、足を前に踏み出した。
かちゃりと、腰に下がった双剣が鳴る。
「自分を守るため目の前で死なれて、相手がどれだけ苦しむか全く考えな――」
ドカッ
鈍い音とともに、テッドとシグールが立っていた横にあった岩が粉砕された。
棍を片手に持ったシグールは、無表情で振り返る。
「今なんて、言った」
地を這うような声に、クロスは戦慄を覚えた。

内心の動揺を隠して、クロスは口を開いた。
「親友の目の前で死を選ぶなんて、ばかなこと、だよ」
「――クロス、わかってるからもう――」
「テッドは黙ってて」
静かな、あまりに静かな声でそう言ったシグールは、完璧なまでの無表情でクロスに向き直る。

「看取ったの?」
「誰、を?」
「親友、恋人、家族」
「……看取ったよ」
皆、優しい言葉を残して死んでいくから、墓を作りながら涙を流す事もできなかった。
「皆、わざわざクロスの目の前で死んだわけだ、苦しませるとわかっていて」
「それは」
それとこれとは、違う。
そう言おうとしたクロスの言葉を、シグールは平坦な声で阻む。
「死んだ後まで自分を覚えてもらいたい、クロスを拘束しておきたいって言う、エゴでしょ」

違う。
その言葉が胸内で爆発した。

「――違う!」

――俺は貴方を死んだ後まで束縛する気はないんですよ
あの時のシグルドの優しい笑顔は、今でもはっきりと思い出せる。

「シグルドは、僕が吹っ切れるようにっ」
「そんなこと、なんでクロスがわかるのさ」
冷酷な言葉を吐いて、シグールはクロスの双眼を真正面から見つめる。
「なんでわかるの、わかるわけない。絶対に完璧に理解なんてしてない、それとも自信をもってそう言えるの?」

殺気がどんどん膨れ上がっていくのを感じ取って、セノは思わず前に出ようとしたが、ジョウイにむんずと腕を掴まれた。
「ジョウイ!」
「……ルック」
「うん、わかってる」
テレポートしようとしたルックに、セノは縋りついた。
「なんで! シグールさんとクロスさんは」
「……止められない」
静かにそう言って、ルックはその視線をシグールの横にいるテッドへと投げかける。
彼に何かあったら、許さない。

大丈夫だとは思っているけど、シグールの事も信じているけど、そう強く念じて呪文を唱える。
「ルック!」
「セノ、僕たちには、止められない」
抱きかかえられたジョウイの腕の中で、その言葉を聞きながらセノは涙した。










ソウルイーターが疼く。
ここまでシグールが怒ったのを見るのは初めてかもしれないと、テッドは思いつつ右手を握り締める。
三人は避難したので、とりあえずなんとかなるだろう。
「……シグール」
なるべく刺激しないように静かに声をかけたが、動かない。
「……クロス」
シグールの言った言葉にここまで怒るのは大人気ない、とクロスを責める事はできない。
先ほどの彼の言葉は、それほどにクロスの痛いところを突いたから。

どれだけ膠着状態が続いたのだろうか。
「お前ら、いいかげ」
テッドがそう言い終える前に、シグールの足が地面を蹴り、クロスは双剣を抜き放つ。
カキン
硬い音を立てぶつかり合った得物越しに顔を突き合わせ、シグールは初めてその顔に感情を乗せた。
まるで、血を吐く様な声で。

「あんたなんか、嫌いだ!」
叫んだその言葉に、クロスは目を見開く。
打ち込まれる連打を全て防いで、後ろへ飛び退る。
「テッドと一時でも同じ時を生きてたあんたなんか嫌いだ!」
「っ!」
叫び声と共に打ち込まれたその一撃に、クロスは両剣で受け止め僅かに顔を歪ませる。
棍と剣では剣の方が強力そうに見えるが、棍の方がリーチが長い。
「僕が入り込めないのに、平気で上がりこめるクロスなんて」
力任せに振った棍が、クロスの右手の剣を跳ね飛ばす。
「知った顔して、余裕ぶってて、絶対届かないのに、全然違うのにっ……!」
「くっ」
容赦なく打ち込んでくるシグールのそれは、どれを喰らっても致命傷になりかねない一撃で、クロスは跳ね飛ばされた剣が落ちている場所を確認し、シグールの一撃を止めて棍を足で押さえ、そこを軸にして 跳ぶ。
剣を拾い再び体制を立て直した直後、頭上からの一撃を回避し、剣を喉めがけて振るうが防がれるっ!

クロスを睨みつけるシグールには、憎しみに等しい感情が宿っていた。
ただそれよりも、ずっと純粋な何かが。

「僕も、君が嫌いだよ」
呟いて、クロスは構えた。
「真直ぐで、迷わなくて――例え違ったとしてもそれを他人に見えなくできるくらいに器用でね」
軍主の時、自分が不甲斐ないせいで皆に心配をかけてしまった。
守って、あげられなかった。
目の前で自分を庇って倒れた相手の傷は、いつでも重傷だった。
「傲慢といえるほど己を信じられる君は、嫌いだっ」
些細な言葉で、ぐらついた自分の心が憎い。
シグールの言葉に力があるのは、彼が自分を信じているから。
大切に育てられたのだろうと、その一挙一動が自信に溢れているのを見れば分かる。

カキン

空中で武器を交差させ、二人は互いに一瞬も触れ合う事なく幾度も打ち合う。
何もない谷に、ただただその音だけが木霊する。

だが、終わりは訪れる。


切り結んだ瞬間、クロスは呟いた。
「君は絶対、僕にはなれない」
その瞬間生まれた僅かなシグールの隙をつき、クロスは彼の懐に飛び込む。

手ごたえが、予想より一瞬だけ早く来た。


「テッ……」
あげた声が、途中で凍る。
目を見開いたシグールと、蒼白になったクロスの間に、テッドが無理矢理割り込んでいた。
彼の左腕に刺さる、クロスの剣。
「……いいかげんにしろシグール。クロスに八つ当たりをするな。クロス、お前もお前だ、シグールの挑発に乗るな」
いいか、と言い聞かせるように言うテッドに、二人は何の反応も示さない。
ただ、双方の握力が緩み、からんと音を立てて武器が地面に転がった。
「ったく、両方ともいい歳して俺に世話を焼かせるなってんだ」
ぶつぶつ言いながらテッドは自分の傷の様子を見て、眉をしかめた。
「おいシグール、バンダナ貸せ」
「てっ……ど」
「煩い、文句は後で聞く、失血死する前にバンダナ貸せ」
震える唇でかろうじて名前を呼ぶシグールにそれ以上視線を向けず、テッドは彼のバンダナを外すとそれを自分の傷口に巻いた。

これでよしととりあえず止血した腕を見てから、テッドは怪我をしていない右手で思いきりシグールの顔を殴り飛ばす。
倒れたシグールを尻目に、反対側に立っていたクロスの顔にも同じく拳をぶち入れた。
「この馬鹿野郎どもが! 本気でやりあうアホがどこにいる! 男と男の勝負ってのは賭けか酒か殴り合いと相場が決まってんだろうが!」
地面に座り込んで唖然とテッドを見上げる二人を、彼は睨みつけた。
「しかも互いにどうでもいいことでぐちぐちと。クロス、お前は百五十年以上生きてその性格なんだから今更文句なんざ言うな。変われるわけないだろうが! シグール、お前がクロスそっくりになってみろ音速でダチやめてやらぁ、俺の親友はシグールなんだからな! それに二人とも、人間秘密の一つや二つあるんだよああもう付き合ってられっか!?」

そこまで怒鳴り散らすと、テッドは二人に背を向けて勝手に歩き出す。
唖然としたままのクロスとシグールは、顔を見合わせてそれからどちらからともなく笑った。
「変われるわけないなんて、失礼だよね」
「僕そっくりになったら友達じゃなくなるって、僕はテッドの友達じゃないのかなあ?」
「「テッドの秘密はいっぱい知ってるけど」」

声をそろえて言った二人は、また顔を見合わせて笑った。
「……怒られちゃったな」
苦笑してシグールが言って、立ち上がる。
落ちていたクロスの剣を拾い上げ、差し出した。
「ごめん、なさい」
「いいよ、僕も僕だし。ごめんね」
剣についた血痕を、クロスは取り出した布でふき取る。

「……いや、それにしても紋章使うまで頭に血が上ってなくてよかったね……」
立ち上がってやれやれとクロスは周囲を見回す。
「ホント……危うく使っちゃうところだったよ」
右手を目の前に掲げつつ、シグールが笑った。
「その場合どうなったかなー」
「そりゃ、シークの谷改めシークの断層」
「……語呂悪っ」

あっはっはっは。
正直笑い話じゃないんだが。
二人の声は谷によく響いた。

「お前らなに談笑してんやがんだーーーーっ!!」
「はーいはいはい、やだねー、焼餅焼きは」
「ほんとだねー、でもあれもマグロ丼一つで解決するマグロ魔人だから」


「誰が焼餅焼きでマグロ魔人かっ! てめぇら喰うぞっ!!」

 

 





***
…………。
なぜ
だろう、なんでかギャグになってしまい……(汗

これにて坊ちゃんトラウマ編は終わりです。


胸内決裁:胸のうちを吐露しぶつけ合う事





クロス「
……ところで、テッド」
テッド「なんだ」
クロス「ここって、行きテレポートできたけど、出る道あるの?」
テッド「
…………
シグール「そういえばないなあ」
クロス「え、じゃあ僕らどうなるの?」
シグール「ルックが来てくれるまで干物にならないといいね」
全員「
…………

(ルックが来たのは翌日の朝でした)