<停雲落月>
どこ行こうか。
リコン郊外、太陽の下地図を広げて覗き込む六人の中で、セノが首を傾げとある地名を指差す。
「ソニエール監獄……監獄なんてあるんだ」
「あ、ほんとだ。小さいのによく見つけたね……でも使用中ってこともないと思うけど……」
呟くクロスの傍らで、シグールがくるりと背を向け、勝手に明後日の方向へと歩き出した。
「ちょっ、シグール?」
驚いたジョウイが呼び止めようとしたが、振向きもしないシグールを、慌ててテッドが追う。
「どーしたんだろー?」
「……行きたくないでしょ」
呟いたルックの言葉に、どうして? とクロスは問いかける。
眉をしかめた彼が口を開くのを躊躇う理由をクロスはちゃんと分かっていたので、深追いすることなくただ返答を待った。
「訳あり、だから」
「訳ありって、どういう意味? なにか嫌なことがあったの?」
「そう」
「トラン統一戦争中に?」
「そう」
「軍に大きな被害が?」
「違う」
それでは、おそらくシグールが個人的に何かあったのだ。
よほど怖い目にあったのか、何か大事な物を失ったか。
傍らのジョウイとセノに視線を向けるが、無言で拒否のサインを送ってくる。
結果、はいかいいえでしか答えないルックへの誘導めいた質問をする権利はクロス唯一のものとなった。
「誰か、死んだ、の?」
「そう」
「……もしかして」
シグールが、一〇八星集めた末、手に取り戻した人物の名は。
「グレミオ、さん?」
「そう」
肯定したルックの瞳が、真直ぐクロスへと向けられた。
「行かないよね?」
「うん、行かないよ。ね、セノ」
「うん、いい」
「それはいいけど……なんだか彼方へ歩いていってる……」
四名の中では一番長身のジョウイが、近くにあった岩の上に立ってかなり遠方へ行ってしまったテッドとシグールの姿を視界の限界でなんとか認め――次の瞬間。
「っ!?」
「……あ、ジョウイが固まった」
「ジョウイー? ジョウイー?」
クロスの言葉にセノがヒラヒラと手を振るが、ジョウイの硬直は解けない。
ルックがさりげなく視線を逸らし、ついとジョウイの背後を指差し言った。
「……ニンジン大魔王が行進してくる」
「ニンジンっ!?」
悲鳴じみた声をあげて岩から転がり落ちたジョウイは、数秒後笑うクロスとセノに事態を察したが、苦い顔をしてルックを睨みつける事もできなかった。
彼が何を見たかは、神のみぞ知る。
深夜。
「……テッド」
枕元で呟く陰に、テッドは元々寝ていなかったので、目をしっかりと開く。
「行くのか」
「……うん、そこで、話したい」
昼間のシグールの様子から何かあった事は分かっていたので、無言でベッドから立ち上がり、テッドは茶の髪を掻き上げつつ答える。
「わかった、何か羽織る物を持っていけ。さすがに夜は冷え――」
テッドの体にぎゅっと腕を回し抱きついて、シグールは小声で言った。
「これで、いい」
その声が、少し震えている気がしたのは、テッドの幻聴か。
「……わかった、行こう」
バンダナをつけていない髪をそっと梳いて、テッドは細い肩を叩いた。
やってきたその場所は、とうに放棄されたのか、月光に照らされたただの古びた石造りの建物だった。
だが、どうしてもその中に入る事のできないシグールは、ぐっと拳を握って声を絞り出す。
「グレミオ、が」
「――ああ」
「グレミオが、死んだ、場所」
「……そうか」
おおよその見当は付いていたので、テッドはそう答えるとシグールの頭に手を乗せる。
温かい手の平の感触に、シグールは視線を伏せた。
「ここで、喰われた――僕を守って、僕を逃がすためにっ――」
まだ、鮮明に覚えている。
血が壁を赤く汚すまで叩いた。
開けろと命令しても、彼は頑として聞かなかった。
それは分かっていたけれど、精一杯の大声で叫ぶしかできなかった。
彼が
あの優しい微笑を浮かべて、優しい声をかけながら
生きたまま、喰われていくのを 知りながら 壁一枚の 向こう で
付いてくるなって、言ったのに。
服と斧しか残っていなかったその場所で、涙を零す事も膝をつく事すらもできず、胸の奥で零した精一杯の言葉。
「シグール」
ぐるぐる考えて思考で頭がいっぱいになっていたシグールに、上から降ってくる声があった。
「言っただろう、泣きたい時は泣いとけ」
「でも僕、もう三十だし、大人だし」
「自分のトラウマろくすっぽ乗り越えてない奴が何を言うか」
こつんと軽い手刀をくらい、シグールは僅かに苦笑する。
「テッド」
「なんだ」
「僕は――たくさん、犠牲にした」
ああ、と呟いてテッドは監獄を眺めた。
「僕は、どこで、どれだけ、間違ったんだろう」
「さあな」
冴え冴えとしたシグールの声が、夜の闇の中に響く。
「僕は、どこで」
「シグール」
険を孕んだテッドの声が、シグールの独白を強制的に止めた。
「二十年も前のことを、引きずるな」
「テッドには言われたくない」
「煩い、俺に口ごたえするな」
今度は先程より強く頭を叩かれて、シグールはテッドを見上げる。
冷えた彼の双眼が、射るように監獄を見ている。
そしてきっとその後ろの、過去を。
「少しは、俺の身にもなりやがれ」
言い放ったテッドの手を、シグールは握る。
「うん」
後十年したら、またここに来て。
また十年したら、ここに来て。
ちゃんと二人で中に入れる時まで、何度でも来よう。
苦い後悔の上を、歩けるようになるまで。
***
坊ちゃんトラウマその1とかこつけて、スキンシップ過剰なテド坊。
別にカップルでも違っても確かにやることなすことかわらない。
グレミオさん死亡時こそテッドに側にいてほしかった……。
停雲落月: 親友を思うたとえ。