<鎧袖一触>
「はいジョウイ」
笑顔でオールを差し出す一行一番の常識人を、ジョウイは無言で睨み訴えた。
だが、結局のところ、彼にすらジョウイは勝つことならず、オールを受け取る羽目になる。
まんまと肉体労働から逃れたテッドは、水面に指を走らせているシグールと、舟の先頭で風を受けているセノの間に座り、足を伸ばしてくつろいだ。
「気張って漕いでねジョウイ」
「とっとと帰るよ」
「揺らさないでよ」
「横揺れに気をつけろよ、行きは酷かったぞ」
「風がきもちいい〜」
「いつかいつかいつかいつかいつか……!」
そう言い続けてかれこれ十七、八年になるのだが、人生知らなくてもいい事も沢山あるのだろう。
万事こんな調子で肉体労働はことごとくジョウイが引き受けているのだが、腕力はテッドやクロスに劣るという哀しい現実が存在している。
だが、それでこそジョウイである。
さすがにジョウイの疲労の色が濃くなってきたが、こんな重労働代わってやろうなどという、心優しい人間はここにはだーれもいないので、せこせこ漕ぐ羽目になる。
「あれ? あれって……」
それに一番最初に気が付いたのは、風と景色を満喫していたセノだったが、他の五名が気付くまでもなくあれよと言う間に急接近。
「その舟止まれ! そして金目のモンを出しやがれ!」
剣を振りかざして偉そうに言う男たち。
「……あれっ……海賊……もとい湖賊?」
「うん、彼らはもと――」
クロスの言葉にシグールの解説が入ろうとしたところ、その内の一名がしゅたっと船に飛び乗ってきた。
素晴らしい運動神経である。
ぱちぱちと素直に感嘆して拍手をしたセノの喉元へ湖賊は剣を突きつける。
「ほらよ、早くしねぇと餓鬼の命がない――へぶっ」
ガスッ
鈍い音を立てて男を沈めたのは、ジョウイのオールだった。
目が、完全に据わっている。
「セノに近づくな――下衆が」
そう吐き捨てた声は、日頃のそれより二割増しで低い。
「なっ――何しやがるてめ……ぇ……!」
「ジョウイ」
ぎんっと残りの湖賊を睨みつけたじろがせたジョウイに、テッドが笑顔で手を振りつつ釘を刺す。
「紋章は使わないように」
その言葉が耳に届いたのかどうか、ジョウイは船を横づけにしてきた湖賊たちの間に踊り行って、瞬く間に全員のした。
だが。
「……あー……きたねぇ」
遠くを見て苦笑したクロスの言う通り、先ほどより一回り大きい湖賊の船がやってきた。
その舳先に立つのは、堂々とした面持ちの中年男性。
「お頭! あいつですぜ、あいつが……」
「ほう……」
ジョウイの立つ舟に乗り込んできたお頭は、彼を一瞥して鼻を鳴らす。
こんな若造に、屈強なる湖賊がやられたなどと、そんな事が信じられようか。
まあしかし、地の利はこちらにあるし、人数も断然多い。
たとえ、あの後ろに見える仲間らしき五人が加わっても……。
「やろうども……やっちま……」
え。
と言うとした瞬間、彼の脳はその中の一人をある人物の名前と一致させた。
「お頭?」
号令が途中で途絶えたのを気にした手下の一人が心配そうに声をかけるが、お頭は次の瞬間絶叫した。
「しししししししししシグール様っ!?!?」
彼の視界に入っている唯一の存在は、その可愛らしい顔に神々しくも禍々しい笑みを浮かべる。
それは、無言なる肯定。
「お、お頭?」
「てっ、てめーら頭が高い! 剣を向けるな落とせ投げ入れろ平伏せ……あああ飛び込んで詫びろ!!」
錯乱状態のお頭の言葉の勢いに推されて思わず飛び込んでしまう者と、呆気に取られて彼を見るものの半々に分かれる。
「お……お頭……?」
「剣を降ろせ詫びろ詫びろ詫びろ!」
声をかけてきた手下の剣を奪い取り、湖に投げ捨ててがすがすと船底に頭を打ち付けるお頭の前に、シグールが立って笑顔を向けた。
「別に、怒ってないからいいよ」
でもねえと微笑を浮かべて英雄様は仰った。
「おいしーいお酒がほしいな、ありったけ」
「はいっ! い、今すぐさ、最高級の酒を全て奉らさせていただきます所存でございまして大変に光栄でありますっ!」
平伏したお頭に満足そうな笑みを向けて、シグールは背を向けるとすたすたと乗ってきた舟に戻り、憑き物が落ちたような顔をしているジョウイをこいこいと手招く。
「いったい……君は何をしたの」
あんまりなお頭の反応に、シグールはしれっと答えた。
「戦争の時に仲間になってもらうように頼んだら、当時のお頭が「俺より弱い奴の下にはつかない」とかほざいたから、けちょんけちょんのこてんぱんにしただけ」
……なるほど。
いっせいに五名全員の哀れみを、伸びている、あるいは沈んでいるまたは浮いているさては土下座している湖賊達はもらったが、そんな事はたぶん知らないほうがいいのだろう。
***
シグールがおびえられる事が多いのは気のせいですかそうですか。
一回書いたのがセーブし損ねて消えました……泣けました。湖賊の呪いだ。
鎧袖一触:敵を問題にしない形容。