<高山流水>


もう一泊なのがそもそもの間違いだったのかもしれないが、先日あれだけの演奏をしておいて今晩は何にもありませんとは、そうは問屋が降ろさないというのも仕方なかったのかもしれない。
というわけで、素晴らしい二胡弾きがいるとの噂を聞きつけ、物好きが大量に酒場に押し寄せたのだ。

「……宿としちゃぁ迷惑だな」
追い帰すわけにもいかず、主人は憮然として何とかしてくれと言ってきた。
こちらとしても、壺を割った前科もあり、今回の騒ぎも自業自得なので仕方ない……のだ……が。
「クロスさんいないよねぇ」
もう一泊したそもそもの理由は、ルックがこの辺に掘り出し物の本屋があると聞きつけ、絶対行くと譲らなかったのだ。
そこは、ルックに甘いクロスの事。
じゃあ僕らだけで行ってくるから皆はもう一泊しててと言われ、もう一泊のんびりしてたのだが。

「僕もう嫌だ」
夕食を食べつつシグールが言い捨てたので、マグロ丼を手にしたテッドのいい笑顔を向けられてジョウイは肩を落とした。
「そりゃあ、弾けるけどね……?」
シグールほどじゃないけどさと呟きつつ、二胡を手にするジョウイ。
しばらく全然弾いてないし無理じゃないかと呟きつついくつか音を弾くと、まあまあ聴けた物ではある。
しかしジョウイは昨日のシグールの演奏を聞いていたわけで、それに劣るのは分かっていたので、悔し紛れに毒づいてみせた。
「シグールは歌えないのか」
「……なんだって?」
「いや、昨日は二胡弾いてばかりだったし」
あ、それとも音痴、人間誰にでも苦手なものってあるし、と言ったジョウイにはきちんと根拠がある。
シグールが歌ったのを、二十年の付き合いで一度も聞いちゃいないのだ。

「……テッド」
ジョウイから二胡を奪いテッドに押し付け、腕を引っ張り自らも舞台に立つまで約三秒。
マグロ丼を平らげていたはずのテッドは、舞台上に押し上げられ、溜息を吐いた。
椅子に腰掛け二胡を構え、一呼吸置いて調べを流す。
それは、昨日のシグールと比べても何も遜色ないもので。
「上手だねぇ」
驚いたように漏らすセノの横で、ジョウイはにこりとシグールがこちらを見て笑ったのに気付いた。

続いて流れ出した歌声に、ジョウイははっきり言ってショックを受けた。
昨日の二胡も教養という嗜みを遥かに越えた腕前だったが、今日の歌はどうだ。
「……根性悪なのに……」
ぼやいたジョウイだったが、隣のセノは完璧に聞き入っている。
昨日のクロスの歌は人を惹き付けた。
今日のシグールの歌は、人を魅了する。
現に、ジョウイ以外の人間は魂が半分抜け出た様な恍惚とした表情だ。

天はニ物を与えないと言うが、あのすっぽり人として抜けた部分の穴埋めはこの天賦の才だったのだろうかと。
ジョウイが天を恨んだのも無理もない。
 



***
器物損壊の続き
……


高山流水:すばらしい演奏、音楽のたとえ。