<一意専心>





ちょうし、悪い。
言い捨てたルックの肩を抱いて、クロスが心配そうに眉を寄せた。
「トラン今暑い時期だし……熱射病かも」
「水飲ませて休ませるしかないな、果物でも買ってこようか」
宿の談話室でくつろいでいたテッドがそう言うと、よろしくとクロスは答えてルックと共に上の部屋へとあがっていく。
「テ、テッドさん、ジョウイが……オレンジ食べたいって言ってるんですけど」
おずおずと申し出た彼に、そういえばジョウイも体調がよくないとか言ってたなあと思いつつ、テッドは頷く。
「わかった買ってくるよ――でもセノ、お前も昨日ずっとつきっきりだったろ、いいかげん休め、倒れるぞ」
やんわりと注意されて、セノは頬を赤らめる。
「でも……」
「ジョウイの世話は俺が見てやるから、今晩は寝ろ、いいな?」
「……はい」
ごめんなさい、と頭を下げて部屋へ戻ったセノを見送って、なんだかなあと溜息を吐く。
トラン入りしてしばらく、体調をぼろぼろ崩しだしたのは、群島諸国での船旅がやっぱりさりげなく堪えていたのだろう。
まあ普通、慣れないときついし。

たんたんたんと軽い音を立てて階段を下りてきた親友を見て、テッドは思わず溜息を吐いた。
さあて、このワガママ坊ちゃんをどうするか。
「テッド……頭痛い」
 あんだけ昨晩飲めば当然だと腹の中で呟きつつ、テッドは言った。
「シグール、ちょっと今から買物行ってくる」
「……クロスは」
「ルックが調子悪いらしいからクロスは付きっきり」

むう、と不機嫌顔になったシグールが次に言う言葉の見当がついていたテッドは、先手を打った。
「あ、それと今晩俺はジョウイの面倒見るからな、セノがいいかげん看病疲れで倒れる」
「……僕は」
「お前? お前は寝てりゃ治るだろうが、とっとと寝ろ」
「意地悪」
「意地悪なんじゃない、、皆が倒れて調子崩してる時に二日酔いにかまけてられるか」
な? と言い聞かせるように言ったテッドの前に立って、シグールは唇を尖らせた。
「テッドは僕の親友なのに」
「……まあそうだけど、な?」
「なんでクロスが買い物行かないのさ」
「そりゃあお前、ルックが病気だからだろ?」
「なんで僕やテッドに介抱させないのさ」

そりゃお前、と呆れてテッドは言った。
その一言を彼は後悔したかもしれないし、しなかったのかもしれない。
だが、その場においては適切で正論な一言だった。

「あの二人は恋人同士だから、クロスが付き添うのは当たり前……」
「恋人なら独占しても許されるの?」
やけに真顔なシグールに違和感を覚えつつも、まあそう言うもんだろとテッドは返す。
「じゃあ、僕テッドの恋人になる」
「ああそうかい……ってはあっ!?」

幻聴である事を切に願ったテッドが聞き返すと、シグールは真顔で言い切った。

「僕、テッドの恋人になる」
「……ナンデスト?」
「だから」
「お前、意味わかって喋ってるか?」
わかってるよ、と答えてシグールは座ったままのテッドの膝の上に腰掛けて、彼の首に腕を回した。
「こういうことして、キス、するんだよね?」
「……いや、俺がいいたいのは心情の……」
「僕テッド大好きだよ」
「……そうじゃなくてだな……」

 ええいもう、と呟いて髪をがしがしと乱したテッドは、シグールの髪をそっと撫でる。
「あのな、シグール。恋人と親友ってのは違うんだぞ?」
周りがあれでは誤解しかねないが、そこだけは言い聞かせておこうと思って言葉を繋ぐ。
「恋人ってのは、絶対この人しかいないって人のことで」
「テッドは、僕と会うのに三百年待ったんでしょ?」
「そうだけど――ああっ、じゃなくてだなあっ!」
それにさ、とシグールはあっけらかんとテッドが言わなかった事を言ってくれた。
「所詮、肉体関係の有無でしょ?」
「……シグール」

いったいなんでこんなスれた子に。
箱入り娘ならぬ箱入り息子として十五まで育っていたはずのシグールが、いったい何があったのか再会した時には平然と……行きつけの「店」に入って行くのにはびっくりしたが……。
「違うの?」
「……ちがわねーけど」
「僕、テッドならいいよ? 痛くしたら怒るけど」
「そうじゃなくて、シグール、あのな、そもそもお前だってそうだろうし俺だって付き合うなら女の子の方が」

「僕は、言ったよ」
ふっとその眼を細めて、シグールはたんっと言う音と共にテッドの膝から飛び下りた。
「おい、シ――」
「買い物行くんでしょ」
「あ、ああ」
「僕、苺食べたい」
「苺ぉ? この季節にそんなものあるわ」
そこまで言って、テッドは口をつぐんだ。
振り返らないシグールがひらひらと右手を振る。
バンダナを翻して、上へ走って上がった彼の後姿を見送ったテッドは、がっくりと頭を垂れた。

傷つけた。
それも、かなり酷く。
 
二度と、彼を傷つける事はしまいと思っていたのに。



「……何やってんの?」
かたりと音を立てて降りてきたルックに声をかけられ、テッドはゆっくりと顔を上げる。
「お前、起きてていいのか?」
「いいわけないでしょ」
そう言った彼の言葉は真に正しく、顔色は本当に悪い。
色を失った唇は、それでもよく動く。
「誰のせいだと思ってんのさ」
そう言って椅子に沈み込んだルックは、自分の爪を弄りながら問いかける。
彼の言わんとしている事がなんとなく分かって、テッドは苦笑した。
「シグールが、何か」
「上がってきた途端廊下にいるクロスにぶつかって謝りもせず部屋に閉じこもった」
「……そーか」

あのね、とルックは呆れた様に言った。
「僕が心配するのは余計なお世話だけど」
「うん?」
「あんた、優先順位って考えてる?」
さらりと髪を揺らして、何気なく言った魔法使いに、テッドは瞠目した。
「どう、いう」
「――心底、馬鹿だね。だからレックナート様が帰して寄越したのはグレミオさんなんだ」
それだけ言って、ルックは目を閉じる。
テッドは口に出しかけた問いの答えが分かって、飲み込んだ。

だって。
シグールは大切で、親友で、ずっとそばにいたい相手で。
それは、何の違いも、ないのに。
仲間を、今はいる仲間も、大事で。

「一番に僕のことを考えない奴を、僕は絶対頼らない」
細く目を開けて、それだけを言ったルックは、次いで完全に目を閉じ、眠りの体勢に入る。
テッドは無言で腰を上げ、シグールの後を追った。










「シグール!」
ドアをノックする音も空しく響く。
だが、しばらく待つこともなく、カチャリと音を立てて中から開いた。
「テッド、買物は?」
もう行ってきたの、早いねえ、はい苺頂戴、と手を伸ばしてくる姿はいつも通りだった。
いつも通りで、逆に痛々しく感じた。
昔は常に分かっていたのに、彼の隣にいるのは自分だと。それが、どうしてこんな風にゆらいでしまうのか分からない。
「……シグール」
「なーに?」

「――……シグール」
「どうしたのテッド、苺とっとと買ってきてよ」
僕は頭痛いから寝るんだよ、と言ったシグールの頬にテッドはそっと手を伸ばす。

変わらない身長。
止まった時間。
それは、自分が背負わせてしまったもので。
蘇った時に固く誓ったのだ。
もう二度と、離れまいと。

「シグール」
「そんなに呼ばなくても、僕は消えないよ、誰かみたいに」
 言葉の端で皮肉られても、テッドは誤魔化されなかった。
「なんで、泣いた」
「――え?」

それは、大切な人を失ってから覚えた泣き方。
声に出さない、涙も零さない、ただ、心の中で。

なのに、どうして。


「俺のいないところで、なんで泣いたっ」
「だって、テッドは、「親友」でしょう?」
見上げてきたシグールは、笑った。
「僕は、テッドを、皆の面倒見てるテッドを、そこまで拘束しないよ」
そんなに僕は、もの知らずじゃないよ。
視線を逸らさず呟くシグールを、テッドは腕の中に抱きこんだ。

「独占して、いいから」
「てっ……ど?」
「俺は、お前のために帰ってきた。お前のために生きている、だから、独占したっていいから」

テッドの背中に、シグールの手が回される。
「テッド不器用だから、僕の面倒みると皆の面倒見れないくせに」
「三百歳をナめるな、お前の面倒みる片手間にあいつらの面倒くらい見てやる」

 うん、とテッドの胸の中に顔を埋めて、シグールは言った。

「じゃあ僕、秋刀魚食べたい」
「……シグール、せめて夏に市場に出回ってるものにしてくれ」
 えー、やだv と笑う彼が何時も通りなのに安堵して、テッドは腕の力を緩めた。
「じゃあこれで僕たちも恋人?」
「……その件は、その」
「男に二言はないよね?」
「……はい」

じゃあ俺、買物に行ってくるから。
よろりらとした足取りと共に部屋を出ようとしたテッドの腕を捕まえて、シグールはにっこり笑って、背伸びをすると彼の唇にキスをした。

「いってらっしゃい」
「……はいはい」

照れる様子もなくすたすたと出て行ったテッドを見送って、ちぇっつまんないと呟いた坊ちゃんがいらっしゃった。



 




***
……なんかこう、やっちゃえばけっこう平気だ(私が


一意専心:他の事を気にかけず、その事のみに心を向けること。