< El significado que existe en usted 3 >
こんなにあっさり潜入できちゃっていいのだろうか。
シグールやセノの時は、スパイ防止のために身辺調査のようなものをやっていたと聞いていた。
だからそれなりに疑われるのは覚悟していたのだけれど、予想に反して質問らしい質問もされずに受け入れられてしまった。
難民ならともかく、協力者として城に入ったのだから尚更疑うべきと思うのだが。
本拠地がこんなんでいいのだろうか。
危機感がないのか……それとも余程の人手不足か。
後ろ暗い部分のある身としては
都合はいいのだが、拍子抜けの感が否めない。
現在クロスは城内を探索中。
「こっちが図書館で、それから向こうがお風呂になるよ」
クロスの少し前を歩きながら案内をしてくれているのは、フッチという名の男性だった。
少し変わった格好をしているのだが、最初にされた自己紹介によると、『竜騎士』というものらしい。
本音としては一人で回った方が色々やりやすいのだけど、おそらくこれが監視も兼ねているのだろうと考えると無下に断るわけにもいかなかった。
実際はともかくとして外見は年下のクロスに丁寧に説明してくれるので、いい人なのだろうとなんとなく思う。
ボロい(失礼)とは言えやはり城。
何百人もの人間が生活する場所を一日で全て回りきれるはずもなく、当面困らない身近な場所だけは回り終えて、二人は中庭のようなところに出た。
「とりあえずこんな所かな。後は分からなかったら誰かに聞くといいよ」
「お忙しいのにありがとうございます」
律儀に礼を言うクロスにフッチは気恥ずかしそうに笑って、そうだ、と手を打った。
「ついでだし、竜を見ていかないか?」
「竜……ですか?」
竜というと、異世界の、あの竜か。
さしものクロスも未だ本の中の挿絵でしかお目にかかったことのない生物だ。
「ブライトーッ」
フッチが空に向かって呼ぶと、ばさばさと翼が風を切る音がどこからか近づいてきた。
巻き上がる風に目を細めて、クロスは着地した白い物体を見上げる。
全身を覆う鱗に鋭い爪。
「これがブライト。俺の竜だよ」
「凄い……」
思わず感嘆の声が漏れる。
威圧感はあるが恐怖を覚える事はなく、愛情を込めて育てられたと一目で分かる。
「触っても?」
大丈夫、と頷くフッチに、クロスは白銀に輝く鱗に触れようと手を伸ばした。
「グィ」
その瞬間ブライトが嫌がるように僅かに身を捩った。
「ブライト?」
フッチは不思議そうに相棒を見る。
竜は本能が強い動物だから紋章の気配には敏感なのかとクロスは苦笑交じりに手を引っ込めた。
……実際の原因は真の紋章ではないのだが、クロスはそんな事を知る由もない。
「普段こいつが触られるのを嫌がるのも珍しいんだけど……ごめんな」
「気にしないでください」
ああ、でもシグールさんは嫌がられてたなぁとフッチが零した言葉に、クロスは首を傾げた。
「『シグールさん』?」
「あ、あぁ……昔の知り合い」
なんだか視線を明後日の方向に向けてフッチは言った。
シグールというと、あのシグールだろう。
彼も嫌がられたのか。
まぁソウルイーターがソウルイーターだし、本人の性格も性格なので当然といえば当然だろう。
同じく拒否された自分は棚に上げておいて、クロスは納得したように頷いた。
「あ、そうだ。フッチさん、ここに紋章屋ってありますか?」
「あるけど?」
何のために、と聞きたそうなフッチに適当な答を返して、紋章屋までの道を教えてもらった。
フッチと別れて教えられた通りに歩いていくと、紋章屋の看板が目に留まった。
以前、紋章の話をしている時に、ふとセノが漏らした言葉。
戦いに協力してくれた人の中にとても綺麗な紋章使いがいたのだと。
聞けばその人はシグールの時にも参加していたらしく。
『掴み所のない不思議な人でした』という形容は、クロスにも覚えのあるもので。
……まさか、とは思うのだが。
ぎぃ、と少し立て付けの悪い扉を開けると、室内は雰囲気作りのためか薄暗かった。
木でできたカウンターの奥に座っているその人物は。
「あらあら」
「……ジーン?」
背中に流れる長い銀糸、スタイルを強調する服。
そして『掴み所の無い』と形容される不思議な雰囲気。
百余年前と変わらない彼女がそこにいた。
「久し振りね、クロス」
ふふふ、とジーンは小さく笑いを零す。
名乗る前からこちらの名前を知っていた。
やはり記憶の中の彼女と同一人物なのか。
では、彼女は。
「……ジー「女性の歳を聞くなんて野暮な事はしちゃだぁめ」
ああ、やっぱり彼女だ。
この何もかも見透かしたような言動といい流されそうな雰囲気といい有無を言わせぬ響きといい。
変わらない彼女にいっそ安堵感すら覚えてクロスは笑った。
「お久し振りです」
「皆は元気?」
「それはもう」
クロスが最低限の言葉しか口にしていなくとも、
それで彼女は全て分かっている。
「……今度の遠征には付いて行った方がいいわね」
私から口利きしておいてあげるわ、と言うジーンに、本当にお見通しなのだと笑うしかなく。
何故ここに来たのか、わざわざ言う必要もなかったようだ。
「お願いします」
「久し振りにクロスの淹れたお茶が飲みたいわ」
「喜んで」
恭しく一礼をして、クロスは一式用意してあるだろう店の奥に足を踏み入れた。
懐かしい仲間との再会の一時を過ごすため。
カラン、と乾いた音を立てて仮面が地面に落ちた。
今まで仮面に覆われていた素顔が露になり、現れた容貌は、先日対峙したハルモニアの神官と酷似していて。
「ルック様」
傍らの少女が名を呼んだ。
ルック。
それが青年の名前。
「……君は、君が」
この全ての元凶なのかと。
右手に宿る紋章が、酷く痛んだ。
ふとルックは唇を吊り上げてヒューゴを見た。
その顔に浮かぶのは嘲り。
お前に何が分かると暗に言う視線に、ヒューゴは奥歯を噛み締めた。
知るものか、と心の中で呟く。
世界を滅ぼそうとするお前の気持ちなど分からない、分かりたくもない。
自身を睨みつけるヒューゴに興味を失ったかのように
ルックの視線は横にずらされ、ある一点で不自然に止まった。
先頭にいたヒューゴは知らない。
彼等の最後尾にはルックがとても見覚えのある顔がいる事を。
そしてルックは、彼の浮かべるその笑顔を―――嫌というほどその意味を知っている。
逃げろと警告音が頭の中に響いた。
漏らした息が声にならない悲鳴だと気付いたのは、当の本人とクロスだけだろう。
今すぐこの場から逃げなければ。
経験からそう思っても、本能がそれを許さない。
いくら複数の真の紋章を手に入れたところで、力関係は初対面時から変動しないらしい。
顔色を変えた師を不思議に思って視線を追ったセラは、クロスを見留めて同じように瞠目した。
「ク……」
クロス様、と言おうとした口は、しかしクロスの『黙って』というジェスチャーで止められる。
なぜこんな所に。
師と同じく顔を蒼白にするセラである。
共に過ごした数年、クロスの人となりは理解しているつもりだった。
比較的セラに甘いクロスであったが、その実怒らせてはいけないというのは身に染みている。
そして、二人していきなり姿を晦ませた上に音沙汰なしだった事を考えれば、彼が怒っているのは容易に想像できた。
セラもルックも最早ヒューゴ達など目に入っていなかった。
沈黙だけが続いている。
「おい、どうした」
不審に思ったユーバーが声をかけると、セラはぎぎぎ、と軋音でも立ちそうな動作で振り向いた。
目が泳いでいる。
冷や汗を流しながら、杖を握り締めて彼女は言った。
「逃げます」
「は?」
「ルック様、ここは退きましょう」
三十六計逃げるに如かず。
ここで戦ったら勝ち目はない。
というか永遠にあの人に勝てる気はしない。
腕に手をかけて軽く揺すると、我に返ったのかルックがセラを見た。
まだ微妙に焦点が合っていなかったりするが、それでもなんとか頷くルックと共に結界を作る。
「待てっ!!」
リーダーらしき少年が叫んだが、構ってなどいられない。
こちらは命が賭かっている。
これ以上ここにいたら、あまつさえ戦闘に入りなどしたら、確実に殺される。
……殺されるだけならまだマシだ。
時間稼ぎのためにルックは水の紋章の化身を呼び出す。
水飛沫の中、消える一瞬クロスと目が合って、ルックはそれを死ぬほど後悔した。
(逃げられると思わないでね)
唇の動きだけの言葉。
ルックには嫌というほど伝わったらしかった。