瞼を開くと、楽しげにこちらを見ているように見える顔が視界に入る。
流れるような黒髪はこちらの顔にかからないようにか肩の向こう側にかけられていて、その分表情もよく分かった。
楽しげに口角を上げてヒクサクの顔を見ているレックナートに膝枕をされながらヒクサクは考えていた。

さて、どうしてこんなことになったのだったか。





<時に口実>




その夜は、ハルモニアの上空には雲ではなく綺麗な星空が広がっていた。
気温の低いこの国では、雲がなければ透き通るような闇夜に輝く星が一層美しく見える。
そのため住民によっては星空を見るために外出する者もいるという話だが、ヒクサクにはあいにく星を見るような趣味はなく、いつも通り蝋燭の灯りの下で書類仕事に勤しんでいた。
使用人が運んできた、すでにすっかり冷め切った紅茶で口を湿らせて、目の疲れをほぐすために少しばかり眉間をもみこむ。
軽く首を回すとごきごきと軋むような音が立って、少し長くやりすぎたかと苦笑が漏れた。

採光を考えて広く取られている窓の外、点々と位置する星を見る。
ヒクサク自身に星に対する興味はないが、星を見ていると星見を生業としている知人を思い出す。
こんな夜は彼女は空を眺めているのだろうか。
隠された瞳で、どこまでも見通す目で、まだ見ぬ世界を映しているのだろうか。


「こんばんは、ヒクサク。晩酌につきあってくださいな」
「…………」
「どうしました?」
「……いや、なんでもない」
ワインボトルを抱えて部屋の中に出現した星見の魔女を、ヒクサクはこれ以上ない複雑な表情で出迎えた。





ヒクサクの部屋に置いてあるペアグラス(レックナートが度々酒席を共にすると知ったササライが常備するようになった)を並べて、彼女が持ち込んだボトルから赤をそれぞれのグラスに注ぐ。
「それで今夜は?」
「クロスもルックも私に付き合ってくれないもので。せっかくいいお酒を手に入れたというのに」
「……ふむ。たしかに」
確かめるように一口飲んで、ヒクサクは軽く頷く。
口あたりは悪くないし香りもいい。
ラベルを改めて確かめれば、カナカン産の、手に入れようとすればそれなりに値が張りそうな一品だった。

「どうしたんだい、これ」
「星見の報酬でいただきました」
「……私も飲んでいいのか?」
「一人酒の気分ではなかったのですよ」
グラスを揺らしながらレックナートがゆるりと笑む。
彼女がかなりの酒好きであるとは知っているが、持ってきた本人がいいというならば相伴に預かってもいいのだろう。
少なめに注いでいたグラスを傾けて、久しぶりの酒を楽しむ。

「しかし、君がワイン一本で足りるとは思えないのだが」
「シグール達と同じにしないでください。節度を保った飲み方くらいはできますよ」
「そうなのか」
「……あの。泥酔した光景見たことないですよね?」
「クロスやルックから聞いているとつい」
少し拗ねるような声音に苦笑で返す。
泥酔イメージの対象はシグールがメインなのだが、場所が塔である事が多いのでレックナートも勝手にそんなイメージがついていたのかもしれない。

ヒクサクの反応に多少気分を害したようだが、それもうわべだけのもののようで、ワインを一口飲めばすぐにレックナートは普段の調子に戻る。
「それに、ボトルの一本や二本では酔いませんよ」
「ならもう一本持ってこようか」
足りないのか、と半分ほどになったボトルの中身を確認して尋ねる。
この時間から使用人を呼びつけるのは(そしてこの来客中にこの部屋に人を入れるのは)控えたいが、厨房に行けば何本かくすねたところで分からないだろう。

「いえ、今日はこれだけあれば十分です」
「そうか?」
「それよりあまり飲んでいないじゃないですか。さぁ。さぁ」
私ばかり飲んでいると気が引けます、と滅多に聞かないような言葉まで言いながら、レックナートが次を勧めてくる。
それに多少の違和感を覚えながらもヒクサクは手元のグラスを空けて二杯目を注いだ。










そして現在にいたる。
酔いが回ったヒクサクに横になって休んだ方がいいとレックナートが提示したのがこの膝枕だったわけだが、人目がないのと酔いがそれに乗せられた理由、だろうか。
「ずいぶんと酔いが回るのが早いですね」
「まぁ、少しね」
髪飾りをいじって遊んでいるらしいレックナートの言葉に苦笑する。
ここ最近、少し睡眠時間が足りていない自覚はあった。
疲れている時は酔いの周りも早いものだ。
そして、ここまでくるとレックナートの思惟にもいい加減気付く。

「ササライかい?」
端的に聞けば、ゆるりとした笑みで返された。
「頼まれたわけではないですが、愚痴ってはいましたよ」
「……そうか」
「なんだかんだ言いながら心配しているのですよ。休暇前に喧嘩したのですって?」
「あれは喧嘩というのだろうか」
休暇をと言ったらいらないといわれ、ここしばらく忙しかったのだからと推せば自分はどうなのだと言い返されて。
「休みくらい素直に受け取ってくれればいいものを……これが反抗期なのだろうか」
「あれが反抗期なら世の中の親子のほとんどはまだ反抗期明けしてないでしょうねぇ。喧嘩なんて、親子らしくていいじゃないですか」
「親子の認識すらお互いしてない時期が長かったけれどね」
その時期も、今となっては随分と昔の一時に換算されてしまうような時間が流れた。
たとえば、ササライがヒクサクを慮ってレックナート(実際はルック経由の可能性もあるが)へと話を持っていくくらいには。

ヒクサクの髪を梳きながら、レックナートはおかしくてしかたがないといわんばかりに声を漏らす。
「直に言えばいいのにそれだと叱ってるみたいになるから嫌なんだそうですよ」
「…………」
「それに、あなたのことだからどうせ隠れてやるに違いないと。どちらが親かわかりませんね」
完全に見透かされていて、ヒクサクも苦笑するしかない。
実際ササライには何度か休暇を取るように進言されていて、聞き流していたのも確かなのだから。

「ササライにも休暇を出したと思うのだけどね」
「あの子なら、私達のところに来た後にちゃんと休暇に行きましたよ」
「そうかい」
「ひと段落ついたのでしょう?」
「……まぁ。そうだね」
ハルモニアの北部で起こっていた、貧困を起因とした一揆とその鎮圧。
あのあたりはもともとちょっとした特産物も抱えていて、ハルモニアの交易の一角を担ってもいたから、丸くおさめるための後始末には少しばかり手を焼いた。

「ならしっかり休みなさいな。たまには遠出もいいんじゃないですか」
「……国内しか無理だが」
「あら、私はこの部屋以外に行ったこと、ありませんけど?」
「……いくつか、考えておく」
「なるべく暖かなところがいいですねぇ」
自動的に同行する流れで返されて、こちらもそれに応え。
ヒクサクは重くなってきた瞼をゆっくりと下げる。
相変わらずレックナートの視線はこちらを向いていて、窓の外には一瞥もされていない。
星見である彼女があの星々よりこちらを見ている事に少しばかりの優越感を感じながら、ヒクサクは目を閉じた。

「このまま寝そうだな」
「私が帰る頃には起こしてさしあげますよ。それか膝が痺れたら」
「転寝にはちょうどよさそうだ」

頭部に感じる指を心地よく思いながら、暗闇の中。
笑う気配に笑みを落とした。






***
<レックナートの尻に敷かれるヒクサク>

ヒクサクがレックナートの頭を敷いた……というか。
この二人はなんか空気が甘い。なんでだろう。