<遥かな記憶は美しく>
「随分と疲れてるみたいだな」
「……まあな」
鬱々とした溜息を吐いたラウロに、ヒーアスは笑いながら新しく持ってきた書類を置く。
ぎろりと睨みつけられたが、この書類はヒーアスのせいではない。
各所にある書類をここまで持ってこさせられたのはむしろ自分の方が可哀相なのではと思うが、ラウロから労いを求めるのは愚考というものである。
しかし今回ヒーアスがわざわざ押し付けられたのは、ラウロの不機嫌のせいだと今ここにきて納得した。
最近ヒーアスもそこそこに忙しいので、手の空いている人は自分で持って行ってくれる事も増えていたのだが、最終的にこういう時に巡ってくるのは自分らしい。なぜだ。
別に戦闘が近いわけでもなく、単純にイラついているだけのようだが、いったい何があったのかと尋ねたくなったヒーアスは、ふとラウロの袖口から覗く白いものに目を留めた。
「ラウロ、怪我したのか?」
「……怪我というか打ち身だな」
「珍しいな。リーヤとの打ち合いでしくじったのか?」
二人の寸止めマッチは訓練場での名物のひとつになっている。あの速さでお互いに傷ひとつ負わせないのは最早別次元だと思うのだが、それでもたまには失敗する事もあるのか。
てっきりその原因がリーヤだと思って口にしたヒーアスに、しかしラウロは苦々しい表情で舌打ちをした。
「いいや。これはリーヤじゃない」
「じゃあ誰だ? 普通に手合わせしてあんたに適う奴なんてそうそういないだろ」
「…………」
その問いに、心底嫌そうな顔をしながらラウロは腕を組んだ。
顕になった腕に貼られていたのは湿布で、しかも片側だけではなく両の腕にあった。
「うわっ、なんだよリーヤその顔」
「いやー……避け損ねたっつーか受け損ねたっつーか」
どっちだよ、と苦笑しながら隣に座ったマリンの前に、ウィナノが色のついたグラスを置く。
中身はマリン気に入りの酒で、最近ここに来ると何も言わずとも出してくれる。
上機嫌にそれで舌を湿らせて、マリンは顎のあたりを綺麗に腫らしたリーヤに揶揄混じりの視線を向けた。
「あんたが訓練でそんなものこさえるなんて珍しいね。ラウロにこっぴどくやられたのかい?」
「ラウロじゃねーよ」
「じゃぁ誰だい?」
「シグール」
ぶすくれた表情で挙げられた名前に、マリンは目を瞬かせた。
見かけに反して彼らの腕が人並み外れていることはマリンを含め一部の者はよく知っているが、彼らが訓練とはいえリーヤにそんな傷をつけるような事をするとはにわかに信じられなかった。
何より隊長格の人間の顔に分かりやすい跡を残したりしたら、士気にも関わる。
「まぁ、この顔のはギリギリのタイミングで受け損ねた俺が悪いんだけどさー……」
全身ズタボロだぜ、とまくって見せた服の下は、見事に湿布だらけだった。
隠し切れない青や赤が、湿布の端から漏れている。
「……これはまた」
「たまには鍛えてあげる☆ とかすんげー笑顔で言ってきてさー……遠慮するっつっても問答無用でかかってこられてこっちも必死だったんだけどさー」
「ああ」
「昔っからそうなんだもんよー……実践が一番とか言ってさー……その度にボロボロにされるし一撃も入れらんないしで悔しいやらむかつくやら情けないやら……今日も結局一撃も入んなかったし……」
そう言ってがくりと机に突っ伏すリーヤはかなり堪えているようで、こんな風にめげているリーヤを見るのは珍しくて楽しく酒を飲んでいたマリンだったが、リーヤの最後の一言を反芻して笑みを固めた。
「……リーヤ、一撃も入れられなかったって、手加減してたんじゃないだろうね?」
「シグールに手加減とかしたら今頃身動きひとつできずに訓練場に転がってると思うぜ……」
「…………」
本気でかかったリーヤが傷ひとつ負わせられないって、いったいどれだけ人の枠を外れているのか。
もう酔い潰れて今聞いた事は忘れてしまおうと、マリンは手の内の酒を一気に飲み干して、ウィナノに追加を注文した。
「……それなりに力をつけたつもりだが、いまだにまともに一撃を入れられた試しがないな」
訓練の度に毎回毎回死ぬかと思ったし、子供相手大人気ないと思ったが、今にして思えば、当時はかなり手加減されていたのだろう。
彼らが本気でやっていたのであれば、自分達はとうに死んでいる。間違いなく。確実に。
実践形式が一番だよねと笑顔で棍で襲い掛かってくる姿は今も昔も変わらない上、結果も変わらないのは悔しさを通り越していっそ腹が立つ。
しかも、今も手加減されているのかといえば、たぶんされているのだ。
こちらが必死にやっているのに、あちらは飄々とした態度を崩さないままに、結果として見えないところだけを綺麗に狙って一撃をお見舞いしてくれた。
まぁ、リーヤは自爆して顔に一発くらっていたが。
「一度手合わせしてもらうといい。頭にくるぞ」
「……いや、全力で遠慮しとく」
「そうか。ところで俺のストレス発散は結果として発散されるどころか余計に溜まったんだが、これはどこに向ければいいだろうな」
「…………」
にやりと口元だけの笑みを向けられたヒーアスは、一瞬走馬灯が過ぎった気がした。
***
<L面子にいかにして戦い方を学んだか(学ばされたか)を語る(グチる?)リーヤとラウロ>
愚痴ってはいるけど学び方については特に触れてない気がしないでもない。